読み込み中...
全 3 章中 1 章
黄庭外景经
全体意訳
老君が閑居した際に七言詩を用いて、身体の形貌と身中の諸神を説いた。人の身の上には黄庭(身中にある虚ろで澄んだ霊妙な場所)があり、下には関元(臍下の精気が蔵される丹田)がある。後ろには幽闕(腎間にある幽深な関所)があり、前には命門(生命の元気が出入りする門)がある。呼吸は神廬(鼻、呼吸の門戸)の間から丹田に入り、口の中の玉池(津液の池)の清らかな水が霊根(舌、生命の根を象徴する)を灌漑する🌱。もし真摯に修め持つことができれば、生命は長く保つことができる。黄庭の中には朱衣をまとった「人」が住まう——それがまさに身心を主宰する清らかな心神である。
関元は門栓のように二つの扉を開閉し、幽闕は背後に巍然と高くそびえる。丹田の精気は微細だが極めて貴重であり、玉池の清水は上に生じて滋養の「肥液」を作り出す🌊。霊根は堅固で、年老いても衰えることがない。中池(心胸の間)には赤紅色の衣をまとった「士」がおり、すなわち中央に安住する神気である。横に三寸下がったところは、神が安居する区域である。内外の間には几重にも距離があり、慎重に閉蔵すべきである。神廬の中は修治すべきであり、玄膺(喉の気管)は精気を受け入れる府第である。自らの精気を急ぎ固く守り、自己を持続せよ。身の宅の中に一人の「士」が常に降紅色の衣をまとっている——それは深く蔵された真陽の気である。あなたがそれを見ることができれば、身体は病気になることがない。その中に一尺ほどの文理があって上を約束し、神気のありようには秩序と尺度がある[訳注:この句は歴代の注家によって解釈が一致しない。ここでは「神の居所には節度がある」という意味に取る]。あなたがそれを守ることができれば、災いなく恙なく、神廬の間での呼吸の自然な往来を以て自己の補完とすることができる。
あなたがそれを養い完全に堅固にすれば、身体は福の恵みを受ける🍃。方寸(心、心神の居る小さな空間)の中は慎重に封蔵すべきである。精神が還帰すれば、年老いても健壮に回復することができる。心と幽闕が結びつき、流通して下元にまで至る。あなたの「玉樹」(精気が化した身)を養い、それが杖とすることができるように育てよ。至道は煩雑ではなく、乱れて枝葉に分かれることがない。霊台(心の明覚)は天に通じ、中野を臨み照らす。方寸の間は関元と上下に通じ合う。
玉房(頭部の神を蔵する室)の中には神の門戸があり、これがまさに「公子」が私に教えた理である。明堂(鼻/顔の中央)は四方に通じ、法海の源である。真人子丹(身中の精気が集まった神)は私の面前にある。三関(人身の精気の要関)の中には精気が深く満ちている。あなたが衰えないと欲するならば、崑崙(頭部の泥丸宮)の清明を修めるべきである。絳宮(心、深紅色の宮)は十二の楼閣が環のように連なるがごとくである。瓊室(身内の美華なる宮)の中には五色の精気が集まる。赤神の子(心神が化した赤子)は中池に立つ。その下には長城のような玄谷の邑(身体下部の深く蔵された場所を指す)がある。長生を望むならば、房中の精気の急務を慎重に扱い、淫俗を捨て去り、専ら自らの精気を保全せよ。
寸田尺宅(方寸の心田と身体という尺宅)は生命を治め養うことができる。鶏子の如く混沌として完全な元気が長く存すれば、心は安らかになる。志意を展張し精神を游養して、三奇霊(精気神の三宝)を霊明にせよ。日常の事に煩わされなければ、心は自然に太平となる。常に玉房の清明を存念すれば、神明は自然に通達する。時々太倉(胃、水穀の海)を思念すれば、飢えず渇かない。六丁玉女(身内の陰陽の気の擬人化)を使役して朝参させることができ、精門を閉じれば、長久の生機を得ることができる。正室の堂前は神が安居する場所であり、心を洗い自分を治め、汚敗せしめない。五臓を遍く観察して、その節度を見よ。六腑を修治して、その潔浄を素のごとくせよ。
虚無自然は、道の堅固な根本である🧱。万物には本来自然の理があり、大道は煩雑ではない。無為(妄為せず、強作しない)を垂拱すれば、身体は自然に安和となる。虚無の居所は、ただ帏帳の間にあるのみ——それは内に収攝する静室である。寂寞として廓然とし、口は妄りに言わない。修和独立して、真人の宮に居る。恬淡として欲なく、徳の園に游ぶ。清浄にして香潔であり、玉女の前に侍立するがごとくである。徳を修め明達することこそ、神明を開く門戸である。
関連概念
発展閱讀(さらに学ぶために)
本内容は道家の古典古籍に基づくものであり、伝統文化の学習と人生の参考のためにのみ提供され、宗教・医療・投資の助言を構成するものではない。 —— 卜瓜