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奇门遁甲秘笈大全
すべて人・事・動静を占うには、来た者の来た方角または事が起こった方角の乗じた星をその宮に入れ、また正時(起局の時刻)の乗じた門を中宮に入れて人事を定位する。そして中宮の本宮に何の星・何の門が填実しているかを見て、官鬼・父母・兄弟・子孫・妻妾などの六親の関係で推演する。填実した宮が中宮・本宮・本星を生ずれば有益となり、中宮・本宮・本星を克すれば損害があり、避けるべきである。また本時の干を中宮に加臨させ、陽遁は順布し、陰遁は逆に運行させて、奇を得て門を得る方角を求め、それを避難または吉に向かう方向とする。
四維長生法を用いて判断する。出掛けた日の日干が何の干であるかを見て、四維の中でその天干が長生するのはどの宮かを看る。その宮の地盤の天干が対応する日付が、帰宅の日である。
専ら四維長生宮で推断する。四維とは四大長生の方角である。甲乙日は乾宮を見る。乾宮は甲乙木が長生する根本の地だからである。もしその宮が吉門・三奇・吉格を得れば、家は平安である。もし凶格に逢えば、家は不吉である。
甲子戊を推薦を求める人とし、天乙を推薦人とする。もし天乙の落宮が甲子戊の宮と値符の宮を生ずれば、必ず推薦される。そうでなければ推薦されない。
驚門・景門を主として判断する。すべて詞訟があれば、驚門が旺相の気に乗ずれば、訴訟は止まない。景門も同じである。もし驚・景二門が墓に入るか、または空亡の宮に落ちれば、訴訟は成立しないとする。
専ら螣蛇の乗ずる天盤の門・儀が地盤に下臨して何の門・儀であるかを見る。もし吉門・吉格に合えば、夢は吉である。凶格に合えば、夢は凶である。もし地盤の空亡・墓庫の宮に落ちれば、吉凶は応験しない。
専ら天禽星の落宮が地盤に下臨して何の天干であるかを見て決断する。もし天禽星が地盤に落ちて奇門吉格を得れば吉であり、凶格に遇えば凶である。更に八門を配合して判断すれば、吉凶は自然に応験する。
専ら螣蛇及びその乗ずる星・門の落宮をもって推断する。もし螣蛇が坎宮に落ちれば、水怪・神怪である。艮宮に落ちれば、石怪・山精である。震宮に落ちれば、木怪・狐である。巽宮に落ちれば、花妖・竜蛇である。離宮に落ちれば、火怪・鳥怪・亀蛇である。坤宮に落ちれば、老婦・牛羊及び家屋・金竈の怪である。兌宮に落ちれば、飛禽・羊怪・金銀が久しく埋められて怪となるのである。乾宮に落ちれば、神願・猪羊犬の首及び銅鉄の器皿が怪を作すのである。もし奇門吉格を得ずして凶格に乗ずれば、必ず死亡・孝服・官司の凶を引き起こす。もし空亡に落ちれば、差し障りはない。
専ら杜門をもって決断する。杜門がどの宮に落ちるかを見て、その宮の対応する方角へ避難する。また杜門の乗ずる天干が何の干であるかを見る。戊を見れば貴人が潜避する。もし杜門が三奇に乗ずれば、離れるに阻隔がなく、大吉である。もし庚を見れば、木を抱いて行く必要があり、やっと凶災を免れることができる。辛を見れば天獄であり、壬を見れば地牢であり、必ず逃げることができない。もし杜門が地盤の癸に落ちれば天網格である。坎・艮の二宮にあっては、三四尺の長さの木で天網を押さえて逃げることができる。乾・兌の二宮にあっては、匍匐して這って越えることができる。逃げる方角が艮・離の二宮にあれば、天網は高さ八九尺で、身を挺して歩くことができる。もし杜門と天盤の癸が同じく震・巽の二宮に落ちれば、天網盈門であり、逃げることができない。もし杜門が乾・兌の二宮に臨めば、木は金に克せられ、逃げ去ることはできても、後日必ず捕らえられるであろう。もし三奇吉格が日干の宮に落ちれば、救いがある。
天芮星を道を訪ねる人とし、天輔星を道を伝える人とする。もし天輔が奇門吉格を得て天芮を生ずれば、高人の伝授を得るとする。もし二者が比和すれば、その人に白身のままで会うが、道を伝えない。もし相克すれば、根本的に人に会えない。また陽日は僧道が道を伝え、陰日は羽士(道士)が道を伝える。
専ら開門・天沖星と衆人の年命干支との関係を責めて見る。各人の年命干支と何の日干・何の年干とが刑沖を構成するかを見る。年命が開門に冲せられる者は、簽差遣される。冲せられない者は、差遣されない。
開門を官長とし、日干を退役する人とする。もし開門が日干を生ずれば、官長は眷恋の情があり、退役を批准しない。開門が日干を克すれば、退役を批准するが、官長の怒りと叱責を買う。開門と日干が比和すれば、順調に退役する。また日干が青竜逃走・蛍入白に乗ずれば、必ず退くことができる。もし白入蛍・虎猖狂に乗ずれば、退くことができない。螣蛇妖矯は、驚恐を主とし、退きたいと思っても退くことができない。もし大格と朱雀投江を見れば、必ず革退される。
開門を現在の官職とし、日干を応役する人とする。もし日干の乗ずる宮が旺相の気を得て、更に奇門吉格を得、開門の乗ずる宮もまた奇儀吉格を得て日干を生ずれば、必ず官長の重用を得て発達する。もし日干が旺相奇儀吉格を得ずして、開門に生ぜられれば、喜事があり、小吉である。もし日干と開門が互いに沖克すれば、不利である。
値符を奴婢を買う主人とし、天芮の落宮を奴婢とする。もし天芮の落宮が値符の宮を生ずれば、奴婢は主人に益がある。もし比和すれば、従順ではない。もし値符を克すれば、反叛して忤逆する。玄武・天蓬に乗ずれば、盗みを主とする。青竜逃走に乗ずれば、逃亡を主とする。螣蛇妖矯は、病亡を主とする。白入蛍・虎猖狂に乗じて値符の落宮を克すれば、主人を弑することを主とし、大凶である。玉女守門に乗ずれば、淫乱して主人を汚辱することを主とする。蛍入太白は、懶惰で庸愚であることを主とする。その余はこれに類推することができる。
天輔星を幕館を求める人とし、甲子戊を開門官長とする。もし開門が三奇吉格に乗じて天輔の宮を生ずれば、顕赫たる官員が来て招聘するある。もし甲子戊・開門・天輔の三宮が相合すれば、貴人の挙薦がある。もし開門が旺相三奇に乗じなければ、ただ微職の小官が来て聘するのみである。もし比和すれば、賓主は投契する。もし相克制・返吟すれば、賓主は不和である。もし天輔が墓に入れば、賓客に不利であり、開門が墓に入れば、東主に不利である。空亡に落ちれば、終に幕館を得ない。
天輔星を師長とし、天芮星を弟子とする。もし天芮の落宮が天輔の宮を生ずれば、弟子が師長を自ら招聘する。もし天輔の落宮が天芮の宮を生ずれば、師長が自ら弟子のもとへ赴くか、または旧徒である。天輔の宮が天芮の宮を克すれば、師長が弟子を嫌う。天芮が天輔を克すれば、弟子が師長を嫌う。もし天芮が旺相の気に乗じ、また奇門吉格を得れば、必ず待遇の豊かな書館である。もし天芮が奇門吉格を得ず、旺相に乗じなければ、その書館は必ず待遇が薄い。天輔・天芮が返吟すれば、中途で廃することを主とする。天芮が空亡・墓庫に落ちれば、終に館職を得ない。その余はこれに倣う。
天盤の往かんとする方角を我とし、地盤の星を彼とする。天地二盤が相比和すれば、必ず相見することができる。更に奇門吉格を得て、天地二盤の得た干が相合すれば、酒食の招待もあるであろう。もし相克制すれば、互いに猜忌し合い、会うことができない。もし星・干が墓に入るに臨めば、彼は家にいるが、会うことを肯じない。もし地盤の星が空亡に落ちれば、彼は確かに家にいない。
来た者の来た方角の天盤の星を来る人・客とし、地盤の乗ずる星を主・我とする。天盤の星が奇門を得て地盤の星を生ずれば、貴客であり、我に益があり、会うことができる。もし天盤の星が地盤の星を克し、更に凶門・凶格に逢って乗ぜられれば、必ず我を損なう人であり、会うべきではない。
景門・朱雀を情報として決断する。もし景門が旺相の気に乗じ、また三奇を得れば、確実で頼れる情報である。景門が休囚であり、三奇を得ず、朱雀に乗ずれば、欺瞞の情報であり、信じてはならない。景門が空亡・入墓に落ちて、朱雀を帯びれば、これは道中の伝聞であり、または忤逆悖乱・尾鰭をつけた言葉であり、更に信じるべきではない。
休門・景門の乗ずる宮をもって水陸の両路を分かつ。休門の落宮が天地二盤に合わせて三奇の乗ずるあれば、水路は吉である。景門に三奇があれば、陸路は吉である。行船は青竜逃走・白虎猖狂の凶格を忌み、風暴を主とする。螣蛇妖矯は、凶災を主とする。朱雀投江は、沈没溺死を主とする。
また傷門を船とし、傷が休に加われば水面に浮かぶがごとく順であり、休が傷に加われば、舟が水底を行くがごとく、沈没溺死を主とする。景門を陸路とし、また傷門を馬・車とする。太白入蛍を忌み、益を主とす?[訳注:原文「主益」、義はあるいは「主驚」または「主失」か、待考。]蛍入太白は火災の驚きを主とする。玄武・天蓬は盗難の損失を主とする。水路は驚門の克するを忌み、船を傷つけることを恐れる。艮宮には水がなく、陸路に有利である。休が景に加われば泥濘で進み難い。もし二門が墓に入れば、関所や橋梁の阻隔を主とし、行動は困難である。
日干落宮を出行して謀干する人とする。往かんとする方角に、もし吉門・吉格が日干の宮を生ずるあれば、往けば必ず大利を得る。または奇門吉格を得て生ぜずして、日干と比和するものも、また利がある。逆もまた然りで不利である。更に凶門・凶格に沖克せられる者は、大凶である。もし空亡・入墓の方に臨むか、または日干の年命が刑・墓・空亡の方角であれば、また不利である。
甲午辛を罪人とし、開門を問官とする。もし開門の落宮が甲午辛の落宮を生ずれば、問官は哀れみ、罪を重くしない。もし比和すれば、罪は必ず軽い。もし相沖克及び凶格の乗ずるあれば、罪は必ず重い。もし甲午辛が空亡に落ち、奇門吉格を得て相救うあれば、罪は必ず赦免されるであろう。
甲午辛を罪人とし、辛を天獄とし、壬を地牢とし、癸を天網とする。日干の落宮が甲午辛に下臨するを見れば、凶禁を主とする。甲午辛の落宮が地盤の壬・癸に下臨すれば、誤って天牢に入るのであり、冲破の日を待てば必ず出獄することができる。もし天盤の壬・癸の干が地盤の甲午辛に下臨すれば、天網蒙頭であり、囚禁されることを主とする。また天上の星・儀が地盤の墓庫及び壬・癸に落ちれば、終に出獄できず、遂に獄底の鬼となる。もし空亡の宮に落ちれば、空獄であり、囚禁されない。
甲辰壬を螣蛇として推演する。値符の落宮が甲辰壬・螣蛇に下臨すれば、原告が多く人を連座させる。乙奇の落宮が甲辰壬と螣蛇の相並ぶに下臨すれば、被告が多く人を連座させる。開門の落宮が甲辰壬・螣蛇に下臨すれば、問官が多く人を連座させる。甲辰壬・螣蛇が空亡の宮に落ちるものは、連座させない。もし庚癸の大格を見れば、たとえ連座しても、大した妨げはない。
庚格をもって決断する。庚金の乗ずる宮が値符の宮を克すれば、原告が責められる。乙奇の落宮を克すれば、被告が責められる。六合の宮を克すれば、幹証が責められる。もし庚金が墓に入る及び空亡の宮に落ちれば、官は怒りはあるが、責めない。
景門・朱雀を状詞とし、開門を官長とする。もし景・驚の二門が旺相の気に乗じ、また三奇吉格があれば、情詞は懇切であり、開門に沖克されない者は、必ず認可される。驚・景の二門が奇儀吉格を得ず、更に開門と沖克する者は、官長の嗔怒を主とし、認可されない。たとえ認可されても、かえって罪責を招く。もし驚・景の二門が墓に入れば、情詞は不明であり、認可されない。驚・景の二門が空亡に落ちれば、根拠なく事実を捏造したものであり、認可されない。開門が墓に入り及び空亡に落ちれば、官長は情に動かされず、認可されない。
開門を問官とし、値符を原告とし、乙奇を被告とする。値符の落宮が開門の宮を生ずれば、原告に嘱託がある。乙奇も同じである。二宮がもし開門に沖克せられれば、たとえ嘱託しても、問官は必ず認可しない。
開門の落ちる宮を問官とし、値符の落宮を原告とし、乙奇の落宮を被告とし、六合の落宮を幹証とする。開門の落宮が値符を生ずれば、官は原告に偏する。乙奇を生ずるも同じである。六合を生ずれば、幹証の言を聴いて帰結する。相生する者は理を得、相克する者は理を得ない。開門が墓に入れば、問官は愚かで、審いても明白にしない。開門が空亡に落ちれば、審問しない。返吟すれば、官を換えて再び審問する必要がある。
値符を原告とし、値符の所在地盤の乗ずる星を被告とする。天盤の星が地盤の星を克すれば、原告が勝つ。地盤の星が天盤の星を克すれば、被告が勝つ。
天芮の落宮を病症とし、天芮の落宮を克する干支を治癒の期とする。例えば甲乙木が戊己土を克するがごとき類である。
天心星を医者とし、また天乙奇を医者とする。落ちる宮が奇門吉格に乗ずるを良医とする。二神が旺相の宮に乗ずれども、奇門吉格に逢わざるを時の医者とする。旺相の気及び奇門吉格を得ざるを庸医とする。良医・庸医を問わず、ただ天芮の病神の宮を克することができれば、医の功は必ずある。もし病神の落宮が二神の落宮を克すれば、たとえ良医でも治すことができない。
天芮星の落ちる宮をもって決断し、更に戴九履一の法(洛書九宮配身体)を用いて病症を判断する。
更に天芮の落宮の帯びる天干をもって、病症の寒熱虚実を検証し、節気・時令を詳しく審めて、やっと正確に判断できる。粗忽にして人に笑われてはならない。学ぶ者は必ず慎重にせよ。
天芮の落宮を病とし、生門・死門をもって推断する。天芮が生門を得る者は、生きる。死門を得る者は、死ぬ。また天芮が乾・兌の二宮に落ちるを旺とし、病は治せない。離宮・中五宮に落ちれば、その病は長引く。震・巽の二宮に落ちれば、病神は克せを受け、薬を用いずして治ることを主とする。坎宮に落ちれば休囚であり、病は長引くが、なお醫し得る。新病が空亡に落ちる者は、生きる。久病が空亡に落ちる者は、死ぬ。また日干が死囚の気を帯び、凶神・凶格を帯び、または奇門を得ざる者は、また死ぬ。もし天芮の落宮が凶神・凶格に乗ずれば、日干が旺相の気を得るも、天芮に沖克されて年命を犯せらるる者は、また死ぬ。また病人の年命日干が墓に入る者は、また死ぬ。衢仙曰く:「死門は生門に加わる、病を占うに、死せる者は復た生く。」
本巻は奇門遁甲の「象をもって事を定め、生克をもって吉凶を断ず」という基本論理を集中的に具現している。すべての占測は三つのレベルに基づいて構築されている。
この体系は単なる「シンボルを見る」ものではなく、空間方位・時間干支・人事類象の間に高い柔軟性を持つ対応関係を構築することを要求する。
現代的な視点から見ると、この巻は古人が構築した一連の意思決定情報符号化システムと見なすことができる。それは不確実な人事問題——出行、訴訟、疾病、求職、差遣、避難など——を観察可能で操作可能な「盤面シグナル」に変換するものである。
これらの占法を宿命の断言ではなく、操作可能な意思決定支援チェックリストに変換すべきである。「仮説—行動—振り返り」の方法で使用する:
奇門遁甲巻八の深層論理は「天人一理、万象可類」である。古人は、人事は繁雑であるが、すべて九宮・八門・九星・三奇六儀によって構成されるホログラフィックな符号システムに分類できると考えた。生剋は単純な力の対抗ではなく、関係の動的バランスの体現である——生我する者が必ずしも全て吉ではなく、克我する者が必ずしも全て凶ではない。鍵となるのは時令・旺衰・全体の格局である。この「関係は実体に先立ち、状況が吉凶を決定する」という思考は、現代のシステム論や生態学における「関係ネットワークがシステム状態を決定する」という考え方と高度に暗合する。それはまた、いかなる判断も具体的な状況と関係ネットワークの中で理解すべきであり、孤立的に結論を下すべきではないことを私たちに示唆している。