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全 14 章中 3 章
针灸甲乙经
黄対問う:すべての鍼法は、必ずまず「神」を根本としなければならない。血・脈・営・気・精・神、これらはすべて五臓が藏するものである。何を徳・気・生・精・神・魂・魄・心・意・志・思・智・慮というのか。その道理をお聞きしたい。
岐伯が答える:天が我に与えるものを「徳」といい、地が我に与えるものを「気」という。徳と気が流布し交合して、初めて「生」が生じる。生命の原初物質を「精」(🌿生命本源物質)といい、両精が合わさって生じる活力を「神」(生命の主宰)という。神に従って往来する精神活動を「魂」という。精と共に出入りする知覚の本能を「魄」という。外界の物事を認識する機能を「心」という。心に憶念のあることを「意」という。意念に固執・堅持のあることを「志」という。志に基づいて繰り返し考量することを「思」という。思によりて長期的に計画することを「慮」という。慮によりて物事を適切に処理できることを「智」という。
ゆえに、知恵をもって養生するには、必ず四時に順応し、寒暑に適応し、喜怒を調和し、居処に安んじ、陰陽を節度し、剛柔を調和しなければならない。このようにすれば邪気は生じず、人は長生久視(健康長寿)できる。
ゆえに:恐懼・警惕し、思慮し過ぎると「神」を傷る。神が傷られると恐懼して不安になり、精神は散乱して収まらない。悲哀が心を動かすと精気を耗竭させ、人をして生気を喪失せしめる。喜楽が度を過ごすと神気は散逸して内に藏ることができない。憂愁すると気機は閉塞して暢通しない。大怒すると神志は迷惑して自ら治められない。恐懼すると神気は動揺して収められない。
『素問』にいう:怒ると気機は上逆し、ひどい時は嘔血し、また食事の後に気が逆上する、ゆえに「気上」という。喜ぶと気は和し志は達し、営衛(栄養と防御の気)は通利する、ゆえに「気緩」という。悲しむと心系は拘急し、肺葉は上挙し、上中二焦は通じず、営衛は散布できず、熱気は体内に凝集する、ゆえに「気消」という。恐れると神気は退縮し、退縮すれば上焦は閉塞し、閉塞すれば気機は回返し、回返すれば下焦は脹満する、ゆえに「気行かず」という。熱すれば腠理(毛孔)は開泄し、営衛は暢通し、大汗が出る。驚くと心は依る所なく、神は帰する所なく、思慮は安まる所がない、ゆえに「気乱」という。労すると喘息し汗出で、内外ともに耗散する、ゆえに「気耗」という。思うと心は繫がる所あり、神は止まる所あり、気機は留滞して行かない、ゆえに「気結」という。
肝は血を藏し、血の中に魂が宿る。肝は気においては言語として現れ、液においては涙として現れる。肝気が虚すれば恐懼しやすく、肝気が実すれば怒りやすい。『素問』にいう:人が臥す時、血は肝に帰る。肝は血を得て物を見ることができ、足は血を得て歩くことができ、掌は血を得て握ることができ、指は血を得て掴むことができる。
心は脈を藏し、脈の中に神が宿る。心は気においては嚥下として現れ、液においては汗として現れる。心気が虚すれば悲憂し、心気が実すれば笑いが止まらない。
脾は営(栄養の精微)を藏し、営の中に意が宿る。脾は気においては嗳気として現れ、液においては涎として現れる。脾気が虚すれば四肢は運動できず、五臓は安定しない。脾気が実すれば腹脹し、大小便が不利になる。
肺は気を藏し、気の中に魄が宿る。肺は気においては咳嗽として現れ、液においては鼻水として現れる。肺気が虚すれば呼吸が不利で少気となり、肺気が実すれば喘促して声があり、胸部は満悶し、頭を挙げて呼吸する。
腎は精を藏し、精の中に気が宿る。腎は気においては呵欠として現れ、液においては唾として現れる。腎気が虚すれば四肢は厥冷し、腎気が実すれば腹脹し、五臓は安定しない。必ず五臓の病形を審察し、その気の虚実を知って慎重に調治しなければならない。
肝気は悲哀が心を動かすと魂を傷る。魂が傷られると狂妄となり、精は内を守れず、人をして陰縮筋挛せしめ、両脇の肋骨は上挙できず、毛髪は枯槁し顔色は晦暗となり、秋に死する。肝は声においては呼、変動においては握、志においては怒であり、怒は肝を傷る。精気が肝に併せば憂が生じる。肝と腎、脾と肺は互いに成就し合う。脾は土に属し、四臓は全てその滋養を受ける。ゆえに恐れは肝に発して腎に成る。愛は脾に発して肝に成る。肝と胆は合し、胆は中精の府である。腎は精を藏す、ゆえに恐れと怒りは同源であり、一方が過度になれば両臓ともに傷つく。
心は、恐懼・思慮が神を傷る。神が傷られると恐懼して自ら制御できず、肌肉は消瘦し、毛髪は枯槁し顔色は晦暗となり、冬に死する。心は声においては笑、変動においては憂、志においては喜であり、喜は心を傷る。精気が心に併せば喜が生じる。心虚すれば悲しみ、悲しめば憂える。心実すれば笑い、笑えば喜ぶ。心と肺、脾と心は互いに成就し合う。喜は心に発して肺に成り、思は脾に発して心に成り、一方が過度になれば両臓ともに傷つく。
脾は、愁憂が解けなければ意を傷る。意が傷られると煩悶昏乱し、四肢は挙げられず、毛髪は枯槁し顔色は晦暗となり、春に死する。脾は声においては歌、変動においては呃逆、志においては思であり、思は脾を傷る。精気が脾に併せば飢餓感が生じる。
肺は、喜楽が過度になると魄を傷る。魄が傷られると発狂し、狂う者は意識が自らを制御できず、皮膚は乾焦し、毛髪は枯槁し顔色は晦暗となり、夏に死する。肺は声においては哭、変動においては咳、志においては憂であり、憂は肺を傷る。精気が肺に併せば悲が生じる。
腎は、大怒が止まなければ志を傷る。志が傷られると前言を忘れ、腰脊は俯仰できず、毛髪は枯槁し顔色は晦暗となり、季夏に死する。腎は声においては呻吟、変動においては戦慄、志においては怒であり、怒は腎を傷る。精気が腎に併せば恐れが生じる。恐懼が解けなければ精を傷り、精が傷られれば骨酸痿軟・四肢厥冷・遺精漏泄する。
ゆえに五臓は精を藏することを主とし、損傷してはならない。傷られれば守藏を失って陰虚となり、陰虚なれば無気となり、無気なれば死する。ゆえに鍼を用いる者は、病人の神态を観察し、精神魂魄の存亡得失を了解しなければならない。五者がすでに傷られていれば、鍼灸も治療することはできない。
黄対問う:五臓には各々五変があるが、その规律を聞きたい。岐伯が答える:人には五臓があり、各臓に五変があり、各変にまた五輸穴がある。ゆえに五五二十五で、五時に対応する。
肝は牡臓(陽臓)であり、色は青、時は春に属し、日は甲乙に属し、音は角、味は酸。心は牡臓であり、色は赤、時は夏に属し、日は丙丁に属し、音は徵、味は苦。脾は牡臓であり、色は黄、時は長夏に属し、日は戊己に属し、音は宮、味は甘。肺は牝臓(陰臓)であり、色は白、時は秋に属し、日は庚辛に属し、音は商、味は辛。腎は牝臓であり、色は黒、時は冬に属し、日は壬癸に属し、音は羽、味は鹹。これが五変である。
臓は冬を主り、冬は井穴を刺す。色は春を主り、春は滎穴を刺す。時は夏を主り、夏は輸穴を刺す。音は長夏を主り、長夏は経穴を刺す。味は秋を主り、秋は合穴を刺す。これが五変に対応する五輸穴である。原穴は単独では五時に対応せず、経穴と合わせて計算する、ゆえに六六三十六となる。
病が臓にあれば井穴を取り、病の色が変化すれば滎穴を取り、病が時により軽重あれば輸穴を取り、病の音が変化すれば経穴を取り、経絡が満ちて血瘀し、飲食不節により病を得れば合穴を取る。
人はもし春気に背けば、少陽は生発せず、肝気は内変する。夏気に背けば、太陽は長養せず、心気は内虚する。秋気に背けば、太陰は収斂せず、肺気は焦満する。冬気に背けば、少陰は閉藏せず、腎気は沈濁する。四時の陰陽は万物の根本である。ゆえに聖人は春夏には陽を養い、秋冬には陰を養い、もって根本に順応する。根本に背けば生命の本源を戕伐することになる。陰陽は万物の終始であり、これに順えば生じ、これに逆らえば死する。ゆえに聖人は已に病んだものを治さず、未だ病まざるものを治す。五臓の相伝する所勝を論ずる:假に心病が肺に伝われば、肺が未だ病まないうちに予め調治する。
肺と大腸は相合し、大腸は伝導糟粕の腑である。心と小腸は相合し、小腸は受盛化物の腑である。肝と胆は相合し、胆は清浄の腑である。脾と胃は相合し、胃は五穀の腑である。腎と膀胱は相合し、膀胱は津液の腑である。少陰経は腎に属し、上は肺に連なる、ゆえに両臓を統領する。三焦は中瀆の腑であり、水道はここより出で、膀胱に属し、孤腑である。これが六腑の配合である。
『素問』にいう:脳・髄・骨・脈・胆・女子胞、この六者は地気の生ずる所であり、全て陰に藏され、大地に象法する、ゆえに只藏して瀉さず、その名を奇恒の腑という。胃・大腸・小腸・三焦・膀胱、この五者は天気の生ずる所であり、その気は天に象る、ゆえに只瀉して藏さず、五臓の濁気を受け、その名を伝化の腑といい、久しく留めることができず、輸送排出する。魄門(肛門)もまた五臓のために働き、水穀は久しく藏することができない。
五臓は精気を藏して瀉さない、ゆえに満ちて実せず(精気は充満するが実物はない)。六腑は化物を伝えて藏さない、ゆえに実して満ちない(実物は通過するが停満しない)。水穀が口に入れば、胃は実し腸は虚す。食物が下行すれば腸は実し胃は虚す。ゆえに「実して満ちず、満ちて実せず」という。
気口はなぜ独り五臓の主たるのか。胃は水穀の海であり、六腑の大いなる源である。
肝胆は合す、ゆえに足厥陰と足少陽は表裏である。脾胃は合す、ゆえに足太陰と足陽明は表裏である。腎膀胱は合す、ゆえに足少陰と足太陽は表裏である。心と小腸は合す、ゆえに手少陰と手太陽は表裏である。肺と大腸は合す、ゆえに手太陰と手陽明は表裏である。
五臓の中では、肺は華蓋であり、肩が大きく胸が陥み、咽喉が外に露わになる。心は君主であり、欠盆が道である。肝は将軍であり、之をして外を候せしめ、眼睛の大小を見てその堅固さを知る。脾は胃の護衛を主り、水穀を運化し、唇舌の良否を見て吉凶を知る。腎は外を主り、之をして遠く聴かせ、耳朵の良否を見てその性を知る。
六腑の中では、胃は海であり、下顎が広く頸が太く胸が張っていれば、五穀がよく納まる。鼻道が長い者は大腸を候う。唇が厚く人中が長い者は小腸を候う。目下が膨満していれば胆気が横たわる。鼻孔が外に露われていれば膀胱が漏泄する。鼻柱の中央が隆起していれば三焦が約束される。これが六腑を候察する方法である。上下三等(顔面の上中下三停が均整)であれば、臓は安くかつ良好である。
鼻は肺の官であり、目は肝の官であり、口唇は脾の官であり、舌は心の官であり、耳は腎の官である。五官はもって五臓を候察する。肺病なれば喘息し鼻が張る。肝病なれば目が青い。脾病なれば唇が黄い。心病なれば舌が巻き頬が赤い。腎病なれば頬と額が黒い。
肺気は鼻に通じ、鼻が和すれば香臭を弁じることができる。心気は舌に通じ、舌が和すれば五味を弁じることができる。心は火に属し、腎は水に属し、水火既済である。心気は舌に通ず、舌は孔竅ではない、その竅に通ずる所は耳に寄附する。肝気は目に通じ、目が和すれば五色を見ることができる。諸脈はすべて目に帰属する。脾気は口に通じ、口が和すれば五穀の味を弁別できる。腎気は耳に通じ、耳が和すれば五音を聴くことができる。腎は竅においては耳であり、腎気は上は耳に通じ、下は二陰に通ずる。
五臓が和しなければ、九竅は通じない。六腑が和しなければ、留結して癰腫となる。邪が腑にあれば陽脈は和せず、陽脈が和さなければ気は留滞し、気が留まれば陽気は盛んとなる。邪が臓にあれば陰脈は和せず、陰脈が和さなければ血は留滞し、血が留まれば陰気は盛んとなる。陰気が太だ盛んなれば陽気は互いに運営できず、これを「格」という。陰陽ともに盛んで互いに運営できなければ、「関格」という。関格なる者は、天寿を尽くすことができずに死する。
黄対問う:人は皆天地の気を禀受するが、ある人は天寿を尽くすことができ、ある人は病を免れない、なぜか。岐伯が答える:五臓には本来大小・高低・堅脆・端正偏傾の違いがあり、六腑にも大小・長短・厚薄・結直・緩急の違いがある。この二十五種の変化はそれぞれ異なり、良し悪し・吉凶がある。
心が小さければ安定し、外邪は傷つけられないが、憂いには傷られやすい。心が大きければ憂いは傷つけられないが、邪には傷られやすい。心が高ければ肺の中に満ち、煩悶して忘れっぽく、開解し難い。心が低ければ臓が外に露われ、寒に傷られやすく、言葉で恐れやすい。心が堅ければ臓は安く守り固い。心が脆ければ消瘅(糖尿病類)・熱中の病にかかりやすい。心が端正ならば和利して傷られ難い。心が偏傾ならば操守が一ならず、守持するところがない。
肺が小さければ飲水が少なく、喘ぎにくい。肺が大きければ飲水が多く、胸痹・逆気の病にかかりやすい。肺が高ければ上気し喘息し咳逆する。肺が低ければ噴門を逼迫し、脇下痛にかかりやすい。肺が堅ければ咳逆上気しにくい。肺が脆ければ消瘅にかかりやすく傷られやすい。肺が端正ならば和利して傷られ難い。肺が偏傾ならば胸脇が偏痛する。
肝が小さければ安定し、脇下の病がない。肝が大きければ胃に逼り咽を迫り、膈中の病にかかりやすく、しかも脇下が痛む。肝が高ければ上は噴門を支え、脇下は拘急し、息噴となる。肝が低ければ胃に逼り、脇下は空虚となり、空虚なれば邪を受けやすい。肝が堅ければ臓は安く傷られ難い。肝が脆ければ消瘅にかかりやすく傷られやすい。肝が端正ならば和利して傷られ難い。肝が偏傾ならば脇下が偏痛する。
脾が小さければ安らかで、邪に傷られ難い。脾が大きければ脇下が疼痛し、速く歩けない。脾が高ければ季脇を牽引して痛む。脾が低ければ下は大腸を圧し、臓が外に露われて邪を受けやすい。脾が堅ければ臓は安く傷られ難い。脾が脆ければ消瘅にかかりやすく傷られやすい。脾が端正ならば和利して傷られ難い。脾が偏傾ならば瘛疭して脹りやすい。
腎が小さければ安らかで傷られ難い。腎が大きければ腰痛にかかりやすく、俯仰できず、邪に傷られやすい。腎が高ければ腰脊痛にかかりやすく、俯仰できない。腎が低ければ腰尻が痛み、俯仰できず、狐疝にかかりやすい。腎が堅ければ腰痛にかかりにくい。腎が脆ければ消瘅にかかりやすく傷られやすい。腎が端正ならば和利して傷られ難い。腎が偏傾ならば腰尻痛にかかりやすい。この二十五変が、人が病気にかかりやすい原因である。
如何にしてこれらの変化を知るのか。外在の形色によって判断する:
赤色(心):皮膚の纹理が細かい者は心が小さく、纹理が粗い者は心が大きい。胸骨に突起が無い者は心が高く、突起が小さく短い者は心が低く、突起が長い者は心が堅く、突起が弱く薄い者は心が脆く、突起が直下して挙がらない者は心が端正で、突起が一方に偏斜する者は心が偏傾している。
白色(肺):纹理が細い者は肺が小さく、纹理が粗い者は肺が大きい。肩が広く胸が陥み喉が高い者は肺が高く、腋が合し脇が張る者は肺が低く、肩背が厚い者は肺が堅く、肩背が薄い者は肺が脆く、背胸が厚い者は肺が端正で、胸が偏斜する者は肺が偏傾している。
青色(肝):纹理が細い者は肝が小さく、纹理が粗い者は肝が大きい。胸が広く脇が反る者は肝が高く、肋骨が弱い者は肝が低く、胸脇が良い者は肝が堅く、肋骨が弱い者は肝が脆く、胸腹が相称する者は肝が端正で、肋骨が偏挙する者は肝が偏傾している。
黄色(脾):纹理が細い者は脾が小さく、纹理が粗い者は脾が大きい。唇が上反りする者は脾が高く、唇が下垂する者は脾が低く、唇が堅い者は脾が堅く、唇が大きく堅くない者は脾が脆く、唇の上下が均斉する者は脾が端正で、唇が偏斜する者は脾が偏傾している。
黒色(腎):纹理が細い者は腎が小さく、纹理が粗い者は腎が大きい。耳が高い者は腎が高く、耳の後ろが陥む者は腎が低く、耳が堅い者は腎が堅く、耳が薄く堅くない者は腎が脆く、耳の形が端正な者は腎が端正で、耳が偏斜する者は腎が偏傾している。この各種の変化は、持守できれば安らかで、減損すれば病む。
ある者は深く屏蔽の内に居て、憂いも恐れもないのに、それでも病を免れない、なぜか。岐伯がいう:五臓六腑は邪気の寄居する所である。五臓がすべて小さい者は病は少ないが憂いが多い。五臓がすべて大きい者は処事が遅鈍で、憂いに擾され難い。五臓がすべて高い者は高遠を好む。五臓がすべて低い者は人下に甘んじる。五臓がすべて堅い者は病まない。五臓がすべて脆い者は病から離れられない。五臓がすべて端正な者は和利して人心を得る。五臓がすべて偏傾する者は邪心があって盗みを善とし、人たるべからず、反復常なし。
六腑の応候:肺は大腸に合し、大腸は皮膚に対応する。心は小腸に合し、小腸は脈に対応する。肝は胆に合し、胆は筋に対応する。脾は胃に合し、胃は肉に対応する。腎は三焦・膀胱に合し、三焦・膀胱は腠理・毫毛に対応する。
肺は皮に応ずる:皮が厚い者は大腸が厚く、皮が薄い者は大腸が薄く、皮が緩く腹が大きい者は大腸が緩くかつ長く、皮が緊い者は大腸が急でかつ短く、皮が滑らかな者は大腸が直く、皮肉が分離しない者は大腸が結ぶ。
心は脈に応ずる:皮が厚ければ脈が厚く、脈が厚ければ小腸が厚い。皮が薄ければ脈が薄く、脈が薄ければ小腸が薄い。皮が緩ければ脈が緩く、脈が緩ければ小腸が大きくかつ長い。皮が薄く脈が小さい者は小腸が小さくかつ短い。諸陽経脈に弯曲が多い者は小腸が結ぶ。
脾は肉に応ずる:肉が堅く大きい者は胃が厚く、肉が薄い者は胃が薄く、肉が小さく薄い者は胃が堅くなく、肉と身体が相称しない者は胃が下がり、胃が下がれば下脘の約束が不利になる。肉が堅くない者は胃が緩い。肉に小顆粒が無い者は胃が急である。肉に小顆粒が多い者は胃が結び、胃が結べば上脘の約束が不利になる。
肝は筋に応ずる:爪が厚く色が黄の者は胆が厚く、爪が薄く色が赤の者は胆が薄く、爪が堅く色が青の者は胆が急であり、爪が軟らかく色が赤の者は胆が緩く、爪が直く色が白く紋が無い者は胆が直く、爪が悪く色が黒く紋が多い者は胆が結ぶ。
腎は骨に応ずる:纹理が密で皮膚が厚い者は三焦・膀胱が厚い。纹理が粗く皮膚が薄い者は三焦・膀胱が薄い。腠理が疏松な者は三焦・膀胱が緩い。皮が急で毫毛が無い者は三焦・膀胱が急である。毫毛が美しくかつ粗い者は三焦・膀胱が直い。毫毛が稀な者は三焦・膀胱が結ぶ。
外在の応候を観察すれば、内在の臓腑の病変を知ることができる。
五脏有六腑,六腑有十二原穴。十二原穴出于四关(肘膝关节)。四关主治五脏,五脏有病,当取十二原穴。十二原是五脏禀受三百六十五节气血精气的地方。五脏有病,会表现于十二原,各原穴有其对应的脏腑。明确知道原穴,观察其反应,就知道五脏的病变所在。
阳中之少阴是肺,其原出于太渊(左右各一)。阳中之太阳是心,其原出于大陵(左右各一)。阴中之少阳是肝,其原出于太冲(左右各一)。阴中之太阴是肾,其原出于太溪(左右各一)。阴中之至阴是脾,其原出于太白(左右各一)。膏之原出于鸠尾(一个)。肓之原出于脖胦(气海)(一个)。共十二原穴,主治五脏六腑的疾病。
腹胀取三阳经,飧泄取三阴经。五脏有病,好比被刺扎、被污玷、被绳结、被门闭。刺虽久仍可拔除,污虽久仍可洗雪,结虽久仍可解开,闭虽久仍可打开。有人说久病不可治,这是不对的。善于用针的人,治病如拔刺、如雪污、如解结、如决闭,病虽久仍可治愈。说不可治的,是未得其术。
黄帝问:十二经脉,外应十二经水,内属五脏六腑。十二经水受水而行,五脏合神气魂魄而藏,六腑受谷而行、受气而扬,经脉受血而营运。如何配合来治疗?刺的深浅、灸的壮数,可以讲讲吗?
岐伯回答:脏的坚脆,腑的大小,谷的多少,脉的长短,血的清浊,气的多少,十二经中多血少气、少血多气、皆多气血、皆少气血,都有定数。治疗用针灸,各调其经气,本有常规。这是人参天地、应阴阳的道理,不可不审察。
足阳明外合海水,内属胃。足太阳外合清水,内属膀胱,通水道。足少阳外合渭水,内属胆。足太阴外合湖水,内属脾。足厥阴外合沔水,内属肝。足少阴外合汝水,内属肾。手阳明外合江水,内属大肠。手太阳外合淮水,内属小肠,水道出焉。手少阳外合漯水,内属三焦。手太阴外合河水,内属肺。手心主外合漳水,内属心包。手少阴外合济水,内属心。
这些十二经水都有外有源泉、内有所禀,内外相贯,如环无端。人体经脉也是如此。所以天为阳、地为阴,腰以上为天,腰以下为地。
刺灸的深浅:足阳明是五脏六腑之海,脉大血多气盛热壮,刺此不深不能散,不留不能泻。足阳明多血气,刺深六分,留十呼。足少阳少血气,刺深四分,留五呼。足太阳多血气,刺深五分,留七呼。足太阴多血少气,刺深三分,留四呼。足少阴少血多气,刺深二分,留三呼。足厥阴多血少气,刺深一分,留一呼。手阴阳经受气之道近,气来疾速,刺深都不超过二分,留都不超过一呼。根据胖瘦灵活掌握,叫“法天之常”,灸法也是如此。灸过度则得恶火,骨枯脉涩;刺过度则脱气。
(⚠️ 本节涉及具体针刺深度、留针呼数及灸法壮数,为古代针灸操作规范,仅供学术研究,严禁自行模仿操作。)
人体有四海,十二经水都注入海。有髓海、血海、气海、水谷之海。
胃是水谷之海,其上在气街,下至足三里。冲脉是十二经之海(血海),其上在大杼,下出上巨虚、下巨虚。膻中是气之海,其上在柱骨上下,前在人迎。脑是髓海,其上在头顶,下在风府。
四海得顺则生,得逆则败;知调则利,不知调则害。
气海有余,则气满胸中,呼吸急促、面红;不足则气少不足以说话。血海有余,则常觉身体胀大、烦闷,但说不清哪里病;不足则常觉身体缩小、狭隘,也说不清哪里病。水谷之海有余,则腹胀满;不足则饥饿但吃不下东西。髓海有余,则轻劲多力,超过常度;不足则头晕耳鸣、小腿酸软、眩晕目盲、倦怠嗜卧。
调治方法:审守其穴而调其虚实,不犯其禁忌;顺者得复,逆者必败。
黄帝问:五十营是怎样的?岐伯回答:周天二十八宿,每宿三十六分,人体之气运行一周为一千零八分。
人体经络上下左右前后共二十八脉,周身长十六丈二尺,对应二十八宿。漏水下百刻来分昼夜。人一呼脉跳动两次,气行三寸;一吸脉也跳动两次,气行三寸;一呼一吸为定息,气行六寸。十息脉行六尺,日行二分。二百七十息,气行十六丈二尺,周身一周,漏水下二刻。五百四十息,气行两周,漏水下四刻。二千七百息,气行十周,漏水下二十刻。一万三千五百息,气行五十周于身,漏水下百刻,日行二十八宿,漏水尽而脉行终。
卫气的运行:一年十二月,一日十二辰。子午为经,卯酉为纬。天一周二十八宿,房至毕为阳,昴至心为阴。阳主昼,阴主夜。卫气一日一夜运行五十周于身,白天行于阳二十五周,夜间行于阴二十五周,周于五脏。
平旦时阴气尽,阳气出于目,目张开则气行于头,沿项下,循足太阳经下行至小趾端。其散行者分于目,下手太阳经至手小指外侧。又散行者别于目锐眦,下足少阳经,注小趾次趾之间。上行循手少阳经,下至小指之间。别行者上至耳前,合于颔脉,注足阳明经下行至足背,入足五趾之间。散行者从耳下手阳明经入大指之间,入掌中,至足心,出内踝下行阴分,复合于目,为一周。
日行一舍,人气行于身一周又十分之八;日行二舍,三周又十分之六;日行三舍,五周又十分之四;日行四舍,七周又十分之二;日行五舍,九周;日行六舍,十周又十分之八;日行七舍,十二周又十分之六;日行十四舍,二十五周有余。
阳尽入阴,阴分受气。卫气入阴时,从足少阴注于肾,肾注于心,心注于肺,肺注于肝,肝注于脾,脾复注于肾,为一周。夜行一舍,人气行于阴脏一周又十分之八,如阳行二十五周而复会于目。人卧起时间有早晚,是因为奇分不尽。
候气而刺:以平旦为纪,夜尽为始。一日一夜漏水百刻,二十五刻为半日。谨候气之所在而刺,叫“逢时”。病在阳分,必先候气加于阳分而刺;病在阴分,必先候气加于阴分而刺。谨候其时,病可预期;失时反候,百病不除。
(⚠️ 本节含“候气而刺”的择时针刺理论,属古代学术思想,非实际操作指导。)
营气运行的规律,以水谷为根本。谷入于胃,精气传输于肺,流溢于内,布散于外。精纯的部分行于经脉通道,常运不息,终而复始,这是天地的规律。
气的运行从手太阴肺经出发,循臂内上缘,注手阳明经上行至面部。注足阳明经下行至足背,注大趾间。与足太阴合,上行抵脾,从脾注心中。循手少阴经出腋下臂,注小指端。合手太阳经上行,出肩内,注目内眦,上巅下项,合足太阳经,循脊下尻下行,注小趾端。循足心,注足少阴经,上行注肾,从肾注心,外散于胸中。循心主脉出腋下臂,入两筋之间,入掌中,出中指端,还注无名指端。合手少阳经上行注膻中,散于三焦,从三焦注胆出胁。注足少阳经下行至足背,复从足背注大趾间。合足厥阴经上行至肝,从肝上注膈,循喉咙入颃颡之窍,止于畜门。其支别者上额循巅下项中,循脊入骶,是督脉。络阴器,上过毛际,入脐中,上循腹里,入缺盆,下注肺中,复出太阴。
这就是营气运行的正常路径。
黄帝问:人从哪里受气?阴阳如何交会?什么是营?什么是卫?营从哪里生?卫从哪里会?老壮不同气,阴阳异位,想听其中的交会?
岐伯回答:人受气于水谷。谷入于胃,精气传于肺,五脏六腑都受其气。其中清的为营,浊的为卫。营行于脉中,卫行于脉外。营周流不休,五十周后大会。阴阳相贯,如环无端。卫气行于阴二十五度,行于阳二十五度,分为昼夜。气至阳则起(醒),至阴则止(卧)。
日中阳盛为重阳,夜半阴盛为重阴。太阴主内,太阳主外,各行二十五度。日入阳尽而阴受气,夜半万民皆卧,叫“合阴”。平旦阴尽而阳受气。如此循环,与天地同纪。
老人夜间睡不着,少壮人夜里不易醒,是什么气造成的?壮者气血盛,肌肉滑利,气道通利,营卫运行不失常规,所以白天精神、夜里安睡。老者气血衰减,肌肉干枯,气道涩滞,五脏之气相搏,营气衰少而卫气内扰,所以白天不精神、夜里睡不着。
营出于中焦,卫出于下焦。上焦出于胃口,并咽以上贯膈而布胸中,走腋下,循手太阴经而行,还注手阳明经,上至舌,下注足阳明经,常与营气同行于阴阳各二十五度为一周,所以日夜五十周而复始,大会于手太阴。
有人吃热饮食下胃,气未定则汗出于面、或出于背、或出于半身,不循卫气之道而出,为什么?这是外感风邪,内开腠理,毛孔蒸泄,卫气走散,不能循其常道。此气剽悍滑疾,见孔窍就出,所以不循其道,名叫“漏泄”。
中焦也并于胃口,出上焦之后,受气、泌糟粕、蒸津液、化精微,上注于肺,化为血,以奉养身体,没有比这更贵重的,所以独得行于经络隧道,名叫“营”。
血与气异名同类。营卫是精气,血是神气,所以血与气异名同类。因此失血者无汗,失汗者无血,人不能同时失去两者。
下焦,别于回肠,注于膀胱而渗入。水谷常并居于胃中,成糟粕而下于大肠,为下焦。渗泄别汁,循下焦渗入膀胱。
人饮酒,酒入胃,米未消化而小便先下,为什么?酒是熟谷的液体,其气剽悍滑利,所以后于谷入而先于谷液出。所以说:上焦如雾(💨弥漫布散),中焦如沤(🌊腐熟水谷),下焦如渎(🌊水道下流)。
黄帝问:人气的清浊是怎样的?岐伯回答:受谷者为浊,受气者为清。清者注于阴,浊者注于阳。浊中有清者上出于咽,清中有浊者下行于胃。清者上行,浊者下行。清浊相互干扰,叫“乱气”。
清者上注于肺,浊者下流于胃。胃的清气上出于口,肺的浊气下注于经,内积于气海。手太阳独受阳之浊,手太阴独受阴之清。清者上走孔窍,浊者下行诸经。足太阴独受阴中之浊。
清者其气滑,浊者其气涩。所以刺阴经要深刺留针,刺阳经要浅刺快出。清浊相干的以次数调之。
(⚠️ 本节涉及刺法深浅留疾原则,为古代针灸理论,非操作指导。)
人有精、气、津、液、血、脉。两神相搏合而成形,先于身生的是“精”。上焦开发,宣散五谷味,熏肤充身泽毛,如雾露灌溉,是“气”。腠理发泄,汗出是“津”。谷入气满,濡泽注于骨,骨节屈伸,补益脑髓,皮肤润泽,是“液”。中焦受汁变化而赤,是“血”。约束营气使不散溢,是“脉”。
六气有余不足的判断:精脱者耳聋;气脱者目不明;津脱者腠理开、大汗泄;液脱者骨痹、屈伸不利、面色枯槁、脑髓消减、酸软、耳鸣;血脱者面色苍白、枯槁无光泽;脉脱者脉管空虚。这就是六气的候察。
水谷入口,输于肠胃,其液分为五种。天寒衣薄则为尿与气;天暑衣厚则为汗;悲哀气并则为泪;中热胃缓则为唾;邪气内逆则气机闭塞不行,不行为水胀。
上焦出气以温肌肉、充皮肤的是津;留而不行的是液。天暑衣厚则腠理开,所以汗出。寒留于肌肉之间,津液凝聚则为痛。天寒则腠理闭,气涩不行,水下流于膀胱则为尿与气。
五脏六腑,心为主,耳为听,目为候,肺为相,肝为将,脾为卫,肾主外。所以五脏六腑的津液都上渗于目。心悲气并则心系急,急则肺叶上举,液上溢,所以咳而流泪。中热则胃中消谷,肠胃充郭故胃缓,缓则气逆,所以唾液出。
五谷津液和合而为膏,内渗入骨空,补益脑髓,下流于阴股。阴阳不和则液溢下流于阴,髓液皆减,下过度则虚,虚则腰脊痛酸。阴阳气道不通,四海闭塞,三焦不泻,津液不化,水谷并于肠胃中,留于下焦,不得渗于膀胱,则下焦胀,水溢为水胀。这就是津液五别的顺逆。
黄帝问:奇邪不在经中,是什么?岐伯说:是血络(皮下浅表小血管异常)。刺血络而昏倒,是因为脉气盛而血虚,刺之则脱气,脱气则仆倒。血出喷射,是因为血气俱盛而阴气多,血滑,刺之则射。血出黑而浊,是因为阳气蓄积久留不泻。血出清而带汁液,是因为新饮水而液渗于络,尚未与血混合。出针后肿胀,是因为阴气积于阳,刺之血未出而气先行。色苍白,是因为阴阳之气新相得而未和合,泻之则阴阳俱脱。出针后烦闷,是因为刺络而虚经,阴气脱。血出多而不虚弱,是因为阴阳相合为痹,阴阳皆有余。
(⚠️ 本节涉及刺血络的操作与反应分析,属古代针法理论,禁止模仿。)
针刺入肉后针体发紧,是因为热气因于针则热,热则血黏着于针。
雷公问:风是百病之始,厥逆由寒湿所起,如何辨别?黄帝回答:当候眉间(阙中)。色薄而润泽为风,色冲浊为痹,色在地(下颏)为厥。这是常规,各以色言其病。
ある人は病んでいないのに突然死するのは、大気(邪気)が脏腑の奥深くに入り込んだためである。病が少し良くなっても、色が額(天庭)に親指大に現れたなら、病がなくても必ず卒死する。顔面の各部位が臓腑に対応するのを観察する:額は頭面、眉間の上は咽喉、眉間は肺、目の下は心、鼻筋は肝、鼻筋の左は胆、鼻頭は脾、鼻翼は胃、顔の中央は頬骨の下の大腸、頬の側は腎、腎の下は臍、鼻先(鼻準)の上は小腸、鼻先の下は膀胱と子宮である。頬骨は肩、頬骨の後ろは臂、臂の下は手。目の内側の上は胸乳、頬の外側は背、歯車(下顎骨)に沿って上は股、中央は膝、膝の下は脛、脛の下は足である。
青黒色は痛みを表し、黄赤色は熱を表し、白色は寒を表す。色が明瞭で明るいものは病が浅く、色が沈んで暗いものは病が深い。色が上行するものは病が悪化し、色が下行して雲が散るように消えるものは病がまさに癒えようとしている。外側の色が内側へ向かうのは病が外から内へ入ることを表し、内側の色が外側へ向かうのは病が内から外へ出ることを表す。
病が内に生じたものは、先にその陰を治し、後にその陽を治す。病が外に生じたものは、先にその陽を治し、後にその陰を治す。陽を用いて陰を和し、陰を用いて陽を和す。部位を明らかにすれば、万挙万当である。左右を弁別できるのを大通という。男女で異位する、これを陰陽と名付ける。
五色の正常と異常:赤は白絹に朱を包んだ色を好み、赭石のようなものを好まない。白は白璧の光沢を好み、白垩のようなものを好まない。青は蒼璧の光沢を好み、藍靛のようなものを好まない。黄は羅に雄黄を包んだ色を好み、黄土のようなものを好まない。黒は幾重にも塗った漆の色を好み、炭色のようなものを好まない。
青くして翠鳥の羽のよう、黒くして鳥の羽のよう、赤くして鶏冠のよう、黄くして蟹の腹のよう、白くして猪の脂のよう、この五色を見るのは生気があるものとする。青くして草の滓のよう、黒くして煤灰のよう、黄くして枳実のよう、赤くして敗血のよう、白くして枯骨のよう、この五色を見るのは死相である。
面色が黄で目が青、黄で目が赤、黄で目が白、黄で目が黒のものは、すべて死なない。面が青で目が赤、面が赤で目が白、面が青で目が黒、面が黒で目が白、面が赤で目が青のものは、すべて死ぬ。