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全 20 章中 19 章
卜筮全书
人は生まれながらにして富貴なる者にあらず、どうして安坐して栄華を享けることができようか。もし名利のために驅られるならば、誰が道路を奔走するのを免れ得ようか。されど千里の道のり、豈に一朝一夕の跋渉ならんや。途中の吉凶、誰か知ることを得ん。其の中の災祥は、ただ神霊のみが preciso なることを有す。
父爻は行李を代表する。 父爻が刑害を帯びれば行李は破損して用をなさず、旺相ならば行李多く、休囚ならば行李少なく、空亡ならば行李なし。旺にして空に逢えば、有ると雖も多からず、刑害を帯びるか、或いは傷克を受ければ、破損の旧物なり。父爻が兄弟に化すれば、人と同衾して一鋪に寝ることを示し、兄弟が父爻に化すれば、人と共用して行李を合わせることを示す。もし他人に行李を借りんとせば、財爻の持世または発動するに宜しからず、しからざれば必ず借り難し、合を帯びれば終に借り得ることを得。
妻財は盤纏の財物なり。 旺相ならば充足し、休囚ならば微少、空亡ならばなし。卦中に財爻がなければ、兄弟が化して財を出だすは、必ず合伙の元手、或いは借り来たるの物にして、自己の所有にあらず。
世爻は出行の人なり。 世爻が生旺にして気あれば则ち吉。もし休囚死絶なれば、克すれば倒れ易く、傷すれば損じ易く、労碌奔波に堪えず、風霜早晚に堪えず。応爻は往かんとする所の地なり。 震宮に在れば、城郭市鎮の賑やかなる地、坤宮なれば、四野の冷落たる所在、艮宮なれば、山上にあり、坎宮なれば、水郷にあり、その余はこれに仿いて推断す。最も怕るるは応爻の空亡にして、地頭の寂寞なるを主とし、謀事成り難く、必ず意を得ずして回らん。
間爻は往来経歴の所在なり。 間爻が安静にして空亡ならざれば、一路平安、往来に阻なく、動けば途中に必ず阻隔遅滞あらん。
太歳が出現して発動し世爻を沖克すれば、その人出外して終年不利なり。更に鬼杀・白虎の凶神を加えば、尤も吉兆にあらず。もし官職や職務を求めて往かんとすれば、太歳が世身を生合するに最も宜しく、必ず成就の兆あり。
世が応を克すれば、我これを制するは、方向く所として通達す、更に間爻の動かず、鬼杀の興らざるを得れば、往きて阻节なし。応が世を克すれば、我は専志を得ず、向く所梗塞す、更に動爻・日辰の刑冲克害に遇えば、必ず順利ならず。公私を問わず、皆不利なり。
八純卦は乃ち六冲の卦、内外の爻相和合せず、凡そ百謀望は成り難きを主とす。もし六爻乱動なれば、更に吉と言うべきなく、拘わらず向かう所皆宜しからず、遠行は尤も忌む。
両間斉しく空なれば、もし一身独行して伴侶を携えざれば、反って吉兆を主とす、ただ世が応位を克するを慮るのみ。もし伴を携えて行かば、間爻の空亡は道路梗塞を主とし、行程快利ならず。金水の空亡は水路通ぜず、火土の空亡は陸路通ぜず、両間俱に空なれば、多くは半途にして返らん。
世爻発動すれば、行期已に定まる。世応俱に動けば速やかに行くに宜しく、旁爻動けば緩行に宜し。もし世が動いて鬼爻に変ずれば、去りし後必ず禍患に遭わん。或いは鬼の持世は、乃ち逡巡畏縮の象、行かんとして行かず、必ず懐疑弐心あらん、休囚なれば身を起こし難く、生旺なれば多くは去り成らず、発動なれば恐らくは伴なくして去らざらん。更に応爻に臨めば、彼処に到りて不利なり。鬼が子孙に化すれば、災患ありと雖も、之を患えるに足らず。
世爻安静にして、日辰・動爻の暗沖に遇う者は、是れ他人が来たりてその出行を央み、自己の為に謀事するにあらず。何人に相央まれしやを知るには、沖并の爻を以て之を定む——父母爻を長上の如くす。もし世爻発動して日辰・動爻に合住せられれば、将に行かんとして事ありて羈绊せられ、未だ起程する能わず。何の事に絆されたるかを知るには、合爻を以て之を定む——鬼爻ならば官府の事、勾陳の動きて来たり合住すれば田土の事なり。間爻に在れば、多くは同伴有りて阻まれん。
世もし逢空なれば、最も九流芸術の人の出行に利す。世空なれば去り成らず、強いても去らば終に意を得ずして回らん。もし本人が出行を占うに、最も世空を忌む、勉強して出行すと雖も、亦本他郷に陷り、徒らに奔走す。もし九流芸術および公門の勾当の人占えば、反って吉利の兆と為す、空手にして財を持ち、賑やかなる処にて財を得るを主とす。然れども亦積聚するを得ず、沖に逢えば則ち妙なり。
火土爻動なれば、陸路の行程に宜しく、水木爻動なれば、水路に宜し。もし火土が財福に臨めば、則ち陸地に宜しく、鬼杀が水土に臨めば、舟行に宜しからず。土火の化空は、跰跌を防ぐべきことを須く、水土の化空は、沈溺を防ぐべきことを須く。宜しく霊活に変通すべし。
鬼地墓郷は、豈に践履すべけんや、財方父向は、恰も登臨すべし。 鬼地は、世の金に属するが如く、南方火地是れなり、墓郷は、世の火に属するが如く、西北戌地是れなり。もし此の方に往かば、必ず災咎あらん。財を求むるには財方を行くに利す、世の土に属するが如く、北方水郷是れなり、官を求め貴に見えんには父向を行くに利す、世の水に属するが如く、西方金方は是れなり。凡そ鬼杀の臨める所の地は避くべく、財福の臨める所の地は往くに宜し。
官鬼が玄武爻に臨みて刑克すれば、盗賊の驚憂を主とす。凡そ出行を占うに、最も鬼爻の出現を怕る、休囚安靜なれば則ち吉、尤も動く可からず、動かば則ち必ず禍患あらん。青竜に臨めば、酒色の中に禍を惹き、朱雀に臨めば、言語の中に非を招き、螣蛇に臨めば、多く驚恐し、白虎に臨めば、多く疾病し、玄武に臨めば、失脱を主とす。勾陳が水に臨みて動かば、途中に必ず多くの風雨あらん。鬼爻の持世・克世は最も忌む、旺相も亦忌む、休囚にして制を受け世身を傷らざれば、終に大禍なく、ただ伴侣に災あらんのみ。世空にして克を受けざれば、亦伴侣に災あるを主とす。
兄弟が白虎杀に乗じて発動すれば、風波険阻を主とす。兄が白虎を加えて動き、或いは鬼の木爻に在りて動き、或いは木の鬼に化して刑冲し来たり、或いは鬼の巽宮に在りて動きて克せば、皆風波険阻なり。三四爻に在れば、門を出でて便ち見え、間爻に在れば、途中に遇い、五爻に在れば、一路安からず、上爻或いは応上に在れば、地頭に到るまで方ち見ゆ。旁爻の動きても世身を傷らざれば、ただ険阻のみ。旺に乗じて沖克すれば、没溺を防ぐを須く。鬼の兄に化し、兄の鬼に化するは、ただ途中の風浪驚憂のみならず、且つ盗賊の患あらん。
妻財が動きて来たり世爻を刑克すれば、財に因りて禍を致し、切に貪求すべからず。若し世と財爻と相合し、而して財爻が変じて鬼を出だして刑克する者は、色に因りて殃を招く、切に迷恋すべからず。
父爻が刑克に遭うは、風雨淋漓を主とし、舟行は尤も忌む。父は辛勤労苦の神、動かば則ち跋渉程途、安利なる能わず。世爻を刑克すれば、必ず風雨の阻节に遭わん。父は又舟船、世を克すれば行船の順ならざるなり、更に白虎・木爻を加うるか、或いは官鬼に化せば、必ず風波の険あらん。子孙の動きて来たり救うを得れば、庶しくも凶を化して吉と為す可し。
子孙の持世は、吉にして利あらざるはなく、吉に行きて善に転ずるを主とす。発動すれば必ず好伴侶に逢わん——三四爻に在れば門を出でて便ち逢い、五爻に在れば途中に相遇い、六爻に在れば地頭に好人の扶持を得。もし貴を謁しての出行ならば則ち子孙の発動に宜しからず、之を「傷官」と謂い、反って不利なり。
艮宮鬼が寅爻に坐するは、虎狼を防ぐべし。官が震宮及び艮宮に在りて寅爻の動きに遇えば、虎狼の患あるを主とす。もし無気にして制伏あり、或いは世を傷らず、或いは世の避空に在る者は、終に命を傷らざるも、ただ虚驚有るのみ。
震卦兄弟が螣蛇杀に逢うは、光棍騙子を防ぐべし。兄は劫財を主とし、もし螣蛇を加えて動かば、必ず光棍の財を劫拐するあらん。震宮に在れば、その光棍は市鎮上に在り、坤宮に在れば、郷里中の人、応に臨めば、地頭の主人、五爻に在れば、途中に騙され、官鬼を化出せば、則ち盗賊なり。無気なれば、剪綹(盗難)を防ぐべし。
鬼が間爻に在りて動かば、同伴の和せず、或いは伴中の病あり。兄空にして克を受けざれば、則ち自己に災難あるを主とし、伴中の事にあらず。
兄弟の持世は、必ず資財を費さん。蛇雀に臨めば、恐らくは呼卢の虚費(賭博の浪費)あらん、青竜玄武なれば、酒色の費財、その余なれば、盤纏の多く費ゆるのみ。もし財利の為の出行なれば、最も不吉。休囚にして動かざれば猶お可なり、旺に乗じて発動すれば、則ち空しく盤纏を費やし、徒らに奔走して、必ず得る所なからん。
一卦中に官鬼凶神なければ、方ち心の如くを得。官鬼の初爻に在れば、脚必ず痛め、二爻なれば、身に災あり、三爻なれば、伴侣病み、四爻なれば、去りし後に家に官事の相擾あらん、五爻なれば、道路梗塞し、六爻なれば、地頭に謀望の利あらず。六爻に鬼なければ、方ち大吉たり。
六爻に子孙福神を見ずんば、焉んぞ意を称せん。子孙は徳福と為り、又解神と為る。もし卦上らず或いは落空亡なれば、則ち鬼杀の専権をなして、凡そ災禍あれば必ず救援なし。故に《海底眼》に云う、卦に子孙なければ喜悦せずと。
主人(用爻)の動きて空亡に遇うは、半途にして返らん。隔手して占うには、須く何人のか出行たるを見るべし——僧道・子侄の如きは則ち子孙を看て用神と為す、その余はこれに仿う。主人の空動は、半途に至りて仍お復た来たり返らん、動きて退神に化ずるも亦然り、動きて空を化すれば、則ち去りし後の不利を主とす。退神たる者は卯の寅に化するが如く、酉の申に化するが類なり。
財気旺に臨みて月建なれば、満載して回らん。出行もし財爻の旺相、生合持世、空亡に臨まず、刑克を受けざるを得ば、翌日必ず生意あり、更に月建の生扶を得れば、定めて満載帰家を主とせん。
但だ能く吉に趨き凶を避けば、何ぞ高きに登り険しきを渉るを慮らん!
出行占の核心論理は世爻を用いて出行人、応爻を用いて目的地、間爻を用いて旅路の過程と為し、「人—道—地」の三位一体判断枠組みを構成する。同時に父爻を用いて行李、財爻を用いて路銀と為し、完全な出行資源配置分析を形成する。体系全体が強調するのは「勢いに順応して為す」——世が応を克すれば行き、応が世を克すれば止まり、財福の臨む所には往き、鬼杀の在る所には避く。
現代の決策科学の角度から見れば、この占断体系は本質的に一套のリスク評価チェックリストである:行李は十分か(父爻)、資金は足りるか(財爻)、目的地は有利か(応爻)、旅路は順調か(間爻)、同行者は頼れるか(兄弟・間爻)、予期せぬリスクはあるか(鬼爻・白虎)。これは現代人が出張・旅行の前に行う「出行前チェックリスト」の論理と高度に一致する。古人は不確定要素を卦象記号に転化し、本質的には情報が不足する条件の下で、系統的思考を通じて決定の盲点を減らすことにあった。
「人は富貴にあらず、焉んぞ坐して栄華を享くべけんや、苟しくも名利の為ならば、寧ろ奔馳道路を免れんや」——この開篇が示すのは、人類永遠の生存不安である:安と動の矛盾。出行占の本質は、「熟知せるを離れ、未知に入る」という存在状態に対するリスク管理である。世爻は主体意志を、応爻は外在環境を、間爻は過渡空間を代表する——この三者の関係は、恰もハイデガーの言う「世界内存在」(Being-in-the-world)の如く、人間は常に一処から他処への旅路の中にあり、占卜の提供するものは、不確実性の中で一点の確実性を求める心理的錨点に過ぎない。
人は名利の為に驅られ、故郷の生処の楽みを忘る。家に音信全くなし、全く周易卦中の推断に凭る。
帰期を決せんと要せば、但だ主象(用神)を尋ぬ。 官員・公吏は官爻を看、僧道・卑幼は子孙爻を看、妻妾・奴婢は財爻を看、兄弟朋友は兄爻を看、尊長老人は父爻を看。六親の中に在らざる者は、応爻を看。
用爻発動すれば、行人已に身を動かす。何爻に在るを看れば、便ち人の在る所を知る:初二爻に在れば、方ち発程し、三四爻に在れば、将に門庭に到らんとし、五爻に在れば、正に中途に在り、六爻に在れば、還お地頭に在り、帰期尚お遠し。用爻安静にして、日辰・動爻の沖并する又なき者は、異郷に安居して、未だ帰念なし。
克すれば速く、生すれば遅し。 日辰もし世を克すれば、人必ず速かに至り、世を生じ世に合すれば、人必ず帰る遅し。最も怕るるは世爻の用爻を克制すれば、乃ち未だ帰る能わず。
三爻は門、四爻は戸。 用爻に臨みて動かば、帰程已に近し。更に応爻・動爻の世を克し世を生ずるを得て、而して用爻の制伏なき者は、人即ち家に到らん、立ちて待つべし。
動きて退神に化すは、人既に来たりて復た返らん。凡そ寅の動きて卯に化し、巳の動きて午に化するの類を、進神と謂い、酉の動きて申に化し、子の動きて亥に化するの類を、退神と謂う。用爻もし進神に化すれば、行人急ぎ急ぎ帰り来たり、日にせずして望むべし、退神に化すれば、行人来たると雖も仍お復た返らん、空動も亦然り。何爻に臨むを看れば、便ち何処にて転去するを知る。行くこと幾里なるかを知らんと要せば、生成数以之を断ず——一六は水数、二七は火数、三八は木数、四九は金数、五十は土数、陽爻は天数以推し、陰爻は地数以推し、生旺は倍加し、死絶は減半す。
静に世位を生ずるは、身未だ動かざるも帰を懐く。 六爻安静なれば、人必ず未だ帰らず。応が世を生じ世に合し、或いは世応比和し、用爻が世爻を生合する者は、身は未だ動かざると雖も已に帰意あり。但だ沖動月日を看て起程し、生旺の旬日は必ず来たらん、気あれば主とて速かに到り、無気なれば主とて遅滞す。もし暗沖に遇えば、物を睹て郷を思うは、方ち意を起して家に帰らんと欲す。日辰の沖すると雖も、月建・動爻の克制する者は、縦え客況あれども亦起程する難し。
如し逢合住なれば、臨行に尘事身を羈がす。 用爻発動は本帰の兆、もし動爻・日辰の作合に遇えば、之を謂う「合住」、その人家に帰らんと欲すると雖も、事に因りて絆され帰来を得ず。父母に合住せられれば、必ず長上の留むる所或いは文書の阻滞に因り、財爻に合住せられれば、必ず婦人の迷恋或いは財物の淹留に因り、兄弟に合住せられれば、多くは朋友同伴の口舌の阻む所と為り、子孙に合住せられれば、必ず小口・六畜・僧道の阻む所、官鬼に合住せられれば、吉を帯ぶれば則ち貴人の留め、凶を加うれば則ち火盗官灾の絆す所なり。
世が応を克して俱に動けば、他方に転往す。 世の動くは帰心必ず切にして、応の動くは身已に登程す。動世が動応を克すれば、行人来たると雖も他処に往き、帰家にあらず。用爻が動きて応爻を生合する者は、これと同じく推断す。
応が世に比して皆空なれば、故里に帰し難し。 応は客郷、世は家乡。応爻が世を生じ世に合するは、行人の家を思いし象、その帰を望むべきなり。世応比和は本帰の兆にあらず、必ず用爻の動きて来たり世を克し世に合するを得て、乃ち能く帰らん。惟だ応爻の空亡を怕る、来たると雖も亦必ず遅緩し、更に世爻と皆空なれば、則ち来たらんと欲して来たらざるは、必ず准実なく、その帰来を望み難し。もし応は空ならずして世独り空亡する者は、又行人已に彼処を離るるを主とし、反って帰速を主とす。用爻更に動かば、立ちて待つべし。
遠行は最も用爻の傷かるを怕り、尤も墓に入るを嫌う。 遠出の行人、もし用爻の出現、空亡に臨まず、傷克を受けず、卦に財福あるを得、ば則ち外に在りて吉利を主とし、帰り遅しと雖も妨げなし。死墓絶地に在るか、或いは日月動変の刑克するか、皆不利を主とす。もし用爻の无故に自ら空ずるか、或いは変じて死墓空絶に入るか、或いは忌爻の旺に乗じて杀を帯びて発動するか、或いは卦に用爻なくして応も又空なる者は、皆凶を以て斷ずべし。
近出は何ぞ妨げん主象の伏するを、偏に沖に逢うを利す。 家内近出の行人、用爻伏蔵は、必ず事故ありて帰らず。もし日辰・動爻の沖するを得ば、則ち便ち帰り、或いは日辰・動爻の相沖なければ、沖動日時に至りて即ち到らん。用爻安静も亦これに依りて断ず。
若し伏空乡なれば、須く卦中の六合を究むべし。 用爻空亡すれば、必ず中間に伏神の上の飛神を克破するを須く、方ち伏神を露わして用と為すを得、しからざれば終に把住せらる。もし伏して空亡爻の下に於るを得ば、一たび動爻・日辰の六合に遇えば、即ち出でて用と為し、行人その帰を望むべし。六冲は尤も妙なり。更に帰期を決するも、亦沖合の月日に以て之を定む。もし伏神自ら空亡に遇わば、恐らくは他郷の鬼と作らん、必ず帰日なからん。
如し官下に蔵すれば、当に飛上の六神を参すべし。 用爻が官鬼爻の下に伏すれば、必ず凶事の羈する所と為る。青竜に臨めば、必ず酒色の為に病みて帰らず、朱雀に臨めば、必ず官非口舌の為に帰らず、勾陳に臨めば、蹼跌损伤し、螣蛇に臨めば、牽連惊恐し、白虎に臨めば、臥病して起きず、玄武に臨めば、盗に財を失いて帰らず。凡そ土鬼に遇わば病、火鬼に遇わば訟と為し、六神を論ぜざるも可なり。卦に官鬼なければ亦上に依りて断ず。
兄弟遮蔵す、是非に缘りて返らざるなり。 用爻が兄爻の下に伏すれば、必ず是非口舌争闘の事ありて帰らず。朱雀を加うれば賭博と為し、官鬼に化すれば財失い、白虎に臨めば風波と為す。
子孙把住す、酒を楽しみ以て帰るを忘るるに由る。 用爻が孙子の下に伏すれば、必ず遊楽・飲酒・田猟・戯曲・走马の為に帰らず、然らずんば亦六畜の故、小儿の事、僧道の阻と為る。
父は文書阻滞なり。 用爻が父爻の下に伏すれば、必ず文書阻节、或いは手技の為に帰らず、然らずんば則ち尊長の留むる所なり。卦に父母なければ落空亡、必ず路引なし、動きて化空は路引已に失わん、父の父に化するは、両人の合一つの引を、……