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皇极经世
《皇极经世·观物外篇衍义》卷六
天气の禀賦を得た生命は、その本質が運動に趨り、地気の禀賦を得た生命は、その本質が静止に趨る。🌬 動く者は天の道であり、静まる者は地の理である。
陽の原始の形態は円形であるが、成形した後はかえって方形を呈する。陰の原始の形態は方形であるが、成形した後はかえって円形を呈する。これは陰陽が先天と後天との間における形態の転化を明らかにするものである。
樹木の枝幹は、その質が堅く凝っており、主に土石の気が凝り集まってできるので、容易に変わらない。葉や花は、水火の気によって化育されるので、変化は容易かつ迅疾である。🌱
東方(ほう)は赤色、南方は白色、西方は黄色、北方は黒色、これが四方の正色である。早朝、正午、黄昏、深夜において検証すれば、観察することができる。
冬至の時、子位の中は、陰気の極である。春分の時、卯位の中は、陽気の中である。夏至の時、午位の中は、陽気の極である。秋分の時、酉位の中は、陰気の中である。総計三百六十度、中分して各々一百八十度を得る。これは二至二分の相距の数である。
陽の中に陰があり、陰の中に陽がある、これが天道運行の普遍的な法則である。陽中の陽は、太陽であり、暑熱の道を代表する。陽中の陰は、月であり、その陽類に属するがゆえに、白昼に現れることができる。陰中の陽は、星辰であり、それゆえに夜空に現れる。陰中の陰は、辰(光なき天体を指す)、すなわち天地の間の暗体である。
「辰」は天に対して、天地の躯体のごとくである。地には五行があり、天には五緯(五大惑星)がある。地には水火の二気のみがあるが、天にはまた日月がある——月は真水であり、日は真火であり、陰陽の真精は、ここより五行を生じる。それゆえ天地の数は各々五であり、陽数は独り盈ちて七に至る。したがって人体の五臓の外にまた心包絡と命門があり、合わせて七となる。真心は離火に対応し、命門は坎水に対応し、五臓はここより生発し、これは精神の主宰、性命の根源である。
干の意味は主幹であり、陽に属する。支の意味は分枝であり、陰に属する。天干は十であり地支は十二である、これは陽数の中に陰を蔵し、陰数の中に陽を蔵する所以である。
魚は水族に属し、虫は風族に属する。
目と口は凸出しており、耳と鼻は開竅している。開竅する者は声音を受け、臭気を嗅ぎ、事物はそれを閉ざすことができない。凸出する者は顏色を観、味道を弁じ、事物はそれを閉ざすことができる。この四者は同じく一体に象るが、各々四方向の属性を具えている。
水は火の居所であり、火は水の気化である。黒色は白色の根基であり、寒冷は暑熱の根基である。
草間に伏行する獣類は、その毛髪は草茎のごとく、林間に棲息する鳥類は、その羽毛は树叶のごとく、これは物類の然らしむるところである。石の中に花開くもの、塩硝の類である。水中の生物と陸上の生物は根本的に差異がなく、各々寒熱の性を有する。大略すれば、陸地は陽中の陰であり、水は陰中の陽である。
日月星辰は共に天を構成し、水火土石は共に地を構成し、耳目鼻口は共に頭を構成し、髄血骨肉は共に身を構成する、これが即ち「五」の数である。
火は「無」より生じ、水は「有」より生じる。
辰より日に至るを生と為し、日より辰に至るを用と為す。順行すれば即ち生じ、逆行すれば即ち用いる。
《周易》には三百八十四爻がある、これは真正の天文である。
鷹隼の類は活物のみを食し、鶏の類は活物を専らとはしない。虎豹の類は活物を食し、猫犬の類は活物も熟食も食す、これに類推すれば、知ることができる。
馬と牛はすべて陰類に属するが、細分すれば馬は陽であり牛は陰である。
飛行の類は風を好み上へ飛翔するのに敏く、奔走の類は土を好み下へ奔走するに利する。
禽鳥虫類の卵は、果蔬の類のごとくである。禽類は多く子を産し、虫類もまた同じである。
蚕の類は、本年蛾を化して子を産し、来年はその子が蚕に化する。蕪菁の類は、本年根を生じて苗を長じ、来年はその苗が子を結ぶ。これらはすべて一歳の物の生命循環である。🔄
天の気運は北より南に運行すれば天下は大治し、南より北に運行すれば天下は混乱する。乱れて久しくなればまた北より南に恢復する。天道と人事はすべてこのようであり、歴代に推しておけば、消長の理を見ることができる。
水中の生物は目を閉じない(瞬きのない瞼)、風中の生物は目を閉じる。奔走の類は下睫毛が上眼瞼に接し、飛行の類は上睫毛が下眼瞼に接する、これも物類の然らしむるところである。
水中にあって鱗甲を有する者は、飛行の類に属する。亀獺の類は、奔走の類に属する。
四象がもし錯綜して運用されれば、日月は天の陰陽であり、水火は地の陰陽であり、星辰は天の剛柔であり、土石は地の剛柔である。
飛ぶ動物の中に走獣の特徴を有するもの、鶏鴨の類である。走る動物の中に飛行の特徴を有するもの、龍馬の類である。
陽は舒展悠長を主とし、陰は急促収斂を主とする。太陽の運行が盈度に入るのは、陰が陽に従う所以であり、縮度に入るのは、陽が陰に従う所以である。
神は人の主宰である。まさに眠らんとする時、神は脾に在り、熟睡の時、神は腎に在り、まさに醒めんとする時、神は肝に在り、清醒の時、神は心に在る。
天地の大いなる覚醒は夏に在り、人の神は心に存する。
水族は陰を主とし、陽を次とする。陸類は陽を主とし、陰を次とする。それゆえ水類は水を出でれば則ち死に、風類は水に入れば則ち死ぬ。しかしまた両界を出入りできるものもある、亀、蟹、鵝、鴨の類である。
天地が交わる程度は、十分の三である。
天火は無体の火であり、地火は有体の火である。火は本より体がなく、物質に因って形体を得る。金石の火は草木の火より猛烈である、これは依拠する物質が異なるからである。
気形が旺盛であれば、魂魄も旺盛であり、気形が衰弱すれば、魂魄もまたそれに従って衰弱する。
魂は気に随って変じ、魄は形に随って止まる。それゆえ形体が存在すれば魄は存し、形体が消滅すれば魄は散ずる。
星辰は太陽の余気の化する所であり、辰(暗天体)は月の余気の化する所である。星中の最も微小として沙塵のごとき者は、隕落した後に堆積して土丘となる。
蔵(臓)は天の運行に属し、府(腑)は地の運行に属する。天地が並行すれば、配合して八卦となる。
八卦は相互に交錯する、その交錯に因って六十四卦を生成する。
《易》の根本は乾坤に在り、生発は姤と復に始まる。剛が柔に交われば則ち復卦が成り、柔が剛に交われば則ち姤卦が成り、ここよりして無限に衍生する。
龍は大にも小にもなることができるが、またそれを制御できる力もある。それは陰陽の気に制約され、時を得れば則ち変化でき、時が過ぎれば則ち再び変わることはできない。
一年の閏は、六陰六陽を含む。三年で三十六日を積む、それゆえ三年に一閏ある。五年で六十日を積む、それゆえ五年に再閏ある。
先天図においては、環中の道である。
月の本体は元来黒いが、太陽の光を受けて白を顕す。水は人体において血に対応し、土は人体において肉に対応する。
胆と腎は同じく陰に属し、心と脾は同じく陽に属する。心は目を主とし、脾は[口]を主とする。
陽中の陽は日と為し、陽中の陰は月と為し、陰中の陽は星と為し、陰中の陰は辰と為す。柔中の柔は水と為し、柔中の剛は火と為し、剛中の柔は土と為し、剛中の剛は石と為す。
[色]の気は目によって見え、口の言は耳によって聞こえる、これは同類が相応ずるからである。
「倚盖の説」は崑崙山が四周低く垂れて海を成すと主張する。その理を推究すれば不然である。大地は方直にして静止している、どうして円転運動する天のごとくであり得ようか?
動物は頭部から生長を始め、植物は根部から生長を始める。頭より始まる生命は、その根本が頭に在り、根より始まる生命は、その根本が根に在る。
海潮は、大地の喘息である。月と相応ずる所以は、同類が相応ずるからである。
震卦は龍と為す、一陽が二陰の下に動く、これを震と為す。深淵の下に動物が存在する、豈に龍ではなかろうか?
風類と水類は、大小が相反する。
天の陽位は東南に在り、日月はここに居る。地の陰位は西北に在り、火石はここに居る。
「起震終艮」の一節は、文王八卦を明らかにするものである。「天地定位」の一節は、伏羲八卦を明らかにするものである。「八卦相錯」は、交錯して六十四卦を成すことを明らかにする。「数往者順」は、順天して行けば、即ち左旋であり、すべて已生の卦である、それゆえに「数往」と言う。「知来者逆」は、逆天して行けば、即ち右旋であり、すべて未生の卦である、それゆえに「知来」と言う。易の数は、正に逆行によって成就される。
《堯典》は三百六旬又六日(366日)と言う。太陽の余数が盈ちて六であれば、月の余数が盈ちるのもまた六である。もし日月の余十二を取り去れば、三百五十四を得る。これは太陽が運行する日数であり、十二を以て之を除すれば、二十九日(朔望月の約数)を得る。
《素問》に言う:肺は皮毛を主り、心は脈を主り、脾は肉を主り、肝は筋を主り、腎は骨を主る。上より下に、外より内に及ぶ。心血と腎骨の相交わりは交法であり、交とは用の意である。
乾は天の類の本象である。金の類と為すのは、別象である。
天地が並行すれば、臓腑が相配する。四臓は天に対応し、四腑は地に対応する。
乾は奇数であり、陽に属し、健を象徴する、それゆえ天下で最も剛健なるは天の如きはない。坤は耦数であり、陰に属し、順を象徴する、それゆえ天下で最も柔順なるは地の如きはなく、地はそれゆえ天に順承する。震は起动と為し、一陽が下に起きる、それゆえ天下で最も震動するのは雷の如きはない。坎は陷と為し、一陽が二陰の中に陷る、それゆえ天下で最も陷る能わしむるは水の如きはない。艮は止と為し、一陽がここに至って止まる、それゆえ天下で最も静止するのは山の如きはない。巽は入と為し、一陰が二陽の下に入る、それゆえ天下で最も入る能わしむるは風の如きはない。離は麗と為し、一陰が二陽の間に附麗し、その卦は交錯して文を成し華麗である、それゆえ天下で最も絢麗なるは火の如きはなく、また「附麗」の義がある。兌は悦と為し、一陰が外に出でて物に悦ぶ、それゆえ天下で最も喜悦せしむるは沢の如きはない。
火は内部が暗く外部が明るい、それゆえ離卦の陽爻は外にある。火の作用は、その外に対する明を用いることである。
人はなぜ奔走の類に寄形するのか?奔走の類は、地の長子だからである。
泰より否に至る、その間に蛊卦がある。否より泰に至る、その間に随卦がある。
天に五辰がある:日、月、星、辰と天が合わせて五となる。地に五行がある:金、木、水、火と土が合わせて五となる。
温泉はあるが寒火はない、これは陰は陽に従うことができ、陽は陰に従うことができないからである。
雷があれば則ち電があり、電があれば則ち風がある。雨は水より生じ、露は土より生じ、雷は石より生じ、電は火より生じる。雷と風は同じく陽の極である、それゆえ電があれば必ず風がある。
樹木は堅硬で、雷霆に非ざれば震動することができない。草木は柔弱で、露水に非ざれば滋潤することができない。🌩
三、「天地之交十之三」:天地相交僅有十分之三,意味著宇宙的大部分處於不相交的狀態。這種不完全的交合,恰恰是宇宙運作的微妙所在——若完全相交則無分別,若完全不交則無化生。
得天氣者動,得地氣者靜。
天氣輕清主運動,地氣重濁主靜止。稟受何種氣稟,決定事物的基本動態傾向。
陽之類圓,成形則方。陰之類方,成形則圓。
先天之陽其象為圓(天圓),後天成形則為方;先天之陰其象為方(地方),後天成形則為圓。這是陰陽在先天後天之間的形態互變。
木之枝幹,土石之所成也,所以不易。葉花,水火之所成,故變而易也。
枝幹堅硬耐久,對應土石之性;花葉柔軟易凋,對應水火之性。此以五行之性解釋植物組織的更新頻率。
冬至之子中,陰之極。春分之卯中,陽之中。夏至之午中,陽之極。秋分之酉中,陰之中。
四時至點與十二地支的對應關係,確立了一年陰陽消長的基本座標。子午為極、卯酉為中。
陽中有陰,陰中有陽,天之道也。陽中之陽,日也。陽中之陰,月也。陰中之陽,星也。陰中之陰,辰也。
以日月星辰配陰陽四種組合狀態。日光明亮為陽之陽,月借日而為陽之陰,星自發光但弱為陰之陽,辰(暗體)為陰之陰。這是邵雍天學四象的核心分類。
月為真水,日為真火,陰陽真精,是生五行。
月為真水、日為真火,是陰陽之真精的具體體現。五行之源在於日月,這一觀點深刻影響了後世命理學對「日月為五行之宗」的認識。
幹十而支十二,是陽數中有陰,陰數中有陽也。
十天干為陽,卻有乙丁己辛癸五陰干;十二地支為陰,卻有子寅辰午申戌六陽支。陽中有陰、陰中有陽的旁證。
目口凸而耳鼻竅,竅者受聲嗅氣,物或不能閉之,凸者視色別味,物則能閉之也。
感官分兩類:耳鼻為「竅」,被動接受外界刺激(聲音、氣味),無法自覺關閉;目口為「凸」,主動探索(觀看、品嚐),能自主閉合。這是對感官功能的主動-被動二分法,極具洞察力。
水者火之地,火者水之氣。黑者白之地,寒者暑之地。
水火黑白寒暑,相互為根。此段突出了對立面相互依存的關係。
火生於無,水生於有。
火無實體,依託他物而為存在——生的根基在「無」;水有實體,由氣凝聚而成——生的根基在「有」。這區分了兩種不同的存在論模式。
易有三百八十四爻,真天文也。
《周易》六十四卦共三百八十四爻,邵雍認為這與天體運行的真實度數相應,將易學上升到宇宙論層面。
天之氣運北而南則治,南而北則亂,亂久則復北而南矣。
中國地理格局下,北方(黃河流域)為文明發源地。氣運由北向南推進,意味著文明向南方擴散、開發程度提升;由南向北則往往對應北方民族南下、社會動盪。這是對歷史地理格局的宏觀觀察。
在水者不瞑,在風者瞑。走之類上睫接下,飛之類下睫接上,類使之然也。
魚類無眼瞼故不閉眼,陸上動物有眼瞼故能閉眼。走獸上睫毛長接向下,鳥類下睫毛長接向上。這些觀察精確入微,體現了「觀物」的基本方法。
神者人之主,將寐在脾,熟寐在腎,將寤在肝,正寤在心。
將清醒之「神」分佈於五臟的不同生理階段。這一框架對中醫的睡眠調理具有指導意義。
天火無體之火也,地火有體之火也。火無體,因物以為體。
天火(如雷電、日光)不與具體物質綁定;地火(燃燒之火)必須依託薪材。火的「無體」性使其成為轉化之象。
星為日餘,辰為月餘。
星辰是太陽的餘氣所化,辰(暗體)是月亮的餘氣所化。將天體生成理解為「日生星、月生辰」的衍生關係。
藏者天行也,府者地行也,天地並行則配為八卦。
臟(藏)主收藏,應天之行;腑(府)主傳化,應地之行。天地並行,臟腑相配,與之對應的是八卦的結構。
夫易,根於乾坤而生於姤復,蓋剛交柔而為復,柔交剛而為姤,自茲而無窮矣。
乾坤為體,姤復為用。復卦(一陽初生)為剛交柔的結果;姤卦(一陰初生)為柔交剛的結果。陰陽交錯從此展開無窮變化。這是邵雍對易學生髮機制的概括。
倚蓋之說,崑崙四垂而為海,推之理則不然,夫地直方而靜,豈得如圓動之天乎?
「蓋天說」認為天地如傘蓋覆蓋,崑崙山為海所環繞。邵雍反駁此說,堅持天圓地方、天動地靜的傳統框架。這一判斷雖不符現代天文學,但體現了理性推究的精神。
海潮者,地之喘息也。所以應月者,從其類也。
海潮是大地在「呼吸」,與月亮之運行相應。此說恰與現代「潮汐主要受月球引力影響」的方向一致——只是所謂「同類相應」的機制解釋與引力說不同,但其因果關聯的方向判斷是正確的。
數往者順,若順天而行,是左旋也,皆已生之卦也。知來者逆,若逆天而行,是右旋也,皆未生之卦也。夫易之數,由逆而成矣。
這是對易學時間方向性的重要論述:「數往」是順行(從已知推已知),「知來」是逆行(從未知求未知)。占筮的本質,就是「逆數」——從未發生之事中逆推其理。這與現代決策理論中的「逆向推理」有結構性的相似。
乾奇也,陽也,健也。坤耦也,陰也,順也。震起也。坎陷也。艮止也。巽入也。離麗也。兌說也。
此段為八卦的核心取義,與《說卦傳》一脈相承,但更為精煉。每卦一個核心字:乾=健、坤=順、震=起、坎=陷、艮=止、巽=入、離=麗、兌=說(悅)。
火內暗而外明,故離陽在外,火之用,用外也。
火焰外明亮而內部溫度雖高卻昏暗,故離卦陽爻在外,象徵火之「用」在於對外照耀。這是對卦爻結構與自然現象之間關係的精妙推演。
人寓形於走類者何也,走類者,地之長子也。
人為走類(哺乳類),而走類是「地之長子」。邵雍在建構天地萬物譜系時,將走類置於特殊地位,以此解釋人在生物譜系中的位置。
有溫泉而無寒火,陰能從陽而陽不能從陰也。
水可受熱而溫,火不可受寒而冷。陰柔可從陽剛,陽剛不可屈從陰柔。這既是對自然現象的觀察(熱傳導的方向性),也是對陰陽主從關係的論斷。