読み込み中...
全 14 章中 5 章
六壬粹言
太陽月将は主宰なり ☀️
月将是すなわち太陽であり、課全体の主宰の神である。もし吉将に乗じて発用すれば吉となり、例えば壬辰日の申時巳将の占では、三伝巳寅亥となり、月将が貴人に乗じて財爻として発用するのがそれである。もし凶将に乗じて発用すれば凶となり、例えば丙寅日の巳時子将の占では、三伝子未寅となり、月将が螣蛇に乗じて日鬼として天干に加わり発用するのがそれである。
太陽臨身格:身とはすなわち天干のこと。例えば戊辰日の巳時午将の占では、午が太陽として天干に加わる。これを太陽臨身と名付け、しかも将は青龍に乗じ、我を生ずる神となる。官職にある者は昇進を主とし、平人も財利の喜びを得る。たとえ空亡に値しても用いることができる。太陽は本来、懸空の神であるからだ。また壬午日の亥時戌将の占では、戌が太陽として干に加わり、白虎に乗じて鬼となり、病気の危険が迫ることを主とする。しかも時は昏暮に当たり、太陽に光がなく、諸占不吉である。
太陽射宅格:宅とはすなわち地支のこと。例えば乙卯日の卯時子将の占では、子が太陽として支に加わる。これを太陽射宅と名付け、しかも貴人に乗じて支を生ずれば、住宅を占うならば必ず宝藏がある。もし子年に値して占えば、太歳貴人が宅に入ることであり、その年に必ず貴子が生まれる。また戊辰日の辰時寅将の占では、寅が太陽として支に加わり、螣蛇に乗じて宅を克すれば、その家に必ず多くの怪異のことがあることを主とする。
時は先锋として已に機を泄す 🕐
先锋はすなわち正時(占問の時刻)である。古人は課伝を得る前に、まず正時を見て、事の原委を知ること既に大略を把握した。例えば壬癸日に午時を得れば、午は胎神であり、すなわち懐孕のことを占うと知る。丙丁日に申時を得れば、申は日の財であり、すなわち財を求めて占うと知る。もし駅馬に遇えば、移転のことを主とし、空亡に遇えば、侵欺のことを主とする。日干と生合すれば吉、日干と冲克すれば凶。もし年命を刑克すれば、とりわけ大忌である。
時用生日:占時の発用がその日干を生ずることを指す。例えば乙未日の亥時卯将の占では、三伝亥卯未がそれである。およそ時は目前を表し、用は事の始めを表す。今、同時に日干を生ずれば、動きに生機があり、謀ることあれば、いずれも意のままにならないことはない。支を生ずるのも同じ理である。
時用克日格:占時の発用がその日干を克することを指す。例えば庚辰日の午时辰将の占では、三伝午辰寅がそれである。時と用が同時に日干を克すれば、至近の場所に先に阻むものがあり、諸事困難で、凡占不吉である。もし末伝および年命上の神に子孫爻の救うものがあれば解くことができる。この課はただ追逃捕盗にのみ適する。
歳主は一年の禍福を分かつ 📅
歳は太歳を指す。甲年に甲を見、乙年に乙を見る。これを歳君と謂う。子年に子を見、丑年に丑を見る。これを太歳と謂う。太歳は天子の如く、月建は諸侯の如く、太歳は月内の事を掌り、その権最も重い。もし太歳が発用に値すれば、远大の事を主とし、朝廷に関わる。吉将に乗じて生合すれば吉、凶将に乗じて刑克すれば凶。
天恩課:太歳が発用し、吉将に乗じて日干・年命上の神を生合する。これを天恩と曰う。例えば壬寅日の三伝申亥寅、夜将申年の占では、太歳が青龍に乗じて日を生ずることを主とし、前程远大、名利両全を主とする。青龍に乗ずれば官にある者は常に遷転し、朱雀・天空に乗ずれば朝信の動きがあり、天后に乗ずれば恩沢の至るがある。
天禍課:太歳が発用し凶将に乗じて日干および年命上の神を刑克する。これを天禍と曰う。例えば己未日の三伝卯亥未、夜将卯年の占では、太歳が白虎に乗じて干と支に加わり鬼となる。事は至大に起こり、罪は朝廷に関わり、凡占皆凶である。
月司は一月の安危を別つ 🌙
課が月建の発用に値し、吉神に乗じて生合すれば吉、凶将に乗じて刑克すれば凶。
時泰課:月建が発用し、吉神に乗じて日干・年命上の神を生合する。これを時泰と曰う。凡占時運亨泰をもって論ずる。例えば正月庚子日の戌時亥将の占では、三伝寅卯辰、寅が月建で、将は青龍に乗じ、干の財神となる。諸占ともに吉。
時否課:月建が発用し、凶神に乗じて日干・年命上の神を刑克する。これを時否課と曰う。凡占時運否塞をもって論ずる。例えば七月甲午日の申時巳将の占では、三伝申巳寅、申が月建で、虎に乗じて日干・日支を克し、末伝にも救神がなく、凶禍は免れ難い。
丁は動神として両岐に断ず 🔥
丁は動神である。例えば庚辛壬癸の四干は、課伝年命に旬丁を見れば、水日は財動を主とし、金日は凶動を主とする。
水日逢丁の例:壬癸日は、六処に旬内の丁神を見れば財動を主とする。ただ占人の行年上の神が六丁の乗ずる神を克去すれば不吉なるを畏れる。壬申・癸酉日は卯を見れば、子息によって財が動く。壬午・癸未日は丑を見、壬子・癸丑日は未を見れば、官事によって財が動く。内、癸丑・癸未日には、三伝皆鬼となる者は用いない。壬辰・癸巳日は亥を見れば、兄弟によって財が動く。壬寅・癸卯日は酉を見れば、長上によって財が動く。壬戌・癸亥日は巳を見れば、妻妾によって財が動く。内、癸巳・癸亥日は丁馬交加で、その財動は更に速く、あるいは娶妻の喜びがあったり、すでに娶っていれば別妻の憂いがあったりする。
金日逢丁の例:庚辛の二干は、六処に旬内の丁神を見れば、凶動を主とする。庚午・辛未日は卯を見れば、妻妾によって凶動し、あるいは財を得て禍が至る。庚辰・辛巳日は丑を見、庚子・辛亥日は未を見れば、長上によって凶動する。庚寅・辛卯は亥を見れば、子孫によって凶動する。庚申・辛酉日は巳を見れば、官事によって凶動する。もし将が白虎に乗ずれば、その凶動はとりわけ速い。占人の年命上の神が六丁の乗ずる神を克去すれば解くことができる。官人があって赴任を占えば極めて速く、かえって六処にこれを制する神があるのは良くない。
遁丁助財格:干上の神が財を作し、しかも支上の神がまた丁に遁して財を作す。例えば六壬日は、干上に午があり、丁神が支に加わる。明暗ともに財を作し、その妻財の動きは必ず小さくはない。六癸日にはこの例がない。
遁丁助鬼格:干上の神が日を克し、しかも支上の神がまた丁に乗じて日を克する。例えば六庚日は干上巳、丁神が支に加わる。六辛日は干上午、丁神が支に加わる。人は禍に罹り宅は動揺することを主とする。ただ官にある者が赴任を占うには極めて速く、六辛日昼占は午が貴人となるので更に妙。
癸は閉口として各般に推す 🤐
癸は閉口である。およそ旬尾が旬首に加わって発用するを、閉口と名付ける。およそ水の性は潤下で、旬首に加われば、人の水中に在るが如く、口を開くことができない。例えば甲申日の三伝巳寅亥、乙巳日の三伝丑戌未がそれである。この例は甚だ多く、詳載に及ばない。占は人に事を説き求めるも、人は常に口を閉じて言わないことを主とする。もし貴人に乗ずれば貴に告ぐも允さず、朱雀に乗ずれば文書通ぜず、勾陳に乗ずれば訟は必ず枉屈し、六合に乗ずれば気は伸びることができない。病を占えば食を納れず、産を占えば必ず唖児である。ただ捕盗追逃にのみ適する。
禄作閉口格:例えば辛未日は酉が寅に加わり、丙戌・戊子日は巳が亥に加わり、乙未日は卯が申に加わり、壬戌日は亥が巳に加わる。禄が閉口を作し、また日の絶郷に居る。食禄を占えば必ず得べからず、病を占えば必ず絶食して死する。
財作閉口:例えば丙寅・丁卯日は酉を見、甲戌・乙亥日は未を見、壬辰・癸巳日は巳を見、庚子・辛丑日は卯を見、甲辰・乙巳日は丑を見、戊午・己未日は亥を見る。財が閉口を作せば、財を求めて皆得べからず、もし坐空すればとりわけ甚だしい。
罡は鬼户に填まり凡謀遂ぐ 🗻
辰は天罡、寅は鬼户である。辰が寅に加わって発用するを、罡塞鬼户と名付ける。例えば六甲日の三伝辰午申がそれである。およそ天罡の気は万物を鼓して出す。衆鬼があるも、阻むことができない。凡占亨利ならざるはない。もし課伝に見えなくても、占人の年命上の神がこれに乗ずれば、また用いることができる。例えば己丑日の三伝卯巳未は、初伝が日鬼で、中伝もまた鬼郷に入る。誠に凶課である。もし占人の年命が寅にあれば、また罡が鬼户を塞ぐに頼り、凶を化して吉とすることができる。凡そ天罡が年命に加臨すれば、静なる者は動を主とし、動なる者は静を主とし、凶を占えばかえって吉、吉を占えばかえって凶である。訟を占うてすでに獄に入った者は、すなわち出獄の応がある。
魁は天门に度り事を為す莫し 🚧
戌は河魁、亥は天门である。戌が亥に加わって発用するを、魁度天门と名付ける。例えば壬申日の三伝戌酉申がそれである。凡占関格を免れず、人を訪ねれば見えず、盗を占うては獲難く、病を占うては多くは隔気である。もし将が白虎に乗ずれば、その関格はとりわけ甚だしい。また丙子日・戊子日は、剛日比用で、幹連衆人の事を主とする。魁が衆ゆえである。また天罡の気は万物を鼓して出で、天魁の気は万物を収めて入る。四時羅网煞と為り、一網は余すところがない。日辰の前にあるは静位で、用上にあるは動機である。分別して観察せねばならない。
天乙旺相は干貴に吉 👑
課に貴人が旺相の気に乗じて発用し、占人の年命上に臨むを得れば、名利両全を主とする。例えば辛巳日は寅が巳に加わって発用し、夜将寅が貴人に乗じ、春占で寅巳が旺相の気であればそれである。余例はこれを類推する。
貴覆干支:干と支がともに昼夜の貴人に乗ずる。例えば甲申日は干上丑、支上未。庚寅日は干上未、支上丑。両貴人が周旋して事を成すを得ることを主とする。この例は八专五日を除く外、また甲申・庚寅・己卯・己亥・癸卯・癸亥の六課がある。
二貴相加格:昼夜の二貴が相加わり、課伝に見える。例えば六丁日の三伝酉亥丑が相加わって発用し、六丙日の三伝丑亥酉が相加わって入伝し、六乙日は干陽子・干陰申が相加わって入伝する。貴に告げ事を求むれば、必ず両貴人が成就するを得ることを主とする。もし夜貴が昼貴の上にあれば、関節を求めれば必ず得る。
遍地貴人格:例えば丁酉日は、一課酉、二課亥、三課は亥酉相加わり、三伝酉亥丑、合わせて五貴を得る。これを遍地貴人と名付ける。貴多ければ貴ならず、事は一に帰さず、かえって依る所がないことを主とする。在任は多差使、訟を占うては多くの官を経る。もし夜貴を用いれば更に凶。この他、丁巳日の三伝酉亥丑、癸亥日の三伝丑卯巳も、皆五貴人である。丁未日の三伝酉亥丑、癸丑日の三伝卯巳未は、皆六貴人である。余に例なし。
幕貴臨干格:例えば六甲日は昼占で干上未、六乙日は昼占で干上申。幕貴が身に臨めば、官のある者がこれを得るは、休官の象である。ただ試を受ける者を占うには中る。常人この占を得れば、林下の官の扶持あるを主とする。もし日鬼として干と支に加われば、病を占うて必ず神祇の害あるものである。
順逆分行すれば吉凶岐る 🔄
貴人が順治すれば、諸将も皆従って順行し、凶煞に遇うも、災いを降すもまた軽い。貴人が逆行了れば、諸将も皆従って逆行し、吉神に遇うも、恵みを施すもまた薄い。この例は毎日各六課がある。また巳が月将であれば、甲戊庚の三干は、一日内に全く逆貴がなく、亥が月将であれば、甲戊庚の三干は、一日内に全く順貴がない。更に確かである。(この例もまた拘泥すべからず。総じて神将の吉凶を以て断ずる。)
門に立ち獄に入るは私祷に宜し 🚪
貴立私門格:卯は外門、酉は内門である。貴人が卯酉の上に立てば、貴立私門と名付け、貴人に私あるを主とし、貴に干すに宜しくない。ただ陰謀私祷にのみ適する。また六甲日は昼占で丑が酉の上に立つはすなわち夜の方であり、夜占で未が卯の上に立つはすなわち昼の方である。貴人蹉跌と名付ける。例えば戊辰日は昼占で、丑貴が辰に坐して支に加わる。甲戌日は夜占で、未貴が戌に坐して支に加わるのがそれである。
貴塞鬼門:凶を化して吉となす。この他にまた壬戌・癸酉・癸未・癸丑・癸亥日の五課がある。もし巳貴が四課にいなくても、占人の年命上の神がこれに乗ずれば、また用いることができる。
貴登天門格:甲戊庚の三干は、丑未の両貴人が地盤の亥位に加わる。貴登天門と名付ける。四煞は没し六神は藏る。諸占ともに吉である。六神藏とは:螣蛇は子に臨んで墜水と名付け、朱雀は丑に臨んで投江と名付け、勾陳は卯に臨んで受制と名付け、天空は巳に臨んで入化と名付け、白虎は午に臨んで焼身と名付け、玄武は申に臨んで現形と名付ける。四煞没とは:辰戌丑未の四墓煞が四維に陷りて没することである。だが課伝に見えなくても、占人の年命がこれに値すれば最も吉。
貴登天門なる者二:貴人が亥位に臨んで発用する者。例えば丁亥日は夜占で酉貴が亥に加わって発用し、辛亥日は昼占で午貴が亥に加わって発用するのがそれである。功名を占うに最も利あり。また丁亥日は伏吟昼占で、貴徳がまた駅馬を帯びて亥に加わって発用すれば、官を占うて必ず升遷を得、試を占うては中る。その他、課伝に入らざるも、占人の年命がこれに入れば、また用いることができる。
貴徳身に臨み万禍を消す 🛡️
貴人が日徳を作して日干に加臨する。例えば六乙日は干上申、夜占。六丁日は干上亥、昼占。六癸日は干上巳、昼占。貴人が日徳を作して身に臨めば、悪煞に遇うも、また禍を免れることができる。例えば乙丑日の三伝酉丑巳は、合局して干を傷つける。誠に凶課である。もし夜将を用いれば、初伝は蛇鬼に乗じ、上下夾克で、干を傷つける力なく、干上申はすなわち日徳の貴人で、諸煞を伏することができ、禍を弭することができる。余はこれに準じて推す。
貴生日干格:例えば六乙日は干上子、昼占で貴人が日干を生ず。六庚日は干上未、夜占で貴人が日干を生ず。凡占必ず貴人の力あるを得る。もしまた太歳を作せば更に吉。庚日の丑貴は用いない。墓神なるがゆえである。
貴は空克に逢えば事の期し難し ⚠️
昼夜の両貴は、あるいは空陷を作し、あるいは克制せられ、皆成す能わず。
両貴空陷格:両貴が皆空なるは、貴に干して事を求むるに、必ず先ず允して後に実恵がない。例えば丁丑日の三伝酉亥丑、酉は夜貴で旬空、亥は日鬼でまた空郷に坐すがそれである。もし事を成さんと欲せば、旬を換えて填实するを待ち、始めて望みがある。貴人空亡は、また閑貴人と名付ける。病を占うならば、必ず神祇の害あるものである。
両貴受克格:貴人が干または支に臨み、用神に遥克せられる。例えば乙亥の昼占では、三伝未卯亥で、干上子が貴人なれども、用神に克せられるのがそれである。凡占不吉。
貴作墓克脱格:例えば六甲日は干上未、夜占、貴人が墓を作して干に臨めば、必ず貴人の欺蒙するところとなる。六丙日は干上亥、昼占、貴人が鬼を作して干に臨めば、必ず貴人の克制するところとなる。六己日は干申、夜占、貴人が脱気を作して干に加われば、必ず貴人の脱赚するところとなる。
竜は生氣に乗じて尊栄の日 🐉
青龍が月内の生氣に乗じ、その支干を生ずれば、功名顕達、家道栄昌を主とする。
竜生加干格:竜が月内の生氣に乗じ、その干の神を生ず。例えば六丙・六丁日は干上寅、夜将三月の占。六戊日は干上午、昼将七月の占。六己日は干上巳、六月昼将の占がそれである。空亡を忌む。
竜生加支格:竜が月内の生氣に乗じ、その支の神を生ず。例えば甲辰・戊辰・庚辰日は支上午、昼将七月の占がそれである。
常は長生を作し興発の期 🌱
太常が長生を作し、干または支に加臨する。占は家道興隆、財利意の如くを主とする。例えば六甲日は干上亥が長生で、夜占は太常に乗ず。甲子・甲戌・甲寅日は支上亥が長生で、夜占は太常に乗ずるがそれである。この三課はまた交車合で、合本営生の如く、亨利ならざるはない。
虎鬼馬を載せて凶の甚しき 🐅
虎が駅馬に乗じて干を克する者。例えば六甲日の三伝辰午申、昼占で申が虎鬼に乗じ、また駅馬であるのがそれである。凶禍最も速やかなるを主とし、訟を占うてば必ず遠方に罪を得る。ただ旬空ならば免れることができる。官にある者が赴任を占うには極めて速く、かえって空なるは良くない。
昴星乗虎の例:昴星課に、将が白虎に乗ずる者は、凶禍免れ難い。例えば辛未日は干上亥、昼占で虎に乗ず。旬空に属すとはいえ、干上にあるゆえに白虎臨身で、中伝もまた虎、支上の初末も皆申で、また虎の本家である。干と支と三伝に五虎に乗ずる。凡占これに値すれば、必ず天驚地動の凶がある。
両蛇墓を夾み吝地疑う 🐍🐍
六丁日は干上戌が墓神として日を覆い、昼夜の天将がともに螣蛇に乗ず。地盤の巳もまた蛇の位で、両蛇夾墓と名付け、凶禍を免れ難い。訟を占うては囚えられ、病を占うては必ず積塊によって死する。内、丙戌日は支が墓に乗じて日を克するので特に凶。もし占人の年命が亥上にあり天罡に乗ずれば、辰虎を用いてこれを冲する。破墓と名付け、ようやく少し延ぶるを得る。
この章は「要将」と名付け、すなわち六壬占断において最も枢要なる若干の綱領である。「要」とは、鍵、枢機の義である。全編は六壬課式における天時(月将・正時・太歳・月建)、神煞(丁神・閉口・天罡・河魁)、貴人体系、凶神格局の四大類の判断要素を系統的に整理し、各要素の下にさらに吉凶の二途を分かち、厳密かつ完全な判断網絡を構成する。
その核心理念は次のように帰納できる:
| 判断層 | 核心要素 | 吉凶の鍵 |
|---|---|---|
| 天時層 | 月将・正時・太歳・月建 | 生合すれば吉、冲克すれば凶 |
| 動変層 | 丁神・遁丁・閉口 | 水日は財動、金日は凶動 |
| 関鎖層 | 天罡塞鬼户・魁度天门 | 開けば遂げ、閉ざせば阻まる |
| 貴神層 | 天乙貴人・順逆・旺相 | 貴を得れば成り、貴を失えば敗る |
| 凶煞層 | 白虎・螣蛇・墓神 | 吉将に乗ずれば凶減じ、凶将に乗ずれば凶増す |
核心原則:課の吉凶は、神煞そのものにあるのではなく、その日干との関係にある——我を生合する者は吉、我を刑克する者は凶。吉将に乗ずれば吉が増し、凶将に乗ずれば凶が増す。
六壬「要将」体系は、一つの多層次情報分析枠組みと見做すことができる 🔍:
月将(太陽) は全局の主変数の如く——現実の意思決定においては、大勢の赴く所に相当する。太陽臨身は順風に舟を進めるが如く、太陽昏暗は逆風に動くが如し。現代人はこう理解できる:タイミングが個人の行動を支持するか阻害するかの程度。
正時(先锋) はすべての情報の入り口である。情報論の層面では、占問の時刻そのものが事件の关键情報を担っている。これは現代の意思決定における初期条件敏感性に類似する——初期情報の微細な差異が截然たる異なる結果をもたらしうる。占時が日干を生ずれば、初期条件が有利。占時が日干を克すれば、初期の阻害がすでに顕れている。
太歳・月建 は異なる階層の時間影響力を代表する。太歳は一年の大局を主とし、月建は一月の趨勢を主とする。これは現代の意思決定におけるマクロ周期とメゾ周期の重畳分析に例えることができる:太歳は経済大環境の如く、月建は産業景気の如し。
丁神為動 の設定は極めて精妙である:壬癸(水)日が丁を見れば財動を主とし、庚辛(金)日が丁を見れば凶動を主とする。これは五行生克の内在的論理に基づく——丁火は水の財であり、金の官鬼である。現代の場面に置けば、「動」を変化がまさに発生しようとする信号と理解でき、かつ変化の性質は自身の「属性」と外部「トリガー要素」の関係によって決まる。
「罡塞鬼户」と「魁度天门」 は一対の相反する格局である:前者は天罡の気が万物を鼓して出で、衆鬼あるも阻む能わず。後者は天魁の気が万物を収めて入り、諸事閉塞して通じ難し。これは実に開と闔の古典的表現——時に適えば開いて亨通し、時に逆らえば闔じて阻隔される。
「要将」の一章は、中国古代の天人同構とタイミングの倫理の哲学観念を反映している 🌌:
其一、時間の階層性。月将・正時・太歳・月建、それぞれの時間次元には主管範囲と重みがある。太歳は天子の如く、月建は諸侯の如く、正時は先锋の如し。このような時間の階層化は単なる術数の設計ではなく、一つの世界観を反映している:異なる階層の時間の中に身を置き、人の行動空間と制約条件は異なる。これは現代人が「歴史の大勢」と「個人のタイミング」の違いを感覚的に捉えることと高度に契合する。
其二、「動」と「静」の弁証法。天罡が年命に加臨すれば、「静なる者は動を主とし、動なる者は静を主とする」——これは機械的な吉凶判断ではなく、状態の対立的転化を明らかにしている。事物がある極端に達する時、変化の力はすでにその中に蘊蔵されている。これは『易経』の「窮まれば変じ、変ずれば通ず」の思想と一脈通じる。
其三、「貴人」の多面性。遍地貴人はかえって「貴多ければ貴ならず」、事が一に帰さない。貴人が獄に入れば「私祷に宜しく、貴に干すべきでない」。貴が墓克脱を作せば、貴人はかえって欺蒙克制の源となる。これは深く資源の二重性を揭露している:社会的関係の助力は多ければ多いほど良いというものではなく、助力が行き過ぎればかえって足枷となる。鍵は貴人の状態と相位を甄別することにあり、盲目的に依存することではない。
其四、「閉口」の智慧。「癸は閉口、人の水中に在るが如く、口を開く能わず。」特定の時空格局の下では、沈黙・待機・不表明それ自体が一つの有効な戦略である。これは道家の「大音希声」、儒家の「時然然後言」の智慧と通じる。閉口課を得たら、商業交渉においてはまさに「静を以て動を制す」の信号かもしれない。
最後に、「太陽懸空」は空亡に逢うもまた用いることができる——これは六壬体系において、ある種の力の本質は「虚実」を超越していることを示唆する。太陽そのものが「空」(懸空)であるがゆえに、「空」を障碍としない。このような虚実の二元対立の超越こそ、中国古代宇宙観における「空にして空ならず」の思想の体现である。