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全 13 章中 13 章
脉经
人体の脈搏の根本は栄衛に由来する——栄は陰血に属し、脈中を行き、衛は陽気に属し、脈外を行く。脈それ自体は自ら動くのではなく、気の推動に従って搏動する。気が動けば脈も呼応して動く、これが陰陽相応の道理である。気は鞴(ふいご)のように鼓動し、血は水波のようにそれに伴って起伏し、気血は体内を上下に循環する。十二経にはすべて動脈があるが、医師は通常手太陰肺経の脈を取って呼吸の出入りを観察する。肺経は上は喉につらなり、脈の大会だからである。
初めて脈を診るときは、患者に手のひらを上に向けさせ、手首の高骨のところを関と定める。関の前は陽で、これが寸である。関の後ろは陰で、これが尺である。左右の手にそれぞれ寸・関・尺がある。男女の脈はおおむね同じだが、尺脈だけは差異がある。男子の尺脈は常に弱く、女子の尺脈は常に盛んである。もしこれと反対ならば、病態である。
医師は呼吸を整え、一呼一吸を一息とする。一息に脈が四至から五至ならば、平和の象である。三至を遅脈といい、寒を主る。六至を数脈といい、熱を主る。遅ければ遅いほど寒が甚だしく、数であれば数であるほど熱が甚だしい。ただし個体差を併せて柔軟に判断すべきである。
脈を診るにはまず遅数を弁別し、それから浮沈を弁別する。浮は表を主り、沈は裏を主る。浮数は表熱を主り、沈数は裏熱を主る。浮遅は表虚を主り、沈遅は内寒の凝結を主る。
次に寸・関・尺の六部を観る。それぞれの部に一臓一腑が対応する。左寸は心と小腸を候い、左関は肝と胆を候い、左尺は腎と膀胱を候う。右寸は肺と大腸を候い、右関は脾と胃を候い、右尺は命門と三焦を候う。三部はまた身体の上下にも対応する。寸は胸より上を候い、関は膈下を候い、尺は臍より下、足跟に至るまでを候う。左の脈は身体の左側を候い、右の脈は右側を候う。病がどの側、どの部にあれば、脈象もそれに応じて反映される。
脈理は繁雑であるが、浮・沈・遅・数の四綱に帰納できる。古人はさらに七表(浮・芤・滑・実・弦・緊・洪)、八里(微・沈・緩・渋・遅・伏・濡・弱)、九道(長・短・虚・促・結・代・牢・動・細など)に分けた。各家に多少の出入りがあるが、互いに補完し合える。
七表:浮脈は軽く取れば有余、重く按すれば不足で、木が水に浮かぶようなもの。芤脈は葱管を按するようなもので、縁にはあって中は空。滑脈は珠が転がるようである。実脈は浮・中・沈 모두 充実して力がある。弦脈は張り詰めた弓の弦のようなもの。緊脈は細い糸を引き締めたようである。洪脈は浮脈よりなお大きく力がある。
八里:微脈はおぼろげで、捉え難い。沈脈は軽く取れば見えず、重く按して初めて得られる。緩脈は遅に似て遅に非ず、从容として和やかである。渋脈は雨粒が砂に染みるようで、渋滞して短い。遅脈はきわめて緩やかなもの。伏脈は骨にまで重按しなければならない。濡脈は軟らかく力がない。弱脈はさらに軟弱で模糊としている。
九道:長脈は本来の部位を越える。短脈は本来の部位に満たない。虚脈は形は大きいが力がない。促・結・代の三脈にはすべて歇止があるが、促脈は数にして止まり、結脈は遅にして止まり、代脈は止まった後にみずから還ることができず、細かく弁別しなければならない。牢脈は弦や緊よりさらに堅実である。動脈は揺れ動いて定まらない。細脈は細く一本の糸のようで力がある。散脈は涣散として収まらない。数脈は急疾である。
脈象と病症を互いに照合すれば、病位と予後を判断できる。ただし脈と証は時に相応じ、時に相応じないことがあり、機械的に一に執着してはならない。人は一見安らかであっても脈がすでに敗壊しているものを「行尸」という。人は病んでいても脈が和やかで胃気があれば、多くは無事に保てる。
以下に常見病の脈象の要点を列挙する。
脈を診るにはまた四時を併せて考慮しなければならない。春の脈は弦に応じ、夏の脈は鉤(洪大)に応じ、秋の脈は毛(浮渋にして短)に応じ、冬の脈は石(沈)に応じる。脈の太過は病が外にあり、不及は病が内にある。四時の脈象は異なるが、いずれも胃気を本とする。胃気とはすなわち脈の従容中和の象である。過ぎるも及ばざるも、すべて偏頗である。
五臓の平脈・病脈・死脈:
このほか、人の肥瘦・高矮は異なり、脈にも差異がある。胖人は脈が比較的沈み、瘦人は脈が比較的浮く。身の短き者は脈促、身の長き者は脈疏。脈を診るに一概には論じられない。脈理は深遠であり、心を込めて体得し、指下で繰り返し練習しなければならない。著者は後学に対し、日々誦読し、徐々にその中の玄妙を悟ることを勧めている。
「胃気」を脈の根本とする
本篇では繰り返し「すべて胃気をもって本となす」と強調する。いわゆる胃気とは、脈象が従容として、和やかで、神のある状態である。四時の脈象がどのように変化しようとも、胃気がなお存すれば、予後は比較的良好である。ひとたび脈が柔和を失い、真臓脈が現れれば、正気の衰敗を示す。これは中医が「正気の存亡」を判断する核心的な思想である。
浮・沈・遅・数を綱とし、諸脈を統摂する
著者は煩雑な脈象を浮・沈・遅・数の四綱に帰納し、そこから七表・八里・九道を派生させた。この分類法は「表裏寒熱」の基本病機によって脈診を統摂しようと試み、初学者に道筋を諭すものである。
三部九候と臓腑の全息対応
寸・関・尺が臓腑・上中下の三部を分かち候うことは、中医の「局部が全体を反映する」という全息的な思考を示している。左手の寸・関・尺は心・肝・腎を候い、右手の寸・関・尺は肺・脾・命門を候う。これは後世の寸口脈法の重要な内容である。
脈証合参、一端に執着すべからず
本篇は特に「病に応ずるもあり、相応ぜざるもあり、これ最も詳らかにすべきであり、執定すべからず」と指摘する。脈象は必ず症状・舌象・面色などと相互に照合しなければならない。特に婦人・小児は、なおさら四診を合わせて参照すべきである。これは中医が一貫して持つ柔軟な弁証の精神を示している。
現代医学の観点から見ると、脈診は心拍数・心律・血管緊張・循環血液量・末梢循環状態などを部分的に反映しうる。たとえば促脈・結脈・代脈は不整脈と一定程度対応する。数脈は発熱や頻脈に常見し、伏脈・微脈はショックや循環不全に関連する可能性がある。これらは客観的に観察できる生理・病理現象である。
しかしながら、本篇の臓腑配分や七表八里九道などの分類は、よりどころは古代医家の経験的な帰納と理論の構築であり、現代の解剖・生理学的な直接的証拠を欠くことにも目を向けるべきである。いわゆる「肝死脈」「腎死脈」などの記述は神秘化すべきではなく、これらは臨終前の重篤な循環障害・不整脈・血圧の虚脱などに対応する可能性があり、身体が衰竭した表れであって、何らかの超自然的な予兆ではない。脈で男女を弁じ、生死を断ずるといった内容は、現代ではより信頼できる手段があり、臨床の根拠にはすべきでない。
関連概念
参考図書
──卜瓜による注記:本内容は中医の古典古籍に基づくものであり、伝統文化の学習と研究のみを目的としています。医療診断・投薬・治療の助言を構成するものではありません。ご不快の際は速やかに医療機関を受診してください。