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全 7 章中 6 章
壬归
なぜ旅立ちに際して占うのか。人の行動や沈黙、姿を現すか隠れるかは、一身の吉凶禍福に関わり、水陸の道中、舟車の労苦は、千里の彼方の安全に関わるからである。事前に予知すれば、吉に趨き凶を避けるのは容易いが、軽んじて顧みなければ、未然に防ぐことは難しい。誰が旅立ちの事に、占いなど不要だと言えようか。ましてや、雲を望み故郷を想う感慨は、誰にないことがあろうか。ゆえに家の中の吉凶も、すべて帰依するところがなければならず、そうして初めて荷物を整えて道に上り、山を越え水を渡ることも、あるいは悔いることがないかもしれないのだ。
類象核心:日干をもって旅立つ者自身を表し、日上の神の吉凶を観て身体の安否を論じる。日支をもって赴く先の地を表し、支上の神を観て目的地の状況を判断する 🌍。
およそ日上の神に傷がなく、吉将に乗じ、互いに戦克せず、しかも気が当に旺んでおり、日支の陰神もまた日干を凶傷しないならば、この身の前行は必ず祥瑞である。逆ならば凶災があり、妄りに動くべきではない。
およそ日上が空亡で、気がなく沖もなければ、行きたいと思っても必ずしも行けない。日上官鬼に刑害を兼ねていれば、阻まれて行き難い。そして、阻まれる具体的な原因は、乗じている天官によって判断できる:鬼が天乙に乗じ、気がまた休囚なら、必ず権貴や鬼神の事によって阻まれる。鬼が螣蛇・朱雀に乗じ、また官符を帯びるなら、必ず口舌や訴訟、絡みつく憂疑によって阻まれる。鬼が勾陳に乗じ、刑煞を帯びるなら、必ず田地道争、連座牽引によって阻まれる。鬼が白虎に乗じ、喪門・弔客・死符・病符を帯びるなら、必ず死喪や疾病によって阻まれる。鬼が玄武に乗じ、盗耗を帯びるなら、必ず盗難損失によって阻まれる。鬼が天空に乗じ、亡劫を帯びるなら、必ず逃亡、紛失、詐欺、欺瞞によって阻まれる。これに類推すれば、空亡の理由は、深く考えることができる。もし発用に子孫が旺んで乗じているのが見え、下に傷つけられず、上にも吉将に乗じているなら、発用の神の力は鬼を制して財を生じることができ、日上に官鬼の阻滞の疑いがあっても、なお出行することができる。
およそ日上の鬼は、休囚ならば行動し難く、これは鬼が身に纏わりつくものである。旺相ならば当て難く、これは鬼が日を禁じるものである。もし鬼が日上で発用し、また上に凶将に乗じるなら、なおさら軽率に動くべきではない。日上にあるだけでもすでに当て難いのに、まして発用するのであればなおさらである。もし旺鬼が吉将に乗じ、また用が日から発するなら、仕宦の出行はかえって吉占となり、一概に凶と論じてはならない。
およそ日上の神が吉に乗じて旺相で、支上の神を制することができ、支上も旺相で吉に乗じるなら、我が財神が彼の地に見えるのであり、赴けば必ず吉である。もし逆に凶で鬼となり、煞を帯び刑を披き、気がまた囚死なら、我が鬼賊が彼の地に見えるのであり、赴けば必ず凶である。凶の原因もまた、乗じ帯びている神煞から推し量ることができる。
日干の游行之方も兼ねて観るべきである。天の日干は身の動くところであり、臨む地は身の止まるところであり、吉凶休咎すべて関わりがある。どうして問わずにおられようか。ゆえに兼ねて観るべきなのである。
日干の病死墓絶の地は赴くべからず、赴けば凶が多い。ただ地がすでに生旺で空でなく、神将もまた吉なる方位のみ、赴くことができる。また日上の神と方の神とを比較して論じなければならない:もし日干の上が四土の神なら、木が臨む地は赴くべからず。火が臨む方は大利、火は土を生ずるからである。水が臨むのも利、土は水を克すからである。金が臨む方は利なし、土は金を生じて脱泄となるからである。もし利ある方で、将が吉で気が旺んでおり、また日干年命を生合するならば、なおさら有利である。他の方もこれに倣う。
しかしながらおよそ出行を占うには、まず必ず出行者がどんな人物か、どんな事を為すのかを弁別し、その後内外の喜忌に基づいて論じて、初めて失うことがない。漫然と目的もなく占を求めれば、占験は応じない。すなわち日上空亡の主する事も、一概に論じてはならない。もし九流の技芸の者ならば、空手で財を求める事であり、空亡は忌むところではないが、これも吉気の旺んを得て、赴いて初めて利がある。もし資本を携えて商売する者ならば、行けないばかりか、行けば損耗がある。行商の占法は日を外類とするから、外が空で占すれば、奔走して徒労である。我が空で凶なら、財貨が憂えられる。天官を観れば、空亡の理由を逐一指し示すことができる。
また日上の鬼が主するのは鬼が身に纏わること、鬼が日を禁じることである。もし官を求め禄を問う者、功名を求めて科挙の試験を受ける者ならば、かえって喜ぶところである。なぜなら功名の占法は官鬼を主とし、官がその身に臨み、旺相で吉に乗じ、内外に戦刑がなく、用伝が年命を傷つけず、太歳月建がまた生扶を得、上神も往来して相克しないならば、官のない者は官を得る慶びがあり、官のある者は必ず昇進の利があり、なんと栄誉なことか。もし気なく空克すれば、官を求めても赴くべからず。而して常人でこれを得れば、必ず忌むところとなり、どうして弁別を加えずに妄りに言うことができようか。
動静占法:およそ出行しようとして、成行き得るかを占いたい時は、動静の意味がある。動けば行くことができ、静ならば行けない。
およそ関墓が干に臨めば、身は動き難い。関には阻隔の義があり、墓には斂蔵の義があり、いずれも静の象であるから、動き難いのである。もし年上の神力が関を沖し墓を破ることができれば、なお動と論じ、そうでなければ関を沖し墓を破る月日を待って、初めて身を動かすことができる。
およそ日上空亡も、動き難いことを主とする。もし用伝年命に沖神が見えれば、これも動をもって論ずべきである。空は沖に逢えばかえって実となるから、動くことができる。しかしただ旺空が沖に逢う時のみ、この象がある。もし空に休囚を帯びれば、沖も益がない。
およそ日干天官が廟に入る者は、空亡関墓でなくとも、動を言い難い。神将が同体なら、変化が測り知れないから、動きを言い難い。ただ二馬に旺んで乗じ発用し、また足を縛り厩に恋うる類がなければ、動は初めて確かである。
およそ魁罡が日に臨めば、万やむを得ない動がある。吉に乗じ旺を帯びれば、動いて吉で且つ速い。凶に乗じ囚死なら、動いて凶で且つ遅い。刑を披き煞を帯びて気があれば、これも速をもって論ずる。ゆえに言う:旺なるは車に乗り馬を得るが如く、電を掣り風を追うことができる ⚡。
遅速占法:およそ出行を占めて遅速を知りたい時は、日と用とを比較する——日は行く者の身であり、用は征行の始めである。
およそ課伝がすべて陽なら、事は必ず顕赫で功が多く、その動きは必ず速い。課伝がすべて陰なら、事は必ず陰私で晦多く、その動きは必ず遅い。ゆえに言う:日が陽で用が陰なら、速の中に遅がある。日が陰で用が陽なら、遅の中に速がある。もし日上が陽で旺んで、用が陰で休墓なら、動きかけてもまた止まる。日上が陰で休んで、用神が旺なら、遅くとも必ず行く。
およそ用が陽で伝が陰なら、中途で阻まれることを防ぐべきである。用が陰で伝が陽なら、必ず坦途を履み憂いがない。中伝は発用の陰神であり、行色に関わり、影響が小さくない。
およそ用が子孫で日上を刑克すれば、同伴が互いに傷つける応がある。用が父母で日上を刑克すれば、尊長が促す徴がある。用が兄弟なら、朋友に関わる。妻財を見れば、情は妻妾に関わる。方は類をもって聚まり、物は群をもって分かれる。ただ用に丁馬を帯び、旺相で空でなく、下に克されないものは、動きが特に迅速である。
吉凶占法:およそ出行の吉凶を占うには、まず日上(行く者の身)を見て、次に辰上(往く先の地)を見て、さらに用伝初中末(道路歴験の象)を見て、最後に年命(命は固有のもの、年は流行を主り、行く者のみが独有するもの)を見る。およそ日鬼が凶に乗じ煞を帯びるが見えれば、各々主とする事があり、各々応ずる時があり、各々見える所があり、図に従って索めることができる。
行者にとって吉なるものは、ただ禄馬、生氣、日德、天喜の類のみ。吉に附き旺に乗じて損傷がなければ、この行は喜びのためでなくとも動くが、来たる必ず喜庆の事があり、遇う所に随って自ずから見える。
行者にとって凶なるものは鬼であり、乗ずる天官及び五気によって論断する:
| 鬼が乗ずる天官 | 主とする凶事 |
|---|---|
| 天乙 | 官司神鬼の凶(日が旺なら官、夜に休すれば鬼) |
| 螣蛇 | 驚疑奇怪、盗賊火光 |
| 朱雀 | 鼠雀紛争、是非口舌 |
| 六合 | 牙侩媒保、欺隱奸私 |
| 勾陳 | 勾惹連牽、争闘訟獄 |
| 青龍 | 子孫財帛、虧折損傷 |
| 天空 | 小人僕隷、誕妄欺凌 |
| 白虎 | 道路凶悪、疾病兵喪 |
| 太常 | 飲食筵会、参商嫌隙 |
| 玄武 | 盗賊匪類、劫耗遺亡 |
| 太陰 | 陰私婦女、奸謀蔽匿 |
| 天后 | 婦人女子、穢汚貪淫 |
煞をもって言えば:五符が鬼なら、必ず口舌公訟がある。往亡が鬼なら、身が生還せぬことを恐れる。車坑が鬼なら、車馬舟楫の憂いがある。飛廉が鬼なら、破敗損失の患いを防ぐ。空亡が鬼なら、脱騙が憂慮される。劫煞が鬼なら、劫奪が虞れられる。鬼墓なら昏蒙で阻みが多い。鬼関なら隔碍で通じ難い。天刑なら小人は憂敗の嫌いがあり、君子もまた官を剥がれ禄を奪われる。鬼が咸池を帯びれば、奸淫に沈溺する。鬼が刑害を披けば、祖を破り身を傷つける。引き延いて、触類旁通すれば、百煞の用を把握することができる。
水陸占法:およそ出行を占めて、水陸のいずれが適するかを知りたい時は、日辰をもって主とし分けて論じ、吉ならこれに従い、凶ならこれを避ける。
日干は陸で、天に属し陽に属し、陸の位。日支は水で、地に属し陰に属し、水の位。故に干上の神が吉に乗じ干を生じ、気がまた旺相なら、陸路は行くことができる。凶に乗じ日を克し、気がまた囚死なら、陸行は吉でない。支上の神が吉に乗じ支を生じ、気がまた旺相なら、水路は往くことができる。もし凶に乗じ支を克し、あるいはさらに日を克し、気がまた囚死なら、水行は必ず凶である。もし水陸とも吉なら、その最も旺んで損傷のないものを選んで従う。
およそ陸行には車馬を要し、水行には舟楫を要する。太冲は車馬舟楫の象であるが、ただし弁別して誤ってはならない:太冲が水に臨めば、象は舟楫。土に臨めば、象は車馬。旺相なら堅固で広々とし、休囚なら破損し疲弊して粗末である。ただ青龍六合に乗じ、支干の端に出で、さらに刑戦がなければ、水陸ともに暢行することができる。もし玄武螣蛇に乗じ、日辰の上に見えるなら、水陸とも従うべからず。すなわち辰合に乗じれば、象は減下となり、沈溺が虞れられる。卯が車坑を帯びれば、象は折輪となり、傾危が憂慮される。上に魁罡が見えれば、舟車は定めて阻隔が多い。さらに月厭に乗じれば、道路に時に憂驚がある。卯が隔神を作せば、どうして阻滞がないことがあろうか。卯が夾克に逢えば、必ず損傷がある。卯が空亡なら、水路は憂いがなく、陸路は傾陷を防ぐ。
およそ舟行の時に万一損傷があり、その損ずる場所を占いたければ、天罡を専ら視、加わる孟仲季をもって論ずる:孟に加われば船頭に損じ、仲に加われば船中に傷じ、季に加われば船尾に損ずる。孟仲季は首尾の象があり、太冲と相害する者は正に天罡であり、相害する者をもってその害する所以を占うから、失うことがないのである。
陰晴風雨占法:およそ出行の途中の陰晴風雨を占うには、三伝の陰陽をもって主とし、もって時の地の克応を言う。陰陽は晴雨の機であり、三伝は道路の象を開き、初中末は即ち時と地である。
伝に純陽を得れば、晴朗を主とし、木が旺んで陽に乗ずる者は風が多い 🌬。伝に純陰を得れば、陰晦を主とし、金が旺んで陰に乗ずる者は雨が多い 🌧。水神が旺なら、陽でも雨となり、火神が旺なら、陰でも晴となる 🔥。陽が陰に勝ち、朱雀螣蛇に乗じ、また晴煞を帯びれば、その晴は必ず長い。陰が陽に勝ち、天后玄武に乗じ、また雨煞を帯びれば、その雨は必ず長い。これは陰晴風雨の大きな象である。
もし分けて時と地とを見れば:初伝に見える者は始発の時に応ずべきで、中伝に見える者は中途に応じ、末伝に見える者は末路に応ずる。拡張して見れば、辰上に見える者は彼の地に応じ、日上に見える者は行かんとして未だ行かざる時に応ずる。そして時序の標準は、即ち三伝の十二辰次をもって定める。これがいわゆる時と地である。
伴侣占法:およそ出行しようとして、伴侣の有無及び伴侣がどうかを知りたい時は、子孫をもって主とし、また三伝をもって時地を言う。三伝を責めるのは、道路に因って言うからであり、子孫を責めるのは、克を制し財を生じ、緩急において恃むことができるからである。兄弟爻は本来伴侣であるが、取り用いない。兄弟にはその本分の責めがあるからであり、財を分かつ象で、職は合伙経営にあり、萍水の交わりではないからである。
およそ子孫が吉で旺んで伝中に見え、日上と徳合し生比するなら、ただ伴侣がいるばかりか、富厚で忠誠であり、自ずから力を竭して助けるだろう。子孫が休ん凶で伝内に見え、日上と破害刑傷するなら、途中で伴侣に遇うとも、疎狂で汚賤であり、ただ益がないばかりか損がある。伝に子孫がなければ、三合六合を見る。
もしさらに所乗所帯を見れば、性情容貌すべて予知することができる。その天地両間を察すれば、時序地方は予定し難くない。辰上に見えるを他類と為し、日上に見えるを同行と為すのは、虚語ではない。
資本行李占法:およそ出行を占めて、資本がどうかを知りたい時は、財爻をもって主とし、休旺をもって論ずる。日干が克する所を財神と為し、青龍六合を財星と為し、この二者を兼ねて観る。
およそ財神が出現し、財星が相応ずるなら、これは本のある行であり、経営の類が如きである。旺相で丁馬を帯びれば、資本は充盈し、往くところ利あらざるなし。休囚で丁馬がなければ、資本は微薄で、蹇滞して通じ難い。もし財神がすでに蔵れ、財星もまた空窘なら、これは本なき動きであり、九流技芸の類が如きである。旺相なら得來は望むことができ、休囚なら到底功がない。財が現れなくとも、財気が傷つかなければ、居然として良賈であり、深く蔵して露わにせず、吉なることが知られる。もし兄弟が財に化し、あるいは財が兄弟に化するなら、貸借にあらずんば合作である。
行李がどうかを知りたい時は、父母をもって主とし、これも休旺をもって論ずる。行李は覆庇の資であり、我が身を覆被する者は父母に如くはないから、もって類するのである。
父母が旺んで損傷がなければ、行李は自ずから当に富盛である。休囚で刑破があれば、行李は必ず凋残を見せる。空蔵なら無く、類蔵なら失う。もし父母が兄に化し、あるいは兄が父母に化するなら、人と共に用い、己は自由でない。
投宿占法:およそ旅の途中で宿泊する処の吉凶を占いたい時は、日辰をもって主とし、その上の神を比較する。日は自身のことであり、辰は旅次のことである。
およそ日辰上の神が互いに生旺徳合し、吉に乗じ吉を帯びるなら、賓主は互いに安んじ、まったく疑忌がない。もし互いに刑冲破害し、凶に乗じ凶を帯びるなら、賓主は投合せず、嫌隙を生じ易い。日がその辰を傷つければ、客の思いやりが不仁で、咎は我に由る。辰がその日を傷つければ、主の思いやりが不義で、咎は人に起きる。
支干が墓に逢えば、必ず安寧でない。鬼が三刑を帯びれば、定めて凶禍が多い。我に凶なる者は、その乗ずる天官を視る:螣蛇は驚疑を主とし、朱雀は口舌と為り、勾陳は争闘、白虎は兵戈、玄武は盗賊、天空は欺紿、太陰は奸謀、天后は淫穢の類である。
しかしながら天官が依憑する所は神であり、十二神の用いる所は五行であり、五行の変幻する所は五気である。引き延いて、形貌情性、老幼強弱の類を一覧の内に見れば、投宿の吉凶を判断するのは何の難しかろうか。
啓行占法:およそ旅次は安んずるも、翌日に出発する情況を占いたい時は、日干をもって主とし、日支を佐と為し、兼ねて用伝と比較する。日は己が身で、支は奴僕行李で、用は禍福の端倪で、三伝には時と地の象がある。
およそ日上が吉で旺んで、日に傷つけられなければ、上天の顕佑であり、身は必ず虞れがない。日下が吉で旺んで、空敗に逢わなければ、地下の黙扶であり、任に行って害がない。
玄武が干を傷つけず、財爻が穏固なら、劫掠の憂いがない。勾陳が日を克さず、乗性が平和的なら、口舌争闘の患いがない。これに類推すれば、十二天官は各々その責めがある。支が傷つけられなければ、財爻、奴僕、行李に当に患いがない。
全日をもって言えば、初伝は卯辰の時、中伝は巳午の時、末伝は申酉の時と為し、時辰を定めることができる。しかし式の中の時位は、各々自ずから分明であり、その上の神を察すれば、吉凶休咎は必ず時に応じ、兼ねてこれを求めれば、失うことがない。三伝は時行の大像であり、十二辰は時位の分司であり、先ず大像を観、次に分司を察する、これが占法である。
地分をもって言えば、十二辰が三伝に見える者は、自ずから図に従って索めることができる。山崗、丘陵、墓田、園野、湖泊、池塘、場院、園圃の類は、各々類をもって見え、妄りに断じてはならない。
およそ年命をもって扶救の本と為し、日辰用伝と比較して論ずる。年命は吾が身の独有する所であり、休咎を移す権柄の在る所である。
およそ日が吉で伝が凶なら、支辰年命の上にすべて救うことができる。日辰ともに凶で年命が休衰で力を効かすことができなければ、三伝の神にすべて救うことができる。日辰年命ともに凶で、三伝もまた凶なら、出行すべからず。これがいわゆる趨避の道である。
およそ太歳月建をもって君と為し長と為し、日、辰、年、命、用、伝と比較して論ずる。太歳は人君の象であり、月建は官長の象であり、身が君長の臨照の下に居れば、敢えて妄りに異動しないまでも、畢竟主宰を逃れることは難しく、その上の神もまた歳月の吉凶の係る所である。
およそ吉凶は神に由り、克応は煞に由る。諸々の煞のうち、休咎に関わる要緊のものは、遺漏してはならない。太歳月建は気力最も大きく、課に入り伝に臨むすべてを細かに看るべきで、生扶なら吉來ること小さからず、刑害なら凶至ること軽からず。即ち閑地に居るも、その上の神はすべて関わりがあり、忽にしてはならない。およそ歳月の上神が遠く來りて相傷する者は固然として不利であるが、我が遠く去って歳月上神を傷つける者は特に宜しき所でない。ゆえに歳月上神は類と往来して相克すべからずと言うのである。太歳上神は歳中の事を主とし、月建上神は月中の事を主とし、日辰用伝年命上神及び類神のすべてにおいて相傷すべからざるのである。
見聞疑惑占法:およそ旅の途中で遠くから人が来るのを見て、心に疑いがあり、その人が何といった人かを占いたい時は、神后をもって主とし、その加わる孟仲季を視て論ずる。
神后加孟则为善良之人,孟为四长生,所以善良;加仲则为商贾,仲乃四旺,所以为商贾;加季则为凶恶之人,季乃暗金四煞,所以凶恶。责神后者,因神后为十二神之长,一阳始生,首窃天气,可以为善,可以为恶,神变无端,故曰神后,以之责断。
凡占乘舟而来者,以天罡为主,也视所加孟仲季。天罡加孟则为吏人,为人之所长,孟有长象,故吏人称长吏;加仲则为常人,仲有中象、平等之象;加季也为奸恶,季居下流,有藏垢纳污之象。责天罡者,因见舟楫而生疑,罡立卯之前。
凡有类主者,皆当以类加孟仲季来论;无类主者,则以天罡视之。罡为善恶的总主,故兵占决几之占,每每视此。
以上两占皆不言日、辰、用、传、年、命,而视神后天罡者,因呼吸之间安危所系,刻不容缓,多看则乱指,适以增疑。虽然,万一乘象果为凶恶,又该如何处置?即就其所加定体,而以日上辰上决其趋避。
凡辰上神克日上神则吉;辰上旺相而日上休囚者更吉,前行无忌。日上神克辰上神则凶;辰上休囚者更凶,避之可也。惟相生比合而气俱旺相,又乘吉将者,彼虽凶恶,我无忌也。
凡有所问,欲占其虚实如何,也以天罡为主,视所加孟仲季。罡加孟上则为虚诞,孟为始生,事未实也;加仲则虚实参半,仲中有骑墙之象,疑信相参而未决;加季则实,季为四土,信而实也。然日上辰上又当参论:凡日上刑克支上,所言必虚。而罡、魁、螣蛇、白虎、太阴、天空、谩语见于日上者,尤多诡诈;带空亡者,更出无根。若天罡加孟仲,而日又加彼,其虚可知矣。
以上诸占,皆以辰属我、日属人。来与言皆有动相,动则为客;见与闻皆有静象,静则为主。所以日属来言,辰属见闻。主客动静之间,须辨之审慎。
期会占法:凡有相约相会,欲占能否得会,及已去未去。若占他人,则视天罡:罡临日辰,定然得会;罡在日前则为已去;罡在日后则尚未来。又当以所加孟仲季参定:罡加孟则尚未至,加季则为已去,惟加仲则可会。
若占同伴则视胜光(午)。胜光见于贵人之前则为在前;见于贵人之后则犹在后;若恰临日辰,便可相会。视胜光者,午于卦为遇,遇也,故视之。
家内吉凶占法:凡身处客中,欲占家内吉凶,以日辰为主,视所乘天官来论,支为我家。
凡支上之神下生其支,而气旺将吉,则家中无事而安常。若支上神下脱其支,而上气休囚,则多耗费;上神下克其支,而气休将凶,则必多悔而驳杂。若支克其上,而上神旺相,则尚可。
吉凶所主虽在上神,而事类所关在于天将。即如鬼乘天乙,虽云鬼祟神祇,而昼夜阴阳岂无分辨?鬼作螣蛇,虽主惊忧火盗,而旺衰虚实能不周详?大抵天乙、六合、青龙、太常吉事居多,而为凶也浅;玄武、勾陈、朱雀、白虎凶灾常大,而为吉偏轻。天官各有所司,占者贵于类推。苟能达变,自可通穷。妻子父兄,式内岂无其象?刑冲德合,类端各有其神。周览旁搜,情表自见;仰观俯察,象类分明。
「類象思惟」とパターン認識理論。現代の認知科学における**パターン認識(Pattern Recognition)**理論は、人間の脳が複雑な情報を限られたパターンに帰納する能力に優れていることを明らかにしている。大六壬の「類象」体系は、本質的に古人が構築した効率的なパターン認識フレームワークである。すなわち、千変万化する出行のシーンを日干・日支・三伝・年命・天官・神煞といった限られた記号に帰納し、記号の組み合わせによって出行中のリスクパターンを「認識」するのである。この思考方式は、人工知能分野の記号的推論システムと構造的に類似している。
大六壬と意思決定支援システム。近年、一部の学者は大六壬の占断論理を形式化し、ルールベースの伝統的意思決定支援システムの構築を試みている。出行占を例にとれば、「日上空亡」「鬼乗天乙」「子孫旺相」などの条件をルールとして記述し、特定の課体情報を入力すると、システムは構造化されたリスク警告を出力できる。この「伝統的知恵+現代技術」というアプローチは、古典的占法の現代的活用に向けた一つの可能な道筋を示している。
「趨避」思想とリスクコミュニケーション。現代のリスク伝播研究は**リスクコミュニケーション(Risk Communication)**の重要性を強調している——リスクの存在を知らせるだけでなく、それにどう対応すべきかを伝えることがより重要である。《出行門》の「趨避」理念はこれと高度に合致している。占断は凶險の所在を指摘するだけでなく、具体的な回避戦略——「勿行可也」「避之可也」「惟擇其最旺者從之」——をも与えるのである。この「診断+処方」のモデルは、伝統的占法が単なる予測を超える要であり、現代の意思決定方式に対して示唆を与え得る点でもある。