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易冒
君子は学問を修めることで道を学び、百工は練習を重ねることで技を磨く。儒学の道を学ぶ者は、文書爻(学業の基盤を象徴する)が堅実であれば名声は高く響き、世爻(求測者自身の基盤を象徴する)が虚しく空亡していれば、徳行も事業も頓挫して進まない。
もし九流百工のような技芸で生計を立てる道に従事するならば、官鬼爻(名声と評判を象徴する)が整っていれば人々の敬慕を受け、妻財爻(利益と収益を象徴する)が旺盛であれば財利は豊かになる。およそ百工の技芸に従事する者は、みな妻財爻を核心的な用神とする。
(学問は身を守ることができるので、父母爻は文書・学業を表す。官鬼爻は名声・道徳的な声望を表す。妻財爻は利息・収益を表す。財と官の両方が備わっていれば、その事業は必ず盛んになる。)
もし百工の者がまだ何の行業に従事すべきか決めておらず、どの方向に進むべきかを占うならば、妻財爻の値する五行の属性を見て推し量る:🪙金の財を得れば金玉器の加工などの業に向く。🌊水の財を得れば水沢での漁撈や舟船など水に関わる技芸に向く。🔥火の財は機織り・裁縫・陶器焼きなどに適する。⛰土の財は農業耕作・泥土砂石などの土木作業に適する。🌱木の財は庭園園芸・樵採り・桑麻栽培などに適する。
財爻が坎宮(☵水)に発動すれば、養豚・酒造などの業に向く。妻財爻が離宮(☲火)で突出していれば、陶炉・冶金の事に適する。震宮(☳雷)・巽宮(☴風)は舟車運搬のような生計の道に適する。乾宮(☰天)・兑宮(☱沢)は珍宝・玩好・銅鉄鍛冶のような工芸に適する。艮宮(☶山)の者は樵採りを好み、坤宮(☷地)の者は農耕を好む。
(財爻の値する五行の属性、財爻が発動して在る宮位によって推し量る。玩好とは宝・金玉を指し、敲槌とは銅鉄の職人を指す。)
天医星が財に臨めば医業に向き、駅馬星が財に臨めば商売に向き、貴人星が財に臨めば官府の役目に向き、天罡星が財に臨めば漁猟に向き、朱雀が財に臨めば芸能に向き、白虎が財に臨めば屠殺に向き、青龍が財に臨めば文翰・筆墨に向き、螣蛇が財に臨めば芝居・雑技に向き、勾陳が財に臨めば工匠・普請に向き、玄武が財に臨めば幕僚・謀士に向く。財爻が旺盛であればその行業に向かうのが良く、財爻が衰弱していれば避けるべきである。
(財爻の値する星殺と六神によって総合的に判断する。役とは、隷卒・下役を指す。幕とは、幕賓・参謀之人を指す。財が旺ならば値する行業、この業は必ず盛んになるだろう。財が衰ならば臨む行業、この業は発展し難い。もし卦中に財爻が無ければ、子孫爻を財の元神とし、子孫が離宮に発動すれば陶業に適し、朱雀に臨めば芸能に適する。)
成業(事業を成せるか):世爻が空亡すれば事業は成らない。卦が六沖に逢えば途中で放棄する象がある。
執役(人に雇われること):妻財爻と官鬼爻が旺盛であれば、利益は自分の家に帰する。官鬼爻が世爻を剋せば、処罰・杖罰の憂いがある。
業牙(仲介人・ブローカーをすること):妻財爻と官鬼爻が旺盛であれば、客商が門下に雲集する。応爻が空亡すれば、網を張って待つも客が来ない嘆きがある。
丹炉の術(丹を錬ること)を学ぶには妻財爻を用神とする。符呪の術を学ぶには官鬼爻を用神とする。修養(養生・修道)を学ぶには世爻を用神とする。この三つは区別がある。その他の諸々の工巧の技能は、みな妻財爻を用神とする。
(符呪の術は霊験・神通を求めるので、官鬼爻を用いる。修養の術は長生・延年を求めるので、世爻を用いる。その他の工巧の技能は、専ら身を養い家を立てることに用いるので、妻財爻を執って用いる。)
要するに、職業を問う肝要は利益を趨くことにあり、行業の利益の特性に従って対応する用神を弁別し、用神は行業に随って移り変わり、吉凶はおのずから明らかになる。
本章は用神可変性を核⼼とする職業占断の体系を構築している。この体系において、用神は固定されたものではなく、問われる職業の性質に応じて柔軟に切り替わる:学業を問えば父母爻(文書)を用い、商業を問えば妻財爻を用い、名声を問えば官鬼爻を用い、符呪の霊験を問うても官鬼爻を用い、養生・修道を問えば世爻を用いる。この思想は易占における「体用一源」の哲学を体現している:同じ卦象であっても、問われる事柄が異なれば、用神もそれに従って変わる。
同時に、本章は体系的な行業分類法を打ち立て、五行・八宮・六神・星殺と具体的な行業を対応させ、古代の職業図鑑を形成している。この分類法は古人の事物の属性に対する深い観察を反映している——🔥火性は炎上するので、機織り・陶炉など火で加熱する必要のある工芸に対応する。🌊水性は潤下するので、漁猟・酒造など水に関わる行業に対応する。
この職業占断法は、現代の文脈では職業傾向性分析のツールに転化できる。五行の属性を異なる職業能力の次元として理解する:
| 五行 | 対応能力 | 現代の職業方向 |
|---|---|---|
| 🪙金 | 精密さ・構造性 | 精密製造・金融・法律 |
| 🌊水 | 流動性・コミュニケーション力 | 物流・貿易・メディア |
| 🔥火 | 表現力・影響力 | デザイン・芸能・飲食 |
| ⛰土 | 安定性・系統性 | 農業・建設・行政管理 |
| 🌱木 | 成長性・教育性 | 教育・園芸・健康管理 |
六神の対応も、異なる職業的人格特性として理解できる:青龍は文才型、朱雀は表現型、白虎は行動型、玄武は戦略型、螣蛇は演技型、勾陳は職人型を表す。現代のキャリアプランニングにおける人格検査は、この古風な分類思考と趣を同じくする。
職業の方向性を選ぶ際や職業転換を評価する際に、本章の財官両備の原則を参考にできる:理想的な職業は経済的報酬(財)と社会的承認(官)の両方を兼ね備えるべきであり、どちらかが欠けても長続きしない。収入だけを重視して達成感が無ければ、また名声だけを重視して経済的収益が無ければ、どちらも持続し難い。
起業家にとっては、「世空ならば成らず、六沖ならば半途で廃す」という戒めは現実的な意義を持つ:起業失敗の最も一般的な原因は、まさに自己準備の不足(世空)とチーム内の内輪もめ(六沖)である。
本章に込められた深層の哲学は次の通りである:人の職業選択は、本質的に自身の五行の素質と外部世界とのマッチングの過程である。両者がマッチした時には「財旺」——資源が自然に流入してくる。両者がマッチしない時には「財衰」——努力しても蓄積が難しい。これは現代心理学の「人-職務適合」理論と軌を一にする。古代の知恵は五行を媒介として、個人の素質と職業の属性を系統的に対応させた。その底層の論理は現代の職業興味検査と異曲同工である。
古人が書籍教育を受けるにあたり、経学が最も尊ばれた。経学は義理の源泉であり、科名を得るための拠り所でもある。ゆえに官鬼爻と父母爻(文書)の両方が旺盛であれば、経術によって名誉と栄光を得ることができる。世爻が空亡すれば、白髪になっても何も成就しない。
概括的にどの経を読むべきか問うならば、五行によって区分する:🪙金は**『春秋』、その義理を裁断する意を取る。⛰土は『易経』、その誠信篤実の意を取る。🔥火は『礼記』、その文明礼教の意を取る。🌱木は『詩経』、その音楽に載せる意を取る。🌊水は『書経』**、その洛水から出たことを取る。
ただし、概括的に問うよりは専門的に占筮する方が明確である。専筮では官鬼爻と父母爻が旺盛かつ堅実かを考查し、この二者が月建と日辰に臨んでいれば、抜擢は間近である。
(概筮は:文書爻の所属する五行を基準とし、旺ならばその経を読むに適し、衰ならば避けるべきである。専筮は:ただ官鬼・文書の旺相を喜び、世爻は空亡を最も忌む。)
改経(学ぶ経典を変えること)を占うのは、功名を求めるのと同じくする:父母爻と官鬼爻が旺盛ならば功名は成り、世爻が空亡ならば才はあっても遇われない。
治経(経典を研鑽すること)が成就するか、著書(書を著すこと)が完成するかは、父母爻と世爻が一処たりとも空亡しないことが肝要である。
筆耕書佣(筆耕・写生で生計を立てること)・売文売画(文や画を売って生計を立てること)は、父母爻と妻財爻の両方が揃うことを喜ぶ。すなわち文才と財利を兼ね得ることを指す。
宗門禅理の奥義を悟ろうとするならば、六沖と世爻の空亡を忌む。
古今の文章を著述し、聖賢の伝承を明らかにしようとするならば、世爻の空亡と文書爻の衰弱への陥落を忌む。
天書(道教の符籙秘法)の奥義を演ようとするならば、同样に世爻の空亡と六沖を忌み、文書が陷落すれば伝える道は虚妄となり、官鬼爻が旺相ならば名声は高く顕れる。
祖宗の譜(祖先の系譜)を修撰しようとするならば、父母爻が旺相ならば祖先は後世に名を残し、世爻が空亡または六沖ならば修譜の事業は完成し難い。
要するに、学問は道を求めることにあり、自身の成就が肝要なので、六沖と世空を戒めとする。学問は進取のことにあり、名声の成就が肝要なので、文書爻の旺相を要とする。占う者はこの二つの異なる目標の志向を注意深く弁別すべきである。
本章は学習活動を目的によって二大類型に分ける:求道型(修身養性・真理の悟得を目的とする)と求名型(科挙の功名・著書立説を目的とする)。異なる類型の学研活動は、用神の關注点が異なる:求道型は世爻(自身の修養)を重んじ、求名型は父母爻(文章著述)と官鬼爻(功名地位)を重んじる。
同時に、本章は「概問は専筮に如かず」という方法論の思想を提起している:漠然と「私は何を学ぶのに適しているか」と問うより、「私がこれを学んで成就できるか」と具体的に問う方が良い。前者は粗雑な五行分類の提案しか与えられないが、後者は明確な吉凶判断を与えることができる。このような模糊から精確への占断戦略は、古人の占筮方法論に対する深い認識を体現している。
五経を五行に対応させる思考は、本質的に異なる学問領域を属性分類することである。この分類法は現代の学術体系においてもなお示唆に富む:
| 五行 | 経典 | 核心的特質 | 現代の学科対応 |
|---|---|---|---|
| 🪙金 | 『春秋』 | 判断・裁断 | 法学・倫理学 |
| ⛰土 | 『易経』 | システム思考 | 哲学・システム科学 |
| 🔥火 | 『礼記』 | 文明規範 | 社会学・人類学 |
| 🌱木 | 『詩経』 | 情感表現 | 文学・芸術 |
| 🌊水 | 『書経』 | 歴史伝承 | 歴史学・政治学 |
「文世は一処たりとも空んぜざるべし」という戒めは現代の学術研究にもそのまま当てはまる:学者が文章だけを持ち(父母爻旺)ながら自身の学術的立場や人格的修養を欠く場合(世爻空)、結局は大成し難い。逆に、熱意だけで産出能力がなければ、同様に立足することはできない。
現代の求学者に対して、本章は重要な意思決定の枠組みを提供する:
本章に込められた哲学的問題は次の通りである:学習は一体何のためにあるのか? 求道と求名の区別は、本質的に内在的価値と手段的価値の区別に対応している。学問・求道それ自体が目的であり、功名利禄はただの副産物に過ぎない。古人はこれについて清醒な認識を持っていた——占断の際に先ず用神を別々にし、決して混同しない。このような価値の二分法は、現代の教育分野においても深遠な意義を持つ:社会が求名を過度に強調し(受験・就職)、求道を軽視する時(人格形成・真理探求)、教育は魂を失うのである。
良師に親しみ益友を選ぶことは、学業進取の上で尊ばれることである。ゆえに父母爻(文書)を用神とし、休囚の状態にあるのは宜しくない。休囚であれば「伴食」—— 先生はただ食卓に同席するだけで真の学識が無い——と嘲笑される。空亡または月破に当たるのは宜しくない。空破であれば師資の教えを得ることができない。星散や絶地に当たるのは宜しくない。散絶であれば半途で放棄する嫌疑が多い。
卦が三沖(六沖に内外相沖が加わること)に逢えば、主客の間で往き来が絶え、一年の教学の効を収め難い。游魂卦は心志が定まらず漂うことを主とし、必ず門を改め師を換える、他の師の門に投じようとする心がある。
ゆえに、父母爻が日辰月建に臨んでいれば、先生は厳格で道業が尊ばれ、世爻が生扶を得れば段階を踏んで進み、教えることが上手く、名実ともに兼ね備える。父母爻が動いて化旺(衰から旺へ変わる)すれば、先生は最初は怠け後で勤勉になる。動いて化衰(旺から衰へ変わる)すれば、最初は厳しく後に緩くなる。
父母爻が退神に化すれば、先生は次第に倦怠を生じ、勧学の力が弱まる。進神に化すれば日増しに振作する。父母爻が父母爻に化すれば、先生は教える経典を替えるだろう。父母爻が妻財爻に化すれば、儒から商に転じ、学問を棄てて商業に従う。
父母爻が官鬼爻に化すれば、高官との交際がある。父母爻が兄弟爻に化すれば、朋友が随従する。父母爻が子孫爻に化すれば、先生は清高で閑適、道学を好み、超然物外の心が多い。
父母爻が旺で世を剋すれば、先生は学問に対して厳しい要求があり、成才を督励する功がある。衰えて世を剋すれば、先生は飲食起居に対して全きを求める意がある。
兄弟爻が発動すれば、同門の間で主人の寵愛を争うことが多い。子孫爻が発動すれば、学生が付き従うことが多い。官鬼爻が発動すれば、名声が高い。妻財爻が発動すれば、金銭・利益を重視する。
もし父が子のために師を聘するために占うならば、応爻を以て先生(西席)とし、世爻を以て東家(聘する側)とする。応爻が世爻を生じれば、主賓は互いに引き立て合う。応爻が世爻を剋すれば、游学して師に従う道は容易でない。応爻が空亡すれば先生は久しく留まる気が無く、応爻が発動すれば先生の心志は専らでなく、応爻が破散すれば先生の身体は安らかでない。そして世爻が発動または世爻が空亡すれば、我が方が先ず倦怠しているのである。
しかしながら、進徳修業は必ず文書(教学の質)に懸かっている。ゆえに父母爻は一処たりとも病態があってはならない。もし応爻が旺で父母爻が衰ならば、先生は身体は安らかだが真の学識が無く、切磋琢磨の利益を得ることができない。
(自ら師を聘することを占えば父母爻を用神とし、父が子に代わって占えば兼ねて応爻を見る。応爻は先生の身体の状態を表し、父母爻は先生の道徳・学業を表すからである。)
父母爻を以て先生を表すのは、その道業を尊ぶからである。世応を以て主賓を表すのは、その体制関係を考察するからである。先生の賢愚・優劣は、専ら父母爻を観察する。しかしもし百工が技芸を学ぶならば、その技は道業ではなく、専ら応爻に拠って判定する:ただ六合および応爻が旺相で世を生じることのみが吉である。
ゆえに、応爻が空亡すれば先生の技は精しくなく、応爻が破散すれば制作の工芸が不完全で、応爻が墓に落ち入り或いは絶地にあればその技は巧みでない。応爻が世を剋すれば使者の使い・求めが多い。三沖ならば長く付き合うことができない。
(道業は博学を尊ぶので、専ら父母爻を用いる。技芸は独特の精巧を尊ぶので、専ら応爻を用いる。)
附学(他人に従って学ぶこと)を占うならば、学業を先とし、また父母爻(文書)を見る。三沖と文書の陷落を忌む。兄弟爻の発動が世を剋すれば、学友は輕薄・誇妄である。応爻が世を剋すれば、主家(先生や学堂)が金銭を重視し過ぎる。
相資(学友同士の互助)を占うならば、これは朋友関係であって師弟関係ではない。応爻を見る:六合で世爻を生扶することを喜び、三沖で世を剋することを忌む。応爻が旺相で生扶することを喜び、応爻の空破散絶を忌む。
もし同坐(同窓で共に読書すること)に功效があり、館地(学習の場所)に益があれば、また兼ねて父母爻(文書)を見る必要がある。
館地が安穏かを占う:世爻は空破散絶であってはならず、官鬼爻は交重・発動が宜しくない。そうすれば安寧に居ることができる。もし随官入墓・助鬼傷身があれば、やはり災禍がある。
蒙読(幼児の啓蒙)が安穏かを占う:ただ子孫爻の旺相を取って吉とし、官鬼爻の発動および命爻の墓への入りは宜しくない。
附親遠学(親戚に寄宿して遠方で学ぶこと)・離郷寄読(故郷を離れて下宿して読書すること)および入学の吉日選びは、すべて同じ占法であり、兼ねて父母爻の旺衰を見る。
師を延くことが成功するかを占う:本卦が沖に逢う・合処が沖に逢う・世爻が空亡・応爻が空亡、および卦中に官鬼爻が無いならば、師を延くことは成らない。
師を邀えて遠游することを占う:父が占えば応爻が壊れていれば従わず、子が占えば父母爻が壊れていれば先生が承諾しない。
師を訪ねて会えるかを占う:応爻が空亡または六沖ならば、その門に入ることができない。
生み養うのは親であり、造就するのは師である。どうして慎重にしないでいられようか。
本章は完全な師資評価システムを構築しており、核心思想は二重用神である:父母爻で先生の徳業・才学(内的素質)を考察し、応爻で先生の身体状態と態度(外的表現)を考察する。この二分法は極めて賢明である——先生は真の学識(父母爻旺)と良好な身体状態・教学意欲(応爻旺)の両方を備えるべきであり、両者が揃って初めて良師と言える。
更に精妙なのは、本章が道業と技芸の二種の師承関係を区別している点である:道(儒学・禅修など)を学ぶには父母爻を主とし、技芸(百工の手技など)を学ぶには応爻を主とする。この区別の背後にある論理は次の通りである:道は学説体系の伝承を貴ぶので、先生の学術的造詣を考察する必要がある。技は操作能力の伝授を貴ぶので、先生自身の技芸水準と身体状態を考察する必要がある。
現代の教育文脈では、本章の師資評価の枠組みは教師の総合的素質の多次元評価に転化できる:
| 占卜要素 | 対応次元 | 現代の評価指標 |
|---|---|---|
| 父母爻旺相 | 学術的造詣 | 専門水準・研究能力 |
| 応爻旺相 | 教学状態 | 心身の健康・教学の熱意 |
| 世応相生 | 師生関係 | 教学相長・良性互動 |
| 六沖 | 契約安定性 | 離職率・契約履行 |
| 父母化進神 | 持續的発展 | 自己啓発・生涯学習 |
| 父母化退神 | 職業的倦怠 | 教学の懈怠・形骸化 |
「動いて衰に変ずれば、先ず惰り後に勤む。動いて旺に変ずれば、先ず厳しく後に弊す」という判断も、現代の教師評価において対応物がある:初期の印象と実際の表現の間には往々にしてギャップがあり、長期的観察によって初めて正確な評価ができる。
現代の親が先生を選び、学生が指導教官を選ぶ際に、本章はいくつかの実用的な判断基準を提供する:
本章の最も深い哲学的洞察は「生我者は親、成我者は師」という言葉にある。伝統的な中国人の生命構造において、血縁関係(親)と精神的伝承(師)は二つの並行する絆であり、共に人間の成長を形作る。師道の尊厳の根源は、师生間の権力関係にあるのではなく、知識伝承そのものの神聖さにある。「父母爻を以て師と為すは、その道を尊ぶなり」——師が尊敬に値するのは、師が「道」を担っているからであり、師個人が特別な地位を持つからではない。この道を先とする師道観は、教育の商業化・功利化が進む現代において、特に反省の価値がある。
館地(教学・下宿の場所)の有無と成否を占う:六合で世爻を生扶することを喜び、三沖及び応爻の空亡を忌む。
館地が何処にあるかを占う:応爻の値する方位によって推断する。応爻が坎宮(☵)または兑宮(☱)にあれば、水辺に近い。震宮(☳)または巽宮(☴)にあれば、山林の奥深くにある。坤宮(☷)または艮宮(☶)にあれば、山野の間にある。離宮(☲)にあれば、城市の中にある。乾宮(☰)にあれば、大都市または宮廷・霊廟の近くにある。
応爻が父母爻に居れば、館地は詩書礼楽の家である。応爻が官鬼爻に居れば、仕宦・官吏の家である。応爻が妻財爻に居れば、商賈の家である。応爻が兄弟爻に居れば、同輩の友人の家である。応爻が子孫爻に居れば、清閑で道徳の門である。
陰陽によって男女の主人の延請を区別し、内外卦によって遠近の招きを区別し、游魂帰魂卦によって本地か他郷かを区別し、六神によって周囲の景色を弁別し、諸星殺によって人事を推断する。
(応爻が青龍を帯びれば、その地は長林豊草の間に在る。玄武を帯びれば、その家は水畔池傍に在る。朱雀を帯びれば、賑やかな市・煙村の中に在る。白虎を帯びれば、荒郷僻境の処に在る。勾陳を帯びれば、田野・古い墓地に近い。螣蛇を帯びれば、往来の工芸・舟車の間にある。貴人星は官宦の家、駅馬星は商旅の家、華蓋星は僧道の家、天財星は富商の家、天猪星は屠戸の家。その他はこれに類推する。)
何時館地を得られるかを占う:世爻が実を得・生を得・合を得る時が、すなわち応期である。
(応爻が填実・生扶され・世爻を合する時間的节点。)
すでに招かれた後、就館が吉かを占う:三沖ならば課業は善終し難い。妻財爻が陷落すれば俸給は微薄である。応爻が空亡すれば主人に師道を尊ぶ志が無い。応爻が世を剋すれば先生を軽んずる嫌疑がある。応爻が破散絶地にあれば学生を怠る心がある。ただ六合・妻財爻の旺相・応爻が世を生じることのみが吉兆である。
館地がすでに定まり、我が此処に身心安定かを占う:随官入墓・助鬼傷身は犯してはならない。世爻と用神の空破散絶は遭遇してはならない。官鬼爻は発動してはならない。もし発動すれば、五行・八宮・六神・諸星殺によって詳細に推断する。
(官鬼が静かならば警戒することはない。官鬼が動けば多くの禁忌がある。艮宮は童僕が災いを起こすことを主とし、兑宮は婦女が是非を生ずることを主とし、乾坤宮は老翁・老婦の憎悪を防ぎ、震巽宮は小工人・技師の讒言を慎み、坎宮は盗難に驚き、離宮は火災に驚く。これらは八宮の簡要な列挙である。金は喪亡を主とし、火は是非を主とし、土は疾病を主とし、水は損失を主とし、木は断折を主とする。咸池星は淫乱を主とし、天賊星は盗賊を主とし、官符星は官司・訴訟を主とし、駅馬星は遷動を主とする。これらは五行と諸星殺の簡要な列挙である。六神も同様である:玄武は遺失を主とし、朱雀は誹謗を主とし、青龍は酒に溺れて事を敗ることを主とし、白虎は兵禍・喪事の失利を主とし、勾陳は迟疑・煩悶を主とし、螣蛇は浮動・驚惶を主とする。)
設帳(席を設けて学生を募ること)を占う:応爻の空亡ならば背笈して来る学生が無く、妻財爻が虚弱ならば学館の収入は豊かでない。
附学来者(学生が従って来て寄学すること)を占う:設帳の占法と同じである。
代席(代わりに授業をすること)を占う:館を成す占法と同じである。
辞館(教職を辞すること)を占う:応爻を主人とする。応爻が世を剋すれば辞することができない。応爻が空散破絶ならば辞することが成らない。主人が許さなければ、六沖でも解くことはできない。主人が許さなければ、游魂でもどうして辞することができようか。ただ応爻が堅実でかつ世を剋さなければ、初めて去ることができる。
薦館(館地を推薦すること)を占うのは、人に事を託するのに似る:本卦が沖に逢う・応爻が壊れていれば推薦が不力であり、応爻が世を剋すれば推薦する人が忠心でない。
攘館(他人の館地を奪うこと)を占うのは、婚を奪うのと同じである:応爻が破散空亡ならば、相手の謀は成らない。応爻が世を剋すれば、かえって相手に奪われる。
選文刻書(文章を編選し書籍を彫刻すること)を占うことがある:用神が二つある——名声を求めるなら父母爻を用い、利益を求めるなら妻財爻を用いる。
卜徒(弟子を取ること)の善悪を占う:用神も二つある——三教(儒仏道)の師弟は父子の如くであるから子孫爻を用いる。百工の技芸は利益を謀ることを目的とするので応爻に拠る。しかしながら、正式に拝師の礼を行った後には、子孫爻と応爻との区別がある。束修(学費)を納める前には、すべて応爻から判断する。この点は三教と百工が同じである。応爻が世を剋すれば,その人は偽り欺罔である。応爻が空破散絶ならば,その人の品性は劣悪である。三沖ならば恒心が無い。妻財爻の空亡ならば礼金が無い。
衙幕に館すること(官衙で幕僚をすること)、及び富豪と同業すること(富人と協力して働くこと)を占う:妻財爻・官鬼爻・世爻・応爻、その生じ合うことを喜び、その空沖を忌む。
何処でチャンスに遇えるかを占う:応爻を用とせず、妻財爻を用いる。財爻の生ずる方位、財爻が発動して在る宮位、これが図るべき方向である。財爻の所属する五行が、すなわち行業の象徴である。六神と諸星殺は参考として判断する。
(財爻の発動は宮位を見る:例えば財爻が乾宮で発動すれば、西北の方へ赴くのが良い。財爻の安静は生ずる方をみる:例えば財爻が金に属すれば、東南方へ赴くのが良い。妻財が水に臨めば、魚塩の業・江海の浜に遇う。妻財が木に臨めば、花果の行・山林の所に遇う。土ならば田野を求め、火ならば城市を求め、金ならば玉石を求める。六神では:玄武は水を主とし、青龍は木を主とし、白虎は兵を主とし、朱雀は市井を主とし、螣蛇は商旅を主とし、勾陳は医術を主とする。星殺では:天医星は医使を主とし、華蓋星は僧従を主とする。いずれも財爻によって考究する。人の招聘を受け入れるならば、世応の関係を先とし、人のために働くならば、財利を要務とする。)
本章は古代の就業・職業環境分析の百科事典である。核心思想は多次元用神体系を就業シーンで総合的に運用することである:館の有無は世応関係を見て、館の方位は応爻の所在宮位と五行属性を見て、館のタイプは応爻が臨む六親を見て、館の環境は六神を見て、いつ館を得られるかは応期を見て、就館の吉凶は財爻(俸給)と世応関係を見る。
この多次元分析の枠組みは非常に成熟しており、現代の就業決定における全要素評価に相当する:仕事があるかないか(成否)だけでなく、何処にあるか(地域)、何のタイプか(業界)、何の環境か(企業文化)、いつ就職できるか(時間)、就職後に良いかどうか(安定性と発展性)を見るのである。
「応爻が父母に居れば詩書礼楽の家、官鬼に居れば仕宦吏胥の宅、妻財に居れば商賈、兄弟に居れば同侪、子孫に居れば清閑道徳の門」——この対応関係の現代的な解釈は、異なるタイプの雇用主が異なる組織文化を持つということである。父母爻が表すのは教育・研究機関、官鬼爻が表すのは政府部門、妻財爻が表すのは商業企業、兄弟爻が表すのは同業のスタートアップ、子孫爻が表すのは文化・公益組織である。
六神と企業環境の対応の解釈が特に見事である:青龍は緑豊かな生態・文化的雰囲気の濃厚な環境を表し、朱雀は賑やかな繁華街・都心を表し、白虎は辺鄙な荒れ地を表し、玄武は水辺に近いことを表し、勾陳は田園・田舎に近いことを表し、螣蛇は交通の要衝・工業地帯を表す。このような空間環境分析は現代の立地決定においてもなお參考価値がある。
本章は現代の就業決定のために系統的な思考の枠組みを提供する:
「人の招きを納むるは、世応を先とす。人の事を服せるは、財利を務めとす」——この言葉は就業関係の二つの層を精確に要約している:関係の層(世応:私と雇用主がマッチしているか、相互尊重があるか)と利益の層(財爻:労働報酬が合理的か)である。現代の労働関係では、利益の層を過度に強調し関係の層を軽視することで、「高給を得たが心身ともに疲弊する」という事例が大量に発生している。古人はとっくに指摘していた通り、仕事を選ぶことは本質的に関係を選ぶことであり、利益はこの関係の一つの次元に過ぎない。
国家は文章によって人材を選抜する。ゆえに大小の試験を問わず、父母爻(文書)を用神とする。ゆえに父母爻は日辰月建に臨み・旺相の状態にあることを喜び、月破・星散・絶地・空亡を忌む。
飛べて助無し(父母爻が外に飛んで伏神の生助が無い)は、空しく満腹の経綸があっても施展する処がない。伏して填め有り(父母爻が伏蔵するが填実の日がある)は、必ず朝廷に入って官となる。安郷にて克に遇う(父母爻が安静なのに克を受ける)は、鳥が飛ぼうとして撃ち落とされるようなものだ。絶処にて生に逢う(父母爻が絶地にあるのに生を得る)は、すでに放棄されたが再び収録される。
卦象が凶で最終的に吉なるのは、時に遇うからである。卦象が吉で最終的に失うのは、時令に背くからである。
ただ父母爻が月建に臨むと月破に臨むの二つの場合のみ、この例に従わない。
名を得られるかは自身にあるので、世爻は空亡してはならない。主考官は公にあるので、官鬼爻は失ってはならない。
(名を求める者は父母爻を用神とし、官鬼爻が完备し、世爻が堅実ならば吉である。飛べて助無しの例、未月辛日の漸卦の如し。伏して填め有るの例、午月戊午日の大畜卦の如し。安郷にて克を受くるの例、亥月甲寅日の乾卦の如し。絶処にて生に逢うの例、申月乙巳日の震之随卦の如し。其の時に遇うの例、卯月丁亥日に秋試を占って得た大過之井卦の如し。其の令に違うの例、寅月辛亥日に春試を占って得た師之坤卦の如し。時に遇うとは、試験の時に官鬼・文書がちょうど月建に値すること。令に違うとは、試験の時に官鬼・文書がちょうど月破に値すること。もし文書が学業を象徴するなら、今月建に値し後に月破に逢っても壊れない。今月破に値し後に月建に逢っても完全ではない。)
或る人は六沖は不吉と言う。答えて曰く、必ずしもそうではない——試験が阻まれる前触れであることもある。
或る人は合処逢沖(合の処が沖に逢う)不吉と言う。答えて曰く、必ずしもそうではない——試験に臨む時に変化が起こることもある。
或る人は悔沖(上爻が動いて沖に変ずる)不吉と言う。答えて曰く、必ずしもそうではない——名を得た後に事が煩わしいことを心配することもある。
或る人は随官入墓・助鬼傷身不吉と言う。答えて曰く、必ずしもそうではない——功名が成就した後に疾病・驚惶が絡みつくこともある。
或る人は二分(官文両現)不吉と言う。答えて曰く、必ずしもそうではない——名を求めて二処で得就することもある。
或る人は兄弟爻の動不吉と言う。無非は奪標の嫌疑である。子孫爻の動が官鬼を傷つけるのは、無非は嘱託して手回しをすることである。妻財爻の動が父母爻を剋するのは、無非は賄賂の人のことである。ただ官鬼爻と父母爻の両方が強旺ならば、依然として得志することができる。
科挙の古占で、乾卦または震卦を得れば吉とする。乾は天、震は雷、元首と声名に応ずる。しかしながらいずれも父母爻の発動・官鬼爻の顕発・化変飛騰に拠る。もし父母爻が失陷し、官鬼爻が空亡ならば、寧ろ科第の落第を認める方が良い。
(以上の八種の状況は、名を求めるに宜しくないと雖も、もし官文が旺相で兼備すれば、先に阻礙に遇いて後に名声を成すことがある。)
ゆえに、抜元抜首(首席で及第すること)は、父母爻が日と月の上に建つことを要する。補増補廩(増生を補い・廩生を補うこと)は、妻財爻が豊厚に並び臨むことを喜ぶ。
世爻が父母爻に居て旺相ならば、かつて十分な揣摩・研習を経ていることを示す。応爻が父母爻に坐して発動すれば、風簷(試験場)の助力に頼るべきである。
父母爻が動いて化旺すれば、後勁のある文章を喜ぶ。動いて化衰すれば、強弩の末(勢いの失せた力)であることを惜しむ。
進神に化すれば名次は上がり、退神に化すれば名次は下がる。
各爻が相互に扶助すれば、文章は斗牛の星の如く璀璨と輝く。諸象が相生すれば、姓氏は日月の輝きの如く懸かる。
両官両父(官鬼と父母が各二つ現れる)、旺ならば引き続いて登第し、衰ならば一度再度試みる。
突然の疾病・心の憂い、確かに随官入墓の象である。行いが規則を越え・心の恐れ、豈に助鬼傷身の兆に非ずや。
父母爻が壊れて螣蛇を帯びれば、近々降職・辱めの憂いがある。妻財爻が動いて白虎に臨めば、遠く父母の喪服の痛みに応ずる。
父母爻が衰えて青龍・朱雀に居れば、詩書・字句には長けるが大作には短ける。父母爻が廃れて勾陳・玄武に居れば、誦読を荒廃させ酒色に耽る。
世爻が月破に投ずれば、疾病が試験日を妨げることを恐れる。世爻が旬空を犯せば、心神が慵懶で俗務に煩わされることを忌む。
気有りて傷有るは、小さな瑕疵の過ちである。根無くして倚無きは、大いに荒謬の篇を嫌う。
何年に発迹するかを占う:官鬼爻が衰ならば官鬼を助ける年、父母爻が衰ならば父母を補う歳である。両爻が併せ現れればその弱き者を強くし、一爻が伏蔵すればその露蔵を待つ時である。世爻が実を得る年が、すなわち応期である。
(例えば父母卯が旺で、官鬼卯が衰ならば、官を助ける歳を期とする。官鬼が旺で、父母が衰ならば、文を補う年を発とする。官文両現すれば、もし一が衰ならば、その弱き爻を生助する。例えば酉月壬戌日の革卦を得て、丑年に発甲した。官文一が伏すれば、後にその蔵する所を露わす時に遇う。例えば亥月乙卯日の旅卦を得て、辛卯年に科挙に発した。既に考第を問い又年份を問い、或いは世空ならば、世爻が実を得る歳に応ずるべきである。)
考官は何時来るか(試験期日)を占う:ただ官鬼爻を見る。発案は何時か(合格発表日)を占う:兼ねて父母爻を詳らかにする。
収試遺生(遺漏した考生を录取すること)を占う:専ら官鬼爻(繋象)を見る。官爻が空散ならば考官に才を惜しむ心が無く、破絶ならば広く賢才を納れる雅量が欠ける。最も忌むは官爻が世を剋すること、刑殺の禍を恐れる。
(凡そ考案の事はただ官鬼爻のみを見て、発案・掛榜の事は兼ねて官鬼と父母爻を見る。繋象とは官爻のこと、帯病ならば録取されず、世を剋すれば考官が怒る。)
糧有りて補うべきは(廩糧を待って欠員を補う状態)、世爻が空亡し、妻財爻が壊れていれば成功しない。廩生羸補は(廩生の助成)、官鬼爻が剋し・官爻が消亡すれば駁回を恐れる。
廩を成せるか(廩生の資格を得られるか)は、謀事と同じ占法である。廩を攘めるか(廩の欠員を奪えるか)は、物を奪うことに類する。
(官爻の空破及び世爻を剋することは、主考官が聢としないことである。或る欠員を指定して成るかは、本卦の合中に沖有る・世応の空亡・財官の失陷を見れば、成らない。他人が来て奪い・名額を代わり・冒籍同類することを憂える。応爻が世を剋さなければ人に奪われることはない。)
廷試擢第(殿試の录取)を占う:専ら官鬼爻の旺相を要とす。日と月が並び見えれば首魁を奪い、時令が旺相ならば進士に高中する。世爻は空亡が宜しくなく、父母爻は陷落が宜しくない。官爻が旺で歳五(太歳と五爻)が相生すれば、召対を得て皇帝の知遇を受けるに利がある。官文が壊れて随三墓(命墓・世墓・身墓)すれば、不測の辱めの憂いがある。
最も忌むは子孫爻の発動、我が品級を貶めるからである。又忌むは兄弟爻の発動、我が名次を奪うからである。官鬼爻が伏蔵して動爻の扶助があれば、職を得たが未だ上任していない可能性がある。卦が六沖に逢い、世爻が月破ならば、試験に臨んでも進まないことを恐れる。官爻が絶処で生扶に遇えば、偶然新科の例の抜擢に遇う。父母爻が衰えて助を得れば、また考選の栄光がある。
(此れ官鬼爻を以て進士及第とし、父母爻を以て対策文章とする。歳五、即ち太歳と五爻。三墓、即ち命墓・世墓・身墓。)
武試(武科試験)は官鬼爻を貴ぶ、英雄が録用を得る象である。世爻が空らず父母爻が陷らずんば、武科の試験場で功を立てるに利がある。
請蔭請封(朝廷に父祖または自身の封贈を請うこと)を占う:五爻が世を傷つけること、及び官鬼爻が身を剋することを忌む。父母爻は皇家の譜牒(封誥)であり、破空してはならない。世爻は封贈を謀る自身であり、虚陷してはならない。
(父母・子女・妻のために封を請うならば、世空は忌まない。)
投麾效力(軍に投じて力を効すこと)を占う:本卦が沖に逢う・官鬼爻が発動すれば録用されない。官爻が空破散絶ならば用いられない。名声のためならば官旺が良く、利益のためならば財官併重する。世爻は病があってはならず、官鬼爻は世を剋してはならない。
入伍従軍(軍に入って従軍すること)を占う:世爻と身爻を要とする。世象が強旺ならば、刀箭を冒して功を立てることができる。官鬼爻が旺相ならば、行伍の中から抜擢されて爵を封ぜられる。官爻が世を剋し、助傷随墓は、見るべきではない。
署篆委鎮(官職を代理し・鎮守を命ぜられること)を占う:成否は差を謀るのに似て、世応の空亡・本卦の合沖及び官爻の病があれば成らない。利益は服役に同じく、官壊財虚ならば徒に奔走し、官が来て世を剋すれば事を生ずることを恐れる。
平民が好勇して問う:「我が一生の功名はどうか?」もし官鬼爻が旺ならば将に特授の官があるだろう。世爻の空亡ならば妄想の咎となる。随官入墓・助鬼傷身ならば、家を覆し身を亡ぼす禍を警告するものであり、自身を勵まして正道を守るべきである。
(後世は人を用いるに一格に拘らない、この占法も備える。)
すでに官禄を食んで(官についていて)、仕途を占うには、いずれも官鬼爻を用神とする。官爻が日月の上に居ることを喜ぶ、人々の仰慕を日の照臨の如く受ける。旺相の地に居ることを喜ぶ、万物が時雨に沐する如し。生扶・拱合に値することを喜ぶ、長城に倚って康庄の大路を馳せるが如し。月破・空亡・星散・絶地に値することを忌む。空は職を失い、破は事を敗り、絶は任を解かれ、散は籍を削られる。
子孫爻の発動は公の非議を防がねばならず、その衰旺に従って軽重を判定する。兄弟爻の発動は俸禄を減らし、喜忌を分かって吉凶を論断する。
官爻が長生を得れば仕途は遠大であり、帝旺・臨官を得れば仕路は昇進する。衰墓死絶は仕途が順調でない。進神に化すれば爵を昇し階を昇り、退神に化すれば禄を降し級を降す。
官爻が墓絶に変ずるが動爻の生扶が有り、日月が剋するが動変の相生が有れば、いずれも安穏の象に属する。
泄気(子孫爻)が発動して元神(財爻)が安静ならば、昇進の音信は杳然としている。元神が発動して用爻が動けば、昇進の消息が将に至らんとしている。
(子孫爻は官鬼の忌神であり、動けば官を剋する。もし官旺子衰ならば、小さな過ちがあるか、子旺官衰ならば、その禍を受ける。兄弟爻は本来官鬼の忌む所ではないが、官鬼の元神(財爻)を生じる者を剋し傷つけることを嫌う。罰俸・降級の憂いを見るべきである。卦中もし官鬼が独旺ならば、元神の相助を需ずとも順調に昇進できる。卦中もし子孫・妻財が皆動き、官鬼が三象の相生を得れば、反って大吉に属する。)
自占世爻は空亡してはならない:空ならば升すべき時に升されず、位有りて職掌なく、任に在りて閑散に居し、罪を帯びて功を立てる。代占ならば忌まない。
随官入墓・助鬼傷身は、仕宦が最も忌む象であり、衰旺を問わず皆凶である。
六合六沖は仕宦の忌む所ではない:沖して旺相ならば、三月を延ばすのみ。合して休囚ならば、五年停滞するだけである。
また晋・升・屯・蹇の四象があり、値すれば各々吉凶があり、また遺してはならない。
(凡そ晉・升・屯・蹇の四卦を得て、之に値すれば即ち吉凶と言い、更に官鬼を論ずるを要しない。)
昇遷を占う:日月に臨む官を卜すれば超升する。旺相の官を得れば、平級の昇進である。休囚の官を得れば、未だ異動を得ない。旺相して動く者は昇進が特に速く、休囚して静かな者ほど一層遅い。空に遇えば失望し、破に遇えば阻まれ、散に遇えば虚しく求め、絶に遇えば動き難く、世空に遇えばその占は遂げない。
官爻の伏蔵を無望と思ってはならない、助を得れば昇進できる。子孫爻の発動を無望と思ってはならない、日月を得れば昇進できる。沖合の不利を思ってはならない、交重・発動を得れば昇進できる。随官入墓・助鬼傷身の不利を思ってはならない、旺相を得れば昇進できる。
(専ら官爻を考へ、代占は世空を忌まない。)
何時昇遷するか:官爻の値月を法とする。生旺に遇えば推薦され、扶助に遇えば高升する。
更に**.是否昇遷の時期か**を占う:世爻が堅実ならば、官爻が崇高ならば、他日ではない。
(例えば両官が一強一弱ならば、その弱官が月に値すれば升る。例えば亥月壬戌日の豊卦を得て遷を占い、季冬に始めて升った。一官は必ず値月を求むれば応ずることができる。例えば長生臨官・官を得て気有るものも升遷でき、生助の月も亦然り、但し値月が最も応験があり、長生がこれに次ぐ。)
昇遷は何の方向か:官爻の所属する五行を法とする。🪙金は西方に任を升ぶ。🌱木は東方に事を治む。🌊水は北方に民を斉える。⛰土は中央に政を秉る。🔥火は南方に化を為す。
(官爻の衰旺および十二地支に拘らず、大略五行を以て分かつと多く験がある。例えば戌月戊申日の革卦を得て、地支で言えば丑官は東北、未官は西南、後に河南中土に升任したと応じた。その他はこれに倣う。)
もし官爻が独り離宮に発すれば、南方の柱石の臣となる。単に坎卦に揺すれば、塞北の屏障の将となる。巽宮ならば、東南に教化を興す。乾宮ならば、西北に功名を立てる。兑は隴蜀の地に当たり、震は斉魯の邦に偏し、艮は遼薊の漠に行き、坤は秦晋の疆に来たる。
(凡そ独発は八宮を以て方位を断じ、その他は五行を以て地利を断ずる。天下を挙げて言うのであって、本郷・本任に拘らない。)
一世官(官爻が世に持すること):禽宿(二十八宿)を以て分野とする。一伏官(官爻が伏蔵すること):飛神を以て地方とする。これは官位を占うのであって、世爻を占うのではない。すでに仕官していれば、官を以て象とし、世爻に執着しない。
(卦中一爻の官鬼が世に居れば、演禽二十八宿の分属を用いて何処が禄仕の地かを推断する。例えば亥月戊寅日の同人卦を得て升方を占う、亥官が世に居り、京房降宿は危星、後に斉地の分野を得た。卦内に官が無ければ、伏官の上の飛神を求め任所とする。例えば酉月乙巳日の頤卦を得て升方を占う、丙戌世に己酉官が伏し、後に西北の任所を得た。余りはこれに倣う。)
帰魂卦は屡々旧職に復任することを主とし、游魂卦は常に他の地に新任することを主とする。
六沖伏蔵ならば任所は遠く、六合出現ならば任所は近い。内卦は近地であり、外卦は遠方である。初爻は近く、六爻は遠い、その他は類推する。
(凡そ卦中にただ一つの官爻が在り、内卦に在れば近く、外卦に在れば遠い。初爻は最も近く、六爻は最も遠い。もし内外の両官に遇えば、その卦象を考へる:游魂六沖伏蔵は遠とすべきで、帰魂六合出現は近とすべきである。一官は内外で遠近を分け、両官は卦象で遠近を分ける。)
指摘があって占い「此の地は任ずべきか」:本卦の合沖・官爻の壊れ・世爻の空は、食禄の方ではない。
考選昇調で「此の官は得べきか」と問う:世爻の実・官爻の旺は、拜命すべき職である。
(考職選官・升任調缺、或いは或る土地・或る官職を指定して占う、この方法に同じ。)
概括的に当に何の官を得べきかと占う:専ら官爻を考察し、八卦によって所属の部曹を区別する。
(乾は天官、古の冢宰と称し、翰林之臣にして、朝廷禁内の雑職および厩馬の司に属す。坎は冬官、古の司空と称し、総河総漕の務めを總べ、台諫に司り、天下水利の官に属す。艮は閽寺、晨門の吏に司り、防御備衛の僚、治獄禁、礦蔵・宝庫・銭局の類に属す。震は春官、古の宗伯と称し、師傅・太子・東宮、或いは総試・総裁・宗廟祭祀・礼楽文章の官に司る。巽は天使、及び司上林にして、命を奉じて四方に申す者、上差の僚佐に属す。離は夏官、古の司馬と称し、耳目の権・糾弾の事を専らにし、一に端門の輔、修史の文明とす。坤は地官、古の司徒と称し、天下の農事に司り、土有るの官、疆場社稷の任、母后の内臣。兑は秋官、古の司寇と称し、言語に司り、刑罰に職し、章疏に通じ、上膳の事を主る。)
六爻によって官位の高低を弁別する。
(官が初爻に在れば散缺の職、一つには本郷の官守。二爻に在れば県邑の官、一つには諫議大臣・相国学士。三爻に在れば守牧の官、一つには三司の首領及び大衙門随従の官。四爻に在れば司道の官、一つには九卿六曹及び近君の臣。五爻は乃ち君位、臣の居る所に非ず、ただ天に代わり巡狩する官及び欽命欽差の者が之に当たる。六爻は貴戚の郷、及び宗廟功勲の臣・高尚の士・輔相王府の官・四方の股肱。武途封職も、その義は相類する。)
五行によって官爻の職掌を区別する。
(金官は必ず兵事に司り、或いは刑律を執る。木官は必ず工務・礼楽苑囿・車輿舟楫・及び桑麻製造の事に司る。水官は必ず江淮河海・及び水利塩務・税餉漕儲に司る。火官は必ず文章・参劾・祭祀・及び冶鋳・喉舌の権に司る。土官は必ず土地農田・社稷辺疆・及び陵寝・屯守の柄に司る。)
六神・諸星監によって官爻の政務表現を参考にする。
(青龍ならばその政は清く輝き、文章詩賦清花の府。朱雀ならばその政は剖断し、諫議善悪・折弁是非・言路の官。勾陳ならばその政は田土、教を興し農を勧め・寇を治め民を保つ、一方の牧。螣蛇ならばその政は伝宣、往来驰骤・浮沈体察・差遣の利。白虎ならばその政は威武、生殺の権を掌り・軍旅の事を秉り・刑罰の宰。玄武ならばその政は水利、捕・謀に司る象。文昌星は翰林、官符星は有司、天馬星は欽差、天獄星は禁吏、斗木獬は巡方の官、尾火虎は兵権の主、星日馬は聖伝の司、亢金龍は文章の相。大底五行・六爻・八宮を縦糸とし、六神・諸星を横糸として、相互に参詳する。)
日と月をもって之を象徴し、世応をもって之を度量し、君臣をもって之を定位する。ゆえに、独発は八宮を論じ、一爻は六位を論じ、両現はその所属を求め、倶無はその伏と変を考へる。伏は飛神を占い、変は八宮を占う。伏変の法は、爻位と五行を離れて推断してよい。
当世の官守を知るには、象を以て之を求める。朝代が変わり、官職の名前が変わっても、道理は遠くないことを知るべきである。
(官爻が日と月の建に臨むもの、社稷の臣に非ざれば、必ず直節科道の官。官爻が世に持するは正印、応に臨むは左右の職。五爻は君位、御史に非ざれば寵幸の臣となる。二爻は大臣、宰相となって国家の儀表となる。官爻の独発は、ただ八宮だけを論ずる。官爻一位は、ただ六爻だけを論ずる。官爻両現は、ただ所属だけを論ずる。卦に官鬼が無ければ、伏上の飛神を求め位属を以て之を弁ずる。卦に動象があれば、変じた官爻を求め八宮を以て別にする。)
補官起服(服喪明けの復官)・援例納粟(例に拠って納粟して官を得ること):世爻が空亡して却って退意を生ずることを忌む。
図差代役(差使を謀り・服役に代わること)・選缺参房(欠員に選任され・部門に参与すること):成否を占うに、沖は謀事に利あらず、世爻は空亡が不利で、官爻は損壊が不利である。財を問えば財爻の虚弱が不利で、辱を問えば官爻が世を剋することが不利である。
久任(長く職に在れること)を占う:三沖・游魂ならば長く続かない。官爻が壊れれば罷職し、世爻が空ならば自ら辞職し、官爻が世を剋すれば弹劾されて貶谪される。
履任後に身体は安康かを占う:随官入墓・助鬼傷身ならば、上任即病する。世爻の月破・官鬼爻の発動ならば、政に臨んで即ち災禍に遭う。
(久任は官を以て官とし、身安は官を以て病とする。卜筮用爻の妙は、灵活に変化することにある。)
求薦獎(推薦と嘉獎を請うこと)を占う:官文の破壊に遇えば、推薦の人が尽力しないことを恐れる。官鬼爻が世を剋すれば、得る賞勵が真心でないことを恐れる。世爻の空亡ならば、栄を求めて遂げず、昇を望みて遷り難い。降職後に復官することも同じくこれで推す。
(民間の坊匾・旌表・冠带・衣巾・鄉賢・鄉飲などの榮譽類の事を请うることも、占法は同じ類である。)
面聖上書・叩閽献策(皇帝に面会して上書し・民情を陳訴し・計策を献ずること)を占う:遁卦は避けるべきである。六沖を見れば上下が隔たり、五爻が世を剋せば逆鱗に觸れ、五爻の空破散絶ならば忠言は耳に逆らう。もし将相に条陳(意見書を呈すること)するならば、官鬼爻の発動を喜び、世を剋することを忌む。
(五克とは五爻が世爻を剋すること、五位とは五爻が空破散絶のこと)
在任中に防参罰(弾劾・処罰を防ぐこと)を占う:子孫爻の発動を忌み、官鬼爻の兴旺を喜ぶ。世爻の空亡ならば離任する。
離任後に後患を慮る(秋波後の追及を心配すること)ことを占う:子孫爻の発動を喜び、官鬼爻の兴旺を忌む。世爻の空亡ならば事無し。
大計(朝廷による官吏考課)の占:官鬼爻の瑕疵無きことを求め、世爻の気有ることを索める。官爻が日月に臨み生扶されれば、必ず卓異廉能の選抜を獲る。子孫爻の発動ならば降職の憂いがあり、兄弟爻の発動ならば罰俸の議がある。兼ねて官爻が月破に逢えば、致仕して郷に還る。
養親給假(親を養うために休暇を請うこと)・告病休官(病を届けて官を辞すこと):もし官鬼爻が世を剋して嫌悪に遭い、官爻が破絶空散ならば、誰か高蹈引退の心を明らかにできようか?世爻が随墓助傷ならば、かえって風塵の縛めを受ける。
乱地に任じて身の安きを求める(動乱の地に任じて平安を求めること)を占う:随官入墓・助鬼傷身・世爻の困窮・官鬼の発動、いずれも吉兆ではない。危邦に任じて爵の顕を求める(危険な邦に任じて功名の顕達を求めること)を占う:官爻の高隆・世爻の堅実ならば吉である。
(設えば治河防決は、官鬼の発動が世を剋することを忌む。抽税征商は、応爻の空亡・財爻の壊れを忌む。考巻の瑕庇は父母爻を用い、征徭の応答なしは妻財爻を用いる。占う者の志が此にあれば此を用い、彼にあれば彼を用いる。)
凡そ公揭参疏(公開弾劾・上疏弹劾)は、詞訟の如くする:先ず上司の意の従うか違うかを占い、次に応爻の生克を考へる。
何時交代するかを占う:官鬼爻の墓絶に入ること・子孫爻の生を得て旺に値することを期とする。何時官来るか(上級または新任が来る時期)を占う:士庶・僚役を問わず、官鬼爻の生旺を以て実とする。
人を覓めて代署させることを占う:応爻の空亡ならば誰が代わるを肯んじようか?或いは官に従い、或いは人に従う、用爻は弁析を明らかにすべきである。
(官来とは、その爵位を指す。人代とは、その人身を指す。用爻はこのように細やかであることを要する。)
太医・僧綱・道紀(太医院・僧録司・道録司の雑職):喜ぶ所はただ官鬼爻の旺・妻財爻の备、忌む所は官が世を剋し・世が空亡し、及び随官入墓・助鬼傷身である。凡そ雑職を占うも皆これに同じ。)
衙門裁革(衙門が裁撤されること)を見る:ただ官爻を見る、旺ならば裁かれない。公議短長(公の場で是非を議論すること)を見る:ただ官鬼爻を求める、鬼が破ならば中止する。国務行止(国家の大政の興革)を見る:専ら五爻から判断する、五爻が世を剋すれば事は行われない。
本章は全書中最も長く、体系が最も完全な章であり、科挙・仕途・軍職・雑職を網羅する全方位的な功名占断体系を構築している。核心思想は「一軸両翼」と総括できる:
一軸:官鬼爻を功名占断の核心用神とし、職位・権力・名声を表し、科挙から仕途の全過程を貫く。
両翼:父母爻は文章・学業を表し(科挙段階で重点を置く)、妻財爻は俸禄・待遇を表し(仕途段階で重点を置く)、二者は官鬼爻と「官文相生」「財官相済」の関係を形成する。
本章の最も顕著な方法論的貢献は応期判断の精緻化である:値月を中心に、長生・臨官・帝旺などの十二長生状態を輔け、更に世爻の得実の年を結合し、多層的な応期推算体系を形成している。同時に、五行定方位・八卦定地域・爻位定高低・六神定政風の四種の方位判断法について系統的な論述を行っている。
功名章の本質は古代のキャリア予測・計画ガイドである。その精妙な点は、キャリアをいくつかの段階に分けて差異化分析を行うことにある:求取段階(科挙試験)・就職段階(上任)・昇進段階(昇遷)・守成段階(久任)・退隠段階(辞官致仕)。各段階の關注点は異なる:
| 段階 | 核心的関心 | 卦象指標 |
|---|---|---|
| 求取 | 合格できるか | 父母爻旺・官鬼爻旺 |
| 就職 | 任所の遠近・職位の高低 | 官爻の位置・五行属性 |
| 昇進 | いつ昇進するか・何方へか | 官爻の応期・方位 |
| 守成 | 長く在任できるか・災いはあるか | 世爻の堅実・官爻が剋を受けないこと |
| 退隠 | 安全に退けるか | 官爻が世を剋さない・世が乱動しない |
この段階論の思考は現代のキャリアプランニングにも完全に適用できる。特に「旺相して動く者は尤も速く、休囚して静かな者は更に遅し」という判断 — 職場での昇進速度と官爻(職位)の旺衰動静の趨勢が直接関係する — は、現代の職場におけるプラットフォームの勢いと個人の運動エネルギーの関係に対応している:急速に発展するプラットフォーム(官爻旺相)では、昇進は自然に速い。停滞した組織(官爻休囚)では、どんなに才能があっても埋もれるかもしれない。
本章が現代の社会人に与える最大の実用的示唆は、官鬼爻の広義的理解にある:官鬼爻は仕途占断において職位と権力を表すが、現代の職場では職業的発展の余地と組織的承認度に対応する。以下の判断原則は直接的な変換価値を持つ:
離職の決断については、「世空ならば離任する」が重要なシグナルを提供する:自分自身がすでにこの仕事に対する熱意と目標感を失っている場合(世空)、外的条件がどうであれ、離れることは時間の問題である。
功名章の最も深い哲学的命題は功名と生命の関係である。全編に貫かれる「随官入墓・助鬼傷身」の戒めは、占う者に絶えず注意を促す:功名を追い求める過程で、功名が自分を食い盡くさないように警戒せよ。官位は人生の道具だが、もし官位に吞まれてしまえば(随官入墓)、元も子もない。
更に注目すべきは「世空ならば妄想の咎と成す」という警告である — 好勇逞強でありながら妄りに功名を求める者に対して、占断の結果は世爻の空亡となり、彼にはそもそも相応の基盤がないことを意味する。ここでの「空」は単なる卦象記号ではなく、一つの哲学的判断である:功名の基盤は自己自身にあり、外に求めるものではない。しっかりとした修養と能力(世爻実)がなければ、すべての功名追求は結局妄想に堕ちるのである。
事には蒙昧で不明なものが多く、行いにも嫌疑・不明瞭なことがある。人の心の真実と偽り、喜びと怒り、物象の有無と完全・欠損、易占に長けた者も心を働かせて推断することができる。
誠偽(真実か偽りか)を占う:専ら用神の象を考察する。関係の遠い者は応爻を用い、関係の親しい者は六親を考察する。
用神が空亡すれば内心は空虚で実が無い。用神が月破星散すれば真心ではない。用神が絶地にあればその習慣は堅くない。用神が発動すればその操守は十分に篤くない。
用神が生扶や子孫爻に化すれば、善良で親しむことができる。用神が克沖や官鬼爻に化すれば、悪質で避けるべきである。
人の喜怒を占う:用神が世爻を沖剋すれば、怨恨・嫌悪を加えられている。用神が空散破絶ならば、その憂い・喜びは皆真実でない。用神が白虎に居て世を生じれば、怒っていても怒りをあなたに遷さない。用神が青龍に居て世を剋すれば、喜んでいるがあなたと関係がない。卦が六沖に逢い用爻が相生すれば、外見は怒っているが内心は喜んでいる。卦が六合に値し用爻が相剋すれば、先に喜び後に嗔怒する。
喜怒の占は、生克を重くし、沖合を軽くする。
「私を害するか」を占う:用神が世を剋する者がそうである。「私を助けるか」を占う:用神が世を生ずる者がそうである。しかしながら空破散絶に遇えば、損益ともに虚無である。
物象(物品)を占う:父母爻は文書を象徴し、妻財爻は珍宝を象徴し、官鬼爻は妖孽・怪異の物を象徴し、子孫爻は飛禽走獣を象徴し、兄弟爻は工力の事(器物・工具)を象徴する。
物品の有無と完全・欠損は、用神の衰旺・虚実・破散によって推断し、そうすれば物は姿を現さざるを得ない。
本章は専ら微表情・隠情占断を論じるもので、易占中最も微妙で実力が試される部分である。核心思想は次の通り:占いは本質的に情報の抽出である — 卦象中の生克沖合の関係を通じて、現実に言い表し難く、言い出しにくく、意図的に隠されている情報を捕捉する。
方法論の際立った点は関係の遠近が用神の層を決定することである:親しい人を見るならば六親(父母・兄弟・妻財・官鬼・子孫)を考察し、遠い人ならば応爻を見る。この階層化用神法の底層論理は次の通り:**関係が近いほど、具体的な役割から分析すべきであり(六親各々所属があり)、関係が遠いほど、漠然とした相手としての視点から分析すべき(応爻を一つの全体として)**である。
測隠章の現代的な対応物は心理洞察と嘘の識別である。卦象中の空破散絶は次のように理解できる:
| 卦象信号 | 心理的意味 | 現代の対応 |
|---|---|---|
| 用神空亡 | 内心の空虚・虚偽 | 約束が空虚・心にもない言葉 |
| 用神月破 | 意図が達成できない | 言うこととすることが違う |
| 用神星散 | 関係がすでに緩んでいる | 心はもうない・形だけの付き合い |
| 用神絶地 | 習慣が続かない | 約束を破る・その場しのぎ |
| 用神発動 | 感情が不安定 | 衝動的な発言・度々変わる態度 |
「白虎に居て世を生じれば、怒っていても遷さない」という判断は特に見事である:ある人の用神は凶星(白虎)であるが、もし世を生じれば、彼の怒りはあなたに向かない — 人は怒りっぽいが、あなたには発散しない、という状況を例える。逆に「青龍に居て世を剋すれば、喜びはあなたに及ばない」:ある人の表面は吉(青龍)であるが、もし世を剋すれば、彼の喜びはあなたと無関係である — 表向きは丁寧だが、内心はあなたと疎遠である。
現代の対人関係において、測隠章はいくつかの実用的な判断原則を提供する:
測隠章の哲学的基盤は誠中形外の思想である — 『大学』に曰く:「誠中に於いて、形外に於けるとは、君子は必ずその独りを慎むなり。」人の内的状態は必ず何らかの形で外部に現れる。卦象は「外部に現れる」一つの形式として、肉眼では見えず、言葉では伝えられない深層の真実を暴き出す。易占に長けた者が追い求めるのは、未来を予測することではなく、現在を見ること — 表面に覆われて見えにくくなっている本当の意図と感情を見ることであり、この「隠」への探求は、本質的には誠実という最高価値への追及なのである。
凡そ収雇(僕役を搆い・労働者を雇うこと)を占う:三沖ならば関係は長く続かない。
収僕(僕人を搆って使役すること)を占う:妻財爻を用神とする。ゆえに妻財爻が空亡すれば、人は来ても心は我が方を向かない。妻財爻が破散すれば、僕人は疾病にかかり甚至し死亡する。妻財爻が絶地または衰弱にあれば、その用を成さない。妻財爻が旺相で世爻を生じ合すれば、手足の如く腹心に仕える。妻財爻が旺相で世爻を剋沖すれば、できる僕はかえって弱い主を虐げる。
ゆえに、未収の前に善悪を占うには:ただ三沖と財爻の病のみを忌み、世を剋しても嫌わない。已収の後に去留を占うには:同じく三沖を忌むが、財爻が発動して世を剋する者は去るべきである。
(未収の時は、財爻が衰弱して世を生じても、吉であって吉でない。財爻が強健で世を剋しても、凶であって凶でない——まだ雇用関係を結んでいないので、生剋はただ潜在的な傾向である。已収の後、忠奸・去留を問うならば、世を剋すればすでに自分を裏切っており、世を生じれば心を尽くして公に仕える、どうして「吉神は世を剋しても凶でない」という規則に拘泥できようか?)
僕人の性情を考察するには:専ら用神を見る。🪙金は剛硬を主とし、🔥火は剛強を主とし、🌊水は智慧を主とし、🌱木は仁慈を主とし、⛰土は誠信を主とする。
青龍は能文善墨を主とし、朱雀は能言善弁を主とし、白虎は暴烈乖戻を主とし、玄武は奸詐狡猾を主とし、勾陳は遅鈍停滞を主とし、螣蛇は軽浮不定を主とする。
更に八宮によってその志趣を弁別し、諸星殺によって配合判断する。
(用爻の独発はこれを以て論ずる。乾宮に在れば志気高尚、坤宮に在れば性情柔順、震宮は正直、巽宮は奸巧、坎宮は深沉暗陰、離宮は光明磊落、艮宮は木訥、兑宮は順従。角星は蛟龍の志があり、尾星は猛虎の性があり、奎星は豺狼の心があり、星日馬は良驥の徳がある。生剋衰旺に随って吉凶を言う。)
游魂卦で用神が空亡すれば、逃亡の変がある。帰魂卦で用神が月破すれば、買い戻しの嫌疑がある。
両官両父(官鬼と父母が各二つ現れる)、事に两头の掛かり合いがある。三刑三破(爻が刑と年月日の三破に遭う)、身体に四肢の災いがしばしばある。
世爻が空亡すれば我に疑念がある。間爻が発動すれば妨碍を防ぐ備えがある。
(三破、歳・月・日の三重の相破を指す。)
僱倩人工(職人・短期労働者を雇うこと)を占う:応爻を用神とする。応爻が月破ならば良き終わりを全うできず、応爻が空散ならば順調な始まりができず、三沖ならば工人は心を定めず、世を剋すれば品質が良くない。
僱用蚕織之婦(養蚕・機織りの女性を雇うこと)を占う:女工の事は妻財爻から判断し、財爻は壊れてはならない。工人を雇うことは応爻から判断し、応爻は病があってはならない。
応爻が来て世を剋すれば、我が事を妨げることを恐れる。合沖変沖(合から沖に変ずる)は、長く留めることができない。八純六沖は、暫くも用いてはならない。
或る人を去らせたい:応爻が世を剋すれば去ることができない。或る人を来させたい:応爻が制を受けていれば来ない。
この人は信頼できるが、他人に奪われないだろうか?応爻が世を剋すれば争われる。この人は使えるが、是非を招惹しないだろうか?官鬼が動きまたは官鬼が世を剋すれば訴訟がある。この人は使えるが、病気をしないだろうか?命墓・応壊・鬼動があれば患病する。
本章は専ら雇用関係占断を論じ、核心思想は用神は雇用の段階に従って変化することである:
収僕(長期雇用):妻財爻を用神とし、僕人の仕事能力と忠誠度を考察する。財旺生世が最良——僕人は有能かつ忠誠である。 雇工(短期聘用):応爻を用神とし、職人の技術水準と仕事への態度を考察する。応旺生世が吉。 女工(特定職種):兼ねて妻財爻(産出価値)と応爻(労働状態)を見る。
本章で最も精妙な判断は収前と収後で生剋の意味が転換することである:未収の時、財爻が世を剋しても必ずしも凶ではない、相手はまだ自分の僕人ではないから。已収の後、世を剋すれば明確に凶となる、なぜなら確立された雇用関係の中では、世を剋することは裏切りや主への横暴を意味するからである。同じ卦象でも、関係の状態が違えば吉凶の意味は全く変わる。
収雇章は完全に現代の人的資源管理の占断フレームワークに転化できる:
| 占卜要素 | 現代の対応 | 判断原則 |
|---|---|---|
| 財爻旺相 | 仕事能力が高い | 生産性が高い・効率が良い |
| 財爻生世 | 会社への忠誠 | 目標の一致・文化への同一化 |
| 財爻剋世 | 能力はあるが反噬の恐れ | 主に取って代わる・核心人材流出のリスク |
| 三沖 | 雇用関係が不安定 | 流動性が高い・契約更新が難しい |
| 游魂+用空 | 離職傾向 | 無断欠勤・失踪のリスク |
| 応爻空散 | 物事をやり遂げない | プロジェクトが完了できない・責任転嫁 |
| 世空 | 雇用主自身の疑念 | 管理者の自信のなさ・優柔不断 |
| 官鬼動 | 法律リスク | 労使紛争・契約訴訟 |
「世空は我が疑い、間動は阻を防ぐ」——管理者自身が定見を欠き(世空)、中間のコミュニケーターが妨害する(間動)のは、雇用関係の中で最も一般的な二重リスクである。
現代の管理者に対して、本章はいくつかの示唆に富む人材活用の原則を提供する:
本章に込められた哲学的命題は主僕関係の弁証法である。古代において、主僕関係は天道の秩序の一部として考えられていた。しかし本章は僕人を主の付属物として簡単に見なさず、「干僕に弱主が加わる」ことが明確な凶象であることを真剣に分析している。
換言すれば、弱者は強者を御すことができないという命題は、古代においてすでに明晰に認識されていた。組織内で下級の実際の能力が上級を遥かに超え、上級に十分なコントロール力(世弱)が無い場合、この構造自体が不安定である。これは管理学における権力と能力の適合原則と高度に一致する。