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全 13 章中 3 章
脉经
この篇は二十四种の基本脈象が指下に感じられる様子を述べたものであり、『脈経』脈診の綱領である。
篇末には類似脈の鑑別も挙げられている。浮と芤・洪が相類し、弦と緊が相類し、滑と数が相類し、革と実が相類し、沈と伏が相類し、微と渋が相類し、軟と弱が相類し、緩と遅が相類する、と。
黄帝が問う:なぜ診脈は常に清晨に行うのか。岐伯が答える:清晨には人体の陰気は未だ擾されておらず、陽気は未だ散越しておらず、飲食をまだしておらず、经脉は過度に充盈しておらず、絡脉は調い勻い、気血は未だ乱れていない。故に診脈に適する。この時を過ぎれば、外界、飲食、情志がみな脈象に影響する。また眼神、五色、五臓の有余不足、六腑の強弱、形体の盛衰を観察し、互いに参照して、初めて予後を判断できる。
魚際から高骨を後ろに向かって一寸、これを寸口という。寸から尺沢に至る一段を尺部という。寸の後ろ、尺の前の位置を関という。陽が出で陰が入るに、関を以って界とする。陽は三分出で、陰は三分入る。故に三陰三陽と称する。寸は上焦を主り、頭面、皮毛及び手を候い、関は中焦を主り、腹と腰を候い、尺は下焦を主り、少腹より足に至るを候う。
なぜ十二経すべてに動脈があるのに、独り寸口を取るのか。寸口は脈の大会であり、手太陰肺経の動脈であるからだ。人は一呼に脈は三寸を行き、一吸に脈は三寸を行き、一息に脈は六寸を行く。一昼夜に約一万三千五百息、脈は五十周を全身に行き、営衛は陽を行くこと二十五度、陰を行くこと二十五度。五十周して復た手太陰寸口に会する。故に寸口を診すれば五臓六腑を知ることができる。
関の前は陽で、浮いて九分に見えるべく、関の後ろは陰で、沈んで一寸に見えるべし。過ぐるを「太過」と為し、足らざるを「不及」と為す。陽気が魚際に上るを「溢」と為し、外関内格であり、これは陰が陽に乗ずるもの。陰気が尺部に入るを「覆」と為し、内関外格であり、これは陽が陰に乗ずるもの。「覆溢」が現れるのは真臓脈に属し、古人はたとえ暫時病象がなくとも主死とした。
診脈には人の高矮・肥痩・性情の緩急・年齢・性別を考慮すべきである。脈象と人の形性とが相かなうを順と為し、反するを逆と為す。小児は四五歳で一息八至、細数を正常とする。婦人の脈は常に男子より濡弱。男子は左脈大を順とし、婦人は右脈大を順とする。肥人は脈が偏へ沈み、痩人は脈が偏へ浮く。もし人が大なのに脈細く、人が小さいのに脈大きく、性急で脈緩などの場合は、逆に属する。
脈を按ずる軽重によって分層して五臓を候う:
『脈法讃』にいう:肝心は左に在り、脾肺は右に在り、腎と命門はいずれも尺部に在り、と。左寸は心を候い、左関は肝を候い、左尺は腎を候う。右寸は肺を候い、右関は脾を候い、右尺は腎を候う(左は腎に属し、右は子戸と為し、また三焦と称す)。各臓と相応する腑とは表裏を為す。
脈数は腑・熱を主り、脈遅は臓・寒を主る。肺の平脈は浮大、腎の平脈は沈滑にして石の如く、肝の平脈は弓弦の如く、心の平脈は来たるや疾く去るや遲し。当に某臓腑の平脈を見るべきにこれを見ざれば、即ち病と為す。病には深浅があり、受邪の原因を推し求むべきである。
呼出は心肺に属し、吸入は腎肝に属し、脾は呼吸の間に在り、その脈は中に居る。浮は陽と為し、沈は陰と為す。心肺は同じく浮く。心は浮大散を為し、肺は浮短渋を為す。腎肝は同じく沈む。肝は牢長を為し、腎は按ずるに軟らかく、指を挙げ来れば実。脾脈は遲緩にして長し。
脈に陽盛陰虚、陰盛陽虚あり、浮沈を比較して判断する靠。また一陰一陽、一陰二陽などあり、これは浮・沈・長・短・滑・渋の六象の組み合わせであり、六本の脈が一緒に搏つのではない。
脈中、大なるは陽、浮なるは陽、数なるは陽、動なるは陽、長なるは陽、滑なるは陽。沈、渋、弱、弦、短、微は陰と為す。陽病に見て陰脈は主死、陰病に見て陽脈は主生。関の前は陽、関の後ろは陰と為す。篇中にはまた寸口、尺部の異なる脈象に対する苦楚を列挙し、「寸口脈浮大而疾」を陽中の陽と為し、病は苦煩満、身熱、頭痛、腹中熱を主り、「尺脈沈細」を陰中の陰と為し、病は苦両脛酸疼、不能久立などを主る、と。風は陽を傷つけ、寒は陰を傷つける。陽病は治し易く、陰病は治し難い。
虚実は三類に分かれる。脈の虚実、病の虚実、診の虚実である。脈軟なるは虚、牢なるは実と為す。病に関しては、出づる者は虚、入る者は実と為し、言ふ者は虚、言はざる者は実と為し、緩なる者は虚、急なる者は実と為す。診に関しては、痒きは虚、痛みは実と為す。外痛み内快きは外実内虚、内痛み外快きは内実外虚。核心は:邪気盛んなれば則ち実、精気奪われれば則ち虚。大熱病、気熱脈満を「重実」と為す。経絡皆実なれば寸脈急、尺脈緩として現れ、当に同時に調治すべし。滑なれば順、渋なれば逆。
脈に相乘あり、従、横、逆,順に分かれる。水行して火に乗り、金行して木に乗ずるを従と為す。火行して水に乗り、木行して金に乗ずるを横と為す。水行して金に乗じ、火行して木に乗ずるを逆と為す。金行して水に乗じ、木行して火に乗ずるを順と為す。これは五行生克関係の脈診における運用である。
伏匿脈とは陰陽互いに乘伏するものを指す。陰部に陽脈を見るを陽が陰に乗ずると為し、陽部に陰脈を見るを陰が陽に乗ずると為す。篇末に「重陰なる者は癲、重陽なる者は狂。陽を脱する者は鬼を見、陰を脱する者は目盲」とあり、古人の神志および視覚の変化と陰陽関係に関する概括であり、時代の色彩を帯びている。
弦、緊、渋、滑、浮、沈の六脈は「残賊」と為し、諸経の病変を引き起こすことができる。緊脈は亡汗・嘔吐・肺寒・飲冷・胃中虚冷などにより引き起こされることがある。滑脈は「陰陽和合」の表現である。
「災怪」とは、診脈時に病証と脈象が相符し、処方を与えた後に患者がかえって大吐、下利、腹痛を起こし、問い詰めると以前に服薬した際の遅延反応であったことが分かるものをいう。恐怖の時の脈は、絲を循るが如く面は白い。羞愧の時は脈浮弱、面は乍白乍赤。水を飲まざれば脈澁して、唇口乾燥す。篇中にはまた言語・行動・姿勢の観察による病情判断や、詐病の見分け方(脈自和なのに誇張した表現があれば詐病の可能性)にも触れている。
寸口脈によって内外虚実、邪の来路を弁じることができる。脈が前来するを実邪と為し、後来するを虚邪と為し、所不勝より来るを賊邪と為し、所勝より来るを微邪と為し、自病を正邪と為す。脈疾は風を主り、滑は食を主り、滑躁は熱を主り、渋は寒湿を主る。
脈の来たるや疾く去るや遲きは内虚外実;来たるや遲く去るや疾きは内実外虚。脈長弦は病は肝に在り、小血少なきは病は心に在り、下堅上虚は病は脾胃に在り、滑にして微浮は病は肺に在り、大にして堅きは病は腎に在り。脈浮滑、風走刺、飲有る者は治し難く、脈沈重にして前へ直行し絶するは、病血が腸間に在る等、これらはみな古代の脈症対応である。
末句「脈なる者は、血の府なり。長なれば則ち気治まり、短なれば則ち気病み、数なれば則ち心煩ひ、大なれば則ち病進み……」はこの篇の総括的な論述である。
この篇は五臓脈と四時、方位、飲食、日期などに基づいて得病の原因を推算する。例えば、春に病を得るのは肝脈がないこととされ、肝病で西行し、鶏肉を食すれば、秋時、庚辛日にも発病する可能性があるとされる。また「王脈」「相脈」「胎脈」「囚脈」「休脈」「死脈」を得ることはそれぞれ異なる場所に対応する。この部分は明らかに古代の術数・五行配伍・民間信仰の色彩を帯びており、文化史料として理性的に捉えるべきで、臨床診断の根拠とすべきではない。
寸関尺の三部の大小、遅疾、浮沈が相等しければ、たとい尚寒熱未解でも、陰陽はすでに平復に赴き、自愈し得る。もし寸口脈と人迎脈の小大浮沈が相等しければ、病は治り難い。これは古人の疾病転帰判断の一方法である。
本内容は中医経典古籍に基づくものであり、伝統文化の学習と研究用にのみ供し、いかなる医療診断・服薬・治療のアドバイスも構成しません。ご不調の際は早めに医療機関を受診してください。