全 46 章中 6 章
黄金策
全体意訳 天地がその位置を定め、万物が生まれ始める。人は陰陽の交感によって形を成し、気の清濁を受けて賢愚が分かれる🌱。命が富みかつ長寿であろうとするならば、世爻が旺相で衝克を受けないことが必要である。もし夭折か貧困であれば、身爻が休囚でさらに抑圧を受けているためである。世爻が空亡に落ちれば🌫、一生の事業は成就し難く、身爻が墓庫に入れば⚰️、老いてから事を謀るにも多く阻害がある。卦宮が衰弱すれば根基が浅薄であり、爻象が豊かで盛んなれば命運は高い。
家を成すことを問うならば、六衝卦は散漫で不安定なため忌むべきである。業を立てることを知ろうとするならば、六合卦は凝集して助けがあるため喜ばしい。世爻が自ら動き且つ旺であれば、独立して創業することを主とし、衰えた世爻が生扶を得れば、人に依って事を成すことを主とする。日辰や時辰が生合すれば🕒、一生多く小人の助けを得、太歳や月建が衝克すれば🌪、半生君子の引き立てに遇わない。青龍と子孫であっても気がなければ、清高であってもただ寒門の書生に過ぎない。白虎と妻財が旺強であれば、粗野であってもかえって富み足りた人となる。
父母が世爻を持つことは、労苦して奔走することを主とし、官鬼が世爻を持つことは、病痛が絡みつくことを主とする。兄弟に遇えば財を聚め難く、子孫を見れば刑害を免れる。禄が弱く煞の衝に逢えば、必ず東西に奔走して生計を謀り、福が薄く凶の制を受ければ、他人の門下に寄食することになる。子孫が死に、妻財が空であれば、俗世を離れて出家する命であり、貴人が臨み、禄神が到れば、将となり相となる材である。
朱雀と福徳が身に臨み応合するのは、戯曲の芸人🎭であり、白虎と父母が世爻を持ち金に逢うのは、市井の屠殺業者🔪である。世爻に玄武と官鬼が加われば、必ず盗賊の類であり、身に勾陳と父母を帯びれば、定めて田を耕す農夫🌾である。財と福が権を当たりにすれば、終に栄華の日があり、官と兄が政を主とすれば、必ず破敗して常ならざるを見る。
もし中年の運を占うならば、凶煞が来なければ妨げなく、もし晩年の行く末を問うならば、悪星が攻め衝けば憂うべきである。正卦が吉でなければ、李密の幼年の坎坷の如く、変卦に扶けがあれば、馬援の老いて康健なことに似る。一卦が祥和であれば、張公芸一家の和睦の如く、六爻が衝戦すれば、司馬氏の骨肉相食むことに似る。
閔子騫の孝が内外に感応したのは、父母爻が世爻を生じたためであり、孔子の徳が家邦に及んだのは、兄弟爻が世爻と合したためである。世応が相生すれば、鮑宣が桓少君を娶って恩愛和睦した如く、財官が相克すれば、郭曖が昇平公主を尚(めと)って琴瑟調わざることに似る。世爻が応位を傷つければ、荘子が盆を叩き歌って妻の死を悼む如く、応爻が世爻を克せば、柳氏の獅子吼に夫が畏れることに似る。世が凶で応が克つも、ただ賢妻に頼るは鶏鳴して夫を戒めるが如く、身が吉で子が扶ければ、佳児を得て喜ぶは鶴の声が瑞祥に応ずるが如し。
福徳が旺であれば、任氏や王氏の子が皆賢良であった如く、子孫が凶に化すれば、房玄齢や杜如晦の子が多く不肖であったことに似る。伯道に子無しは、子孫爻が空亡に落ちたためであり、卜商が子を哭いたのは、父母爻が刑害を帯びたためである。父爻が木に属すれば、竇禹鈞の五子が科挙に合格した如く、鬼爻が金に依れば、田氏兄弟の紫荊が再び茂ることに似る。兄弟爻の金が旺であれば、荀淑の八龍が出衆するのを喜んで見、弟爻の水が強ければ、陸遜の双璧が才高いのを驚き羨む。
もし爻象が重複して現れるならば、実情に基づいて細かく推し詳(つまび)らかにすべきである:財が動いて父を克せば、早年に親を喪うことを主とし、兄が衰えて克に遇えば、中年に配偶者を喪うことを主とする。化父が身を生ずれば、柴栄が郭威を父として拝した如く、化孫が世と合すれば、石勒が季龍を養子としたことに似る。世が陰で父もまた陰であれば、賈似道の庶子としての身の如く、身が旺で官もまた旺であれば、陳仲挙の才器非凡なることに似る。化子が財と合すれば、唐明皇が安禄山を養子とした如く、内兄が応と合すれば、陳平が魏無知の推薦を受けたことに似る。
応が勾陳を帯び且つ福に値すれば、孟光が再び生まれて賢徳ある如く、財が玄武に臨み更に刑に逢えば、楊玉環が転生して艶名を馳せることに似る。合多くして煞争えば、許子和が銭樹子となった如く、官多く凶皆避ければ、隋煬帝が瓊花を愛したことに似る。白虎の刑が臨めば、則ち淫悍は則天武后の如く、青龍の福が到れば、則ち賢慈は孟母の如し。龍に逢って兄に化すれば、聡明にして節を失うは蔡文姫の如く、化子して世を生ずれば、賢徳にして瑕無きは魯伯姫の如し。合して空に遇えば、貞節を守るは竇氏の二女の如く、静にして衝動すれば、密かに駆け落ちするは卓文君の如し。
福動いて刑に遭えば、節を守るは衛の共姜の如く、化鬼して身を克せば、寵を失うは班婕妤の如し。二鬼権を争い水父衝くは、逼(せま)られるは銭玉蓮が江に身を投げるが如く、六爻競い合い陰財動くは、情を留めるは秦弱蘭が詞を贈るが如し。鬼弱く扶け無ければ、夫愚なるは朱淑貞の配した所の如く、官強く龍福に逢えば、夫賢なるは呉孟子が嫁いだが如し。
もし嬰児の命運を占うならば、子孫爻を以って用とすべきである。官に随って墓に入れば、成人まで養育すること恐らく難く、鬼を助けて身を傷つければ、必ず病多く災い多いことを主とする。胎爻が鬼と連なれば、出産に危険な関門を歴たことがあり、子が貴人を帯びれば、他日必ず顕達できる。旺令に遇えば則ち養い易きは風の中の樹の如く、絶地に逢えば則ち留め難きは雨の打つ花に似る。子孫が鬼に化すれば、夭折は漢の殤帝の如く、禄貴が爻に臨めば、早達は拜住が童年で相となった如し。
凶煞震卦を侵さざれば、李密九歳にして初めて歩める如く、吉神干宮に汇聚すれば、白居易未だ歳ならざるに既に字を識るに似る。八純卦は頑劣を主とし、晋の食我が狼子野心の如く、六合卦は聡明を主とし、李白の錦心繍口に似る。陽象陽宮は、聡穎は后稷の如く、陰卦陰爻は、愚騃は晋の恵帝の如し。龍父身を扶ければ、苦学は祖瑩の夜読の如く、歳君福に値すれば、壮志は班超が筆を投げるが如し。
官鬼傷つくこと無ければ、終に貴ぶは曹彬が爵を封ぜられた如く、父身気有れば、顕達は車胤が蛍を囊(ふくろ)にした如し。金爻動き合すれば、啼哭声無く、父母静かに衝かれれば、乳汁足らず。用旺なれば児肥え易く養い、主衰なれば児弱く成り難し。身父母に臨めば、養育の辛労免れ難く、世子孫に遇えば、終に孝養の報いを得る。もし命運の栄枯を問うならば、全て六親の爻象の決断に在り、寿数の長短を知ろうとすれば、須らく別に卦を起して推し詳らかにすべし。
本章は卦象と爻位を鏡として、命運の窮通、家庭関係、子女の賢愚の理を系統的に述べ、「世爻」が命主の根基であり、「六親」が爻象に配して人事の吉凶を定めることを強調し、儒家の倫理観と象数思惟を融合させ、一套の完全な命理分析体系を形成している。
本章は占卜の形式で呈示されているが、実は伝統社会の命運、家庭、事業に対する系統的観察が凝縮されており、一套の古い人生分析モデルと見なすことができる。現代的な解釈は、その記号の背後にある認知的知恵を理解することに重きを置くべきであり、機械的に予測に套用すべきではない。心理学、社会学の知識を結合して交叉的に理解することを提案し、初めて古きを今に活かすことができる。