全 48 章中 6 章
子平真诠评注
古書にはよく、日干が得令(月令に当たる)の月にあれば旺相、失令であれば衰敗であると説かれている。これは基本原則ではあるが、固定的な見方であり、柔軟に捉える必要がある。五行の気(金木水火土)は四季の中で絶えず流転しており、各季節に主導する五行はあるものの、他の五行も同時に存在している。例えば、春は木気が令を執り、甲乙木が旺盛となるが、この時、休囚の状態にある戊己土が完全に消滅するわけではなく、一時的に後退して主導権を握らないだけである。実際のところ、春の土は依然として万物を育むことができ、冬の陽光も同様に大地を照らすのである🌱。
徐楽吾注:四季の中において、五行の気は常に存在しており、ただ旺・相・休・囚の状態の違いがあるに過ぎない。例えば、木は春に旺となるが、金・水・火・土が絶滅するわけではなく、ただ時令を得ていないだけである。その中で、火は方生の気として、潜伏期にあっても既に蓬勃とした勢いを持ち、「相」と呼ばれる。金と土は絶地にあるが、気数は回復しようとしている。水は退きつつある気であり、休息の段階にある(陰陽順逆生旺死絶図を参照)。たとえ時令に当たらなくとも、その作用が完全に消失することはない。これは退役軍人や退職官僚のようなもので、田園に隠棲していても能力は依然として残っており、一旦召集されれば効果を発揮する。したがって、失時であるからといって無視してはならない。
さらに、八字では月令を重視するが、旺相休囚は年・月・日・時の四柱の総合的な影響を受け、増減調節の作用がある。したがって、生月が得令でなくとも、年柱や時柱が禄旺の地に逢うならば、どうして安易に衰敗と断じることができようか?一概に論じてはならない。例えば、春の木は強いが、もし金が重すぎれば(干に庚辛が透出し、支に酉丑がある)、火がなければ木は危うく、土が金を生じれば却って夭折に至る。これが「得時而して旺ならず」である。秋の木は弱いが、もし木の根が深く固ければ(干に甲乙が透出し、支に寅卯がある)、官星が透出していても耐えられ、水が生じれば却って過度となる。これが「失時而して弱からず」である。
旺・衰・強・弱の四字は、古人が命を論じる際に混同して用いることが多いが、実際には区別して捉える必要がある。得時を旺とし(春の木、夏の火、秋の金、冬の水)、失時を衰とする。党衆(比肩・劫財や印綬が根を通じて扶助する)を強とし、助寡を弱とする。したがって、旺だが強くない場合や、衰だが弱くない場合がある。甲乙木が寅卯月に生まれるのは得時旺であるが、もし干に庚辛が透出し、支に酉丑があれば、金が党衆となり木は助寡となる。もし干に丙丁が透出し、支に巳午があれば、火が党衆となり、木は泄気され過ぎて、得令していても強くはない。逆に、甲乙木が申酉月に生まれて失時衰であっても、もし比肩・印綬が重なり、年・日・時支が比肩・印綬に根を通じていれば、党衆となり、失時であっても弱くはない。これは日主のみならず、喜用神や忌神についても同様である。
したがって、十干は月令の休囚を問わず、四柱に根があれば、財・官・食神を担い、傷官・七煞にも耐えることができる。根の重軽には等級がある。長生・禄旺は根重(甲が亥子寅卯に逢うなど)、墓庫・余気は根軽(甲が未に逢うのは墓庫、乙が辰に逢うのは余気)である。天干に一比肩を得るよりも、地支に一墓庫がある方が良い。二比肩を得るよりも、一余気がある方が良い。三比肩を得るよりも、一長生・禄刃がある方が良い。陰長生(乙が午に逢う、丁が酉に逢うなど)は根重とは論じないが、余気に比することができる。比劫は友人の助けのようなもの、通根は家庭の基盤のようなものである。干が多くても根が重いには及ばない。道理は自然とそういうものである🔥🌊。
徐楽吾注:この節の論述は精妙である。墓庫は自身の庫(未は木庫、戌は火庫、辰は水庫、丑は金庫)であり、通用できない。余気も同様である(辰は木余気、未は火余気、戌は金余気、丑は水余気)。例えば、清明後十二日は乙木が依然として司令しており、根気は軽くない。しかし土旺後は軽くなるが、それでも一比肩に匹敵する。乙が戌に逢い、丁が丑に逢うのは本庫・余気ではないので、通根とは論じない。陰長生(乙午、丁酉など)については、実際は死地であり、どうして根となり得ようか?これは俗説の矛盾点である。比劫は助けにはなるが通根でなければ、浮いて実がない。例えば四辛卯(金に根なし)、四丙申(火に根なし)は、天元一気であっても弱と論じる。要するに、干が多くても支の重さには及ばず、通根の中では月令支が最も重い。
今人は命理を理解せず、夏の水や冬の火を見ると、通根を問わずに弱と断じる。さらに誤って、陽干が庫に逢う場合(壬が辰に逢う、丙が戌に坐すなど)は刑衝して庫を開く必要があると考えている者さえいるが、これは謬論であり、このような誤りは一掃されなければならない。命理には五星、六壬など様々な体系があるが、子平は五行を用いて命を評し、その万変も宗(根本原理)を離れない。理をもって相衡(衡量)すれば、謬論は自ずと打破できる⛰🌬。