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卜筮全书
官鬼爻は、形質はないが作用は大きい。卦中に欠くべからず。安靜を宜とし、發動を忌む。もし吉神を帶びて發動すれば、福澤をもたらすこともできる。もし凶煞を加えて發動すれば、災禍を招かぬことはない。
自身の運勢を占うに、卦中に官鬼がなければ、資財は聚散常なく、兄弟・朋友の嫉妬を招くことが多い。婚姻を占うに、卦中に官鬼がなければ、婚事は成り難く、たとえ結婚しても、夫は早世する恐れがある。功名を占うに、卦中に官鬼がなければ、功名は成就し難い。卦中にたとえ貴人の助けがあっても、結局は貴氣はあっても實位はない。紛失物を占うに、卦中に官鬼がなければ、必ず自分で失くしたのである。もしそうでなければ、盜人も捕まえにくい。求財に、卦中に官鬼がなければ、兄弟が必ず權力爭いをする。人の手下で財を謀り、得る所も薄い。家宅を占うに、卦中に官鬼がなければ、これを「無氣」と言う。
官鬼は、財の「主」である。財は旺んでも、必ず主掌する人があって、それで初めて聚積できる。鬼がなければ主がないので、必ず破耗が多く、資財は聚まらないことを主とする。疾病を占うに、卦中に官鬼がなければ、必ず叩告の門がなく、天命已に盡きようとしており、その病は治し難い。ただ生産・出行・行人・田蚕を占う場合のみ、鬼がないのが大吉の兆しである。
例えば申の日に卦を占い、用爻が木に屬するならば、木は申に逢えば絕地となり、木爻は用なしの様に見える。もし水爻が發動して來て生じれば、木爻はやはり用がある。例えば人が困窮の際に、貴人の扶持に遇うが如し。必ず寒谷回春の象があり、これすなわち「絕處逢生」である。
婚姻を占う:世應が絕處逢生に遇えば、事は解けてから成り、情意は久しくして淡きより濃くなる。或いはその貧乏で力がないのを斷じても、人の扶助を得て、その事もまた成るべし。生産を占う:子孫が絕處逢生に遇えば、胎児は死にかけて生き返る。妻財を占う:妻財が絕處逢生に遇えば、妻は危うきに救いがある。財は幾度か失うも、やはり取り戻すことができ、先に難く後に得て、その利は返って厚い。旺相の財に定限があるのには及ばない。資生の財は窮まる事がないのである。功名を占う:父母が絕處逢生に遇えば、文書に阻節があっても、結局は貴人が主張し、その事は必ず成る。訴訟を占う:官鬼が絕處逢生に遇えば、訟は必ず理がある。もし妻財が發動して生じるのを見れば、資財を用いて賄賂し人に託さねばならない。出行:世爻が絕處逢生に遇えば、本意は既に懶けれども、人に引っ張られて一緒に行く。行人:もし應爻が絕處逢生に遇えば、必ず故人に遇いて共に帰る。家宅:吉神が絕處逢生に逢えば、また興隆の象があり、凶神が絕處逢生すれば、災いは退こうとして禍がまた來り、病は治好りて官事が至る。疾病を占う:用爻と吉神が絕處逢生すれば、病は死にかけてまた生き返る。鬼爻と忌神が絕處逢生すれば、病は安からんとしてまた作る。
例えば雷地豫卦を得たとする。世應相生じ、六爻相合い、吉にして利あらざるはなく、事事成すべしの象である。然るに子の日に占得れば、子は應の午を沖き、世上の未を害す。これすなわち「合處逢沖」である。
婚姻を占うに遇えば、必ず人に謗られ中傷され、將に成らんとして遂に解けるを見る。功名を占うに官鬼文書が暗に沖されれば、その中になお反覆変動がある。財を占うに遇えば、財は將に手に入らんとして得られない。事を謀るに遇えば、必ず人に阻まれ、將に成らんとして変がある。ただ訴訟と疾病を占う場合のみ、合處逢沖を喜ぶ。合は即ち事必ず成り、沖に逢えば災いは必ず散ず。決然として事は將に危うくして救いがあり、病は死なんとしてまた生きる。吉神の合處は沖すべからず、凶神の合處は沖に逢うを喜ぶ。
「隨官入墓」は、その類三つあり。身が鬼に隨いて墓に入る有り、世が鬼に隨いて墓に入る有り、命が鬼に隨いて墓に入る有り。
例えば丑の日、雷水解の卦を占得る。世身と鬼が俱に五爻に在れば、すなわち「身隨鬼入墓」である。
[虎易注]:もし未の日、山天大畜を得る。世が二爻に在り木に屬すれば、すなわち「世隨鬼入墓」である。又如未の日、寅生まれの人が地雷復を占得、卯生まれの人が火澤睽を占得れば、本命は皆鬼爻に在り。これすなわち「命隨鬼入墓」である。
以上の三墓は、何を占うと問わず、意義は皆吉兆ではない。自身を占うに遇えば、目下に災いあるを防がねばならず、終身顯達すること能わざるを防ぐ。婚姻を占うに、世隨鬼入墓に遇えば、男家は貧乏で、女財は備わらない。生産を占うに、命隨鬼入墓に遇えば、妻の命が黃泉に入るを防がねばならない。官を求めるに遇えば、事體は成り難い。たとえ成っても、終に振るわない。もし殺墓に入れば、更に大凶である。(殺墓とは、丁未・戊戌のことである。)訴訟を占うに遇えば、牢獄に繋がれる憂いがあり、或いは訟は散じ身は危うく、或いは訟の最中に病がある。求財に遇えば、勤勞辛苦を歴盡くし、終に他人に帰す。出行に遇えば、多くは行かれず、もし行けば愈々美しからず、必ず行った後に病があることを主とする。家宅に遇えば、宅長に憂いがある。病を占うに遇えば、十の占いに九つは死す。
[虎易注]:上文の「且つ如く丑の日、雷水解の卦を占得る。身鬼俱に五爻に在り、乃ち身隨鬼入墓なり。」の句の言う「身」は、「卦身」を指すのではなく、「世身」を指す。卦身と世身の用法については、《卜筮全書》の関連內容を參照されたい。
例えば六爻が皆安靜ならば、沖に遇わざれば動かない。もし日辰が相沖すれば、名付けて「暗動」と言う。暗動は、吉なるも凶なるもあり、各々用うる所があり、一概に論ずべからず。もし凶煞が暗動すれば、身を傷め世を克し、件件皆宜しき所に非ず。吉神が暗動すれば、世に合い身を生じ、事事吉ならざるはない。その義を推究すれば、暗なる者は必ず明なるに非ず、すなわち陰私の潛伏する所である。福は來たれども知らず、禍は來たれども覺えず。爻が吉ならば暗に補益があり、爻が凶ならば暗に損傷がある。
婚姻を占うに遇えば、吉ならば暗に人があって維持仲介し、凶ならば暗に人があって破壞する。生産を占うに胎爻或いは子孫が暗動すれば、必ず轉胎する。官を求めるに遇えば、吉ならば無心の機會があり、凶ならば暗に人に損害される。訴訟を占うに遇えば、吉ならば人の救解を得、凶ならば人に暗算される。紛失物に遇えば、吉ならば暗に捕捉すれば獲えられ、凶ならば暗昧にして尋ね難い。求財に遇えば、吉ならば隠然として求め、利益は殊に厚く、凶ならば人に欺かれ奪われ、利は得べからず。行人に遇えば、吉ならば心は動かんとして未だ發せず、凶ならば暗に阻む者がいて、身を起こす能わず。家宅に遇えば、吉ならば暗に補いがあり、福は已に至れども知らず、凶ならば暗に害があり、禍は萌さんとして未だ覺えず。病を占うも亦その遇う所の神に隨いて、その吉凶を定める。
官鬼を生助する者は、妻財のみに過ぎない。發動するを宜しとせず、動けば衰鬼は旺鬼に変ずる。旺鬼がこれに遇えば、その勢は愈々凶である。例えば申の日に離卦を占得、鬼が應爻に臨んで世を克すれば、本より佳兆に非ず。更に妻財が發動して鬼爻を生助すれば、その凶は愈々當て難し。これすなわち「助鬼傷身」である。凡そ卦中に鬼が身世を克する者は、財がなければ凶も限りがある。もし兩財が皆動くならば、その禍は言い盡くせない。たとえ子孫が發動し、福神が解くを得れば、かろうじて凶を反して吉と成し、禍を轉じて祥となすべし。
[虎易注]:この助鬼傷身の論は、學者はその運用條件に注意すべきである。 一、助鬼:鬼を助ける爻は妻財爻のみである。妻財が日・月に臨むか、卦中で發動すれば、いずれも鬼爻を生助し、衰鬼を旺鬼に変え、旺鬼を更に旺ならしめる。 二、傷身:ここに指す「身」は、すなわち世爻、または卦身爻である。鬼爻が身を傷めるのは、つまり卦中の鬼爻が世爻または卦身爻を沖・克することである。一般的な情況としては、鬼爻が明動または暗動すれば、世爻や卦身爻を沖・克することができる。 三、鬼爻が世爻(卦身)を傷克できる情況下で、妻財爻がまた動いて鬼を助ければ、これが「助鬼傷身」である。 四、「もし子孫が發動し、福神が解くを得れば、かろうじて凶を反して吉と成し、禍を轉じて祥となすべし」の一句は、卦中に子孫だけが發動する情況を指す。學者は決して前の句と続けて理解・運用してはならない。でなければ千里の差違が生じる。なぜなら子孫が發動すれば官鬼を克することができるが、もし妻財も同動するならば、子孫は官鬼を克さず、かえって子孫は財を生じ、財は又官を生じ、連續相生を形成し、官鬼を更に旺ならしめるからである。
1、父母:我を生ずる者を父母と謂う。凶と為すこともでき、吉と為すこともでき、各々用うる所がある。妻財に遇えば則ち本体を傷つけられ、官鬼に逢えば則ち光輝を増す。發動すれば則ち子孫を克し傷め、兄弟を生じ扶ける。その動靜衰旺を審らかにすれば、各々宜しき所があり、學者は自ら詳らかに玩味すべきである。
2、兄弟:比和する者を兄弟と謂う。大體福と為す能わず、亦た大凶と為すにも非ず、ただ破敗・克剝・阻滯の神に過ぎない。官鬼の發動に逢うを怕れ、制せられる。父母の興隆を喜び、依る所がある。動けば則ち妻財を傷め克し、福德を扶持する。この理は弘深であり、自ら推測すべきである。
3、子孫:我が生ずる者を子孫と謂う。これに逢う者は佳ならざるはなく、これに背く者は福と為す能わず。卦に父母がなければ克がなく、爻に兄弟があれば依る所があり、動けば則ち財を生じ官鬼を傷め克する。
4、妻財:我が克する者を妻財と謂う。諸事これに逢うは吉ならざるはない。ただ父母及び文書を占う場合のみ、これを見るを宜しとしない。兄弟に値すれば則ち損があり、福德に遇えば則ち愈々佳く、官鬼に逢えば則ち気を泄らす。動・靜皆吉である。動けば則ち鬼を生ずと雖も、亦た發動を宜しとしない。後の学易者は、自ら通変すべし。
5、官鬼:我を克する者を官鬼と謂う。大體凶の所が多く、福の所が少ない。畏るる所は福德であり、恃む所は妻財である。動けば則ち兄弟を傷め克し、父母を生じ扶ける。然るに卦中に凶なりと雖も欠くべからず、ただ靜を宜とし動を宜としない。身命を占うに、貴人を帶びれば、當に貴と為すべく、凶煞を加えば仍を鬼と推す。吉に遇えば必ず進祿加官し、凶に逢えば必ず喪亡疾病する。婚姻を占うには夫である。旺相にして青龍を帶びる者は、必ず聡明俊雅の人である。貴人を加うれば必ず用事があり、然らずんば亦是れ宦家の子弟である。もし胎養沐浴の爻に在れば、今は未だ仕えざるも、他日必ず貴くなる。最も世に持つを宜とし、或いは陽象に臨み、皆名づけて地を得とす。その餘の占う所は、盡く述べず、詳らかには《天玄賦》総論中に具える。
四時の旺相は、實に八卦の吉凶を主導する。春は木旺んで🌱夏は火炎え🔥、秋は金堅く冬は水盛ん🌊。木火は春天に兼用され、火土は夏月に用事し、金水は三秋の令を専らにし、水木は一冬の権を主る。用爻に臨めば福淺からず、忌爻に臨めば禍輕しとせず。
先ず財官の出現・伏藏を定め、次に支神の休囚・旺相を論ず。父母は官鬼を輔佐し、子孫は妻財を輔佐す。父母と官鬼は同氣相求め、子孫と妻財は同聲相応ず。私用は妻財を主と為し、公用は官鬼を尊と為す。最も動搖を忌み、大いに安靜を宜しとす。出現して旺相なれば遠日の圖と為すべく、氣有りて伏藏すれば暫時の用に利あるのみ。用神氣無く伏藏すれば、急に日辰の生合を要す。日辰が旺相なれば、方に生合相扶すべく、用爻が休囚なれば、最も旬空沖克に逢うを怕る。旺相は休囚を克す能く、休囚は旺相を克し難く、交重は単拆を克す能く、単拆は交重を克し難し。[訳注:交重は老陰老陽の動爻を指し、単拆は少陽少陰の靜爻を指す。]
伏藏は旬空を論ぜず(旬空とは、甲子旬中に戌亥が空なる類)、出現は月破に臨むを怕る。(假如えば正月寅を建て、用爻が申ならば、月破である。)官を用うるには子孫の世に持つのを忌み、財を求むるには兄弟の身に臨むを忌む。財官がもし生扶に遇えば、謀望に阻滯はない。身世に救助がなければ、為す所必ず參商を主る。兄弟動搖すれば、婢を買い財を求むるも空しく力を費やし、子孫興發すれば、官を求め應舉するも徒に心を労す。父母は饕餮の神であり、兄弟は克剝の鬼である。常の占卜は父母の交重を宜しとせず、一切の謀為は兄爻の發動を切忌す。鬼動けば禍起き、切に人と爭うこと勿かれ。財動けば財を耗り、甚だ人と爭訟すること勿かれ。父母動けば、心を労し力を労し、兄弟興れば、詐を為し虚を為す。官を用うるには父母に伏するを宜とし、財を用うるには子孫に伏するを宜とす。官が子孫に伏すれば、官を用うるも必ず成就なし。財が父母に伏すれば、財は一半虧傷す。財が官に伏して用いれば、侵匿の擾を怕る。官が兄に伏して用いれば、阻隔の撓を怕る。父が財に伏すを用うるは皆患いであり、財が兄に伏するを用うるは總べて中らなし。用神は拱合生扶を要し、忌神は刑沖克破を須つ。
官を散じ病を治するは、全く子孫に頼る。訴訟を興し名を求むるは、官鬼に凭るを須つ。口舌是非の爭競は、兄弟爻の興るが縁である。謀の重迭艱辛は、皆父母爻の動くが故である。應動けば事変じ、人に託すれども反って從わず。世動けば理を虧き、凡そ事は改め求むるに宜しく改作すべし。世應相生すれば人の扶助があり、世應相克すれば事は遲疑す。應空なれば吉凶成らず、間動なれば謀為多く阻まる。月建が用爻に臨めば、官を求むるは必ず高職に遷る。月破が用爻に臨めば、事を作すも成らず病も癒えず。八純が世を用を克せば、事を作すに始有終無し。五墓が世に臨み身に臨めば、病を問えば一生九死す。用爻の得失を明らかにし、事體の吉凶を定む。
安を求め樂を求め長久を求むるは、最も爻象の安寧に宜しく、借を圖り賖を圖り脫卸を圖るは、用爻の興旺なるを看取す。休囚にして獨發すれば事體は遲疑し、旺相にして若し興れば事情は急速なり。世が五墓に臨めば醉い痴するが如く、用が三刑に値すれば傷き損を受く。略言して機妙とす、全く推詳に在り。外に爻辭を演じて六親の象を定め、內に八卦を占い百事の疑を決す。纖毫に洞徹し、萬象を包含し、下は人事に通じ、上は天時に応ず。