全 142 章中 99 章
星平会海
人生において、生まれながらに富貴の栄誉を享け、興隆して富み貴きに至り、福を享受して最後まで保つ者がいる。これは何故だろうか?🌱 それは八字命盤において、日主(生まれた日の天干)が特に旺盛で、用いる吉神(財星、官星、印綬または食神など)が全て禄位と権勢を帯び、得令して旺じ、偏りや雑じり気がなく、また刑冲・傷損・克害もないため、富貴の本源が純粋に形成されるからである。こうした人は後に才能を成し、先人の基業を振興し、当代の功名を成就させ、誹謗を招かず、傷つけられることもなく、人生の道は歩みごとに吉祥である。八字命盤がより吉であることは、源清くして流れ潔しと謂え、故に人並み外れた福を享受し、その中正を保って害がない。これら全ては命運が一路生旺したことに由来し、僥倖ではなく天命である。どうして明らかに弁えられようか!
また、一生貧困に喘ぎ、愁苦と孤寒に苛まれ、顚沛流離する者でも、一旦時に逢い運に遭えば、突如として興る者もいる:或いは素手で家を興し、財は屋田に満ち、或いは君主を輔佐し、民に福をもたらし、高官に独り居る。このような人は前後で落差が甚だしいが、その原因は何か?🌊 それは八字の中で日主の生気が未だ旺じず、用いる貴神は得位して旺じ合格しているが、日主がその福気を担ぐ力が無いため、労苦と困頓に陥るのである。突然、運勢が日干を扶持して強健にし、用神が効用を発揮する時が巡って来れば、虎が嘯いて風を生ずるが如く、元命の用神が初めて我に用いられ、勢いに乗って勃然と興起する。これは偏気が和に遇い、衰中に旺を逢うため、吉を迎えて崛起できるのである。建業し功を創る大小に至っては、命格の軽重に基づいて弁別する必要がある。
また、日主が強旺で、四柱の五行が純粋に煞(殺)を帯びて雑じらず、身も煞も共に旺じているが、根本的に制伏が無い場合、富貴は成らない。唯、運勢が来て煞神を制伏し、権柄に化するのを待つ時、初めて才徳を発揮し、公卿となり、功名を顕達させ、抜きん出て超群となる。これは身旺で煞神が制に逢い権に化するのである。制神力が旺じれば、発福は尋常ではなく、どうして貧賤から極品の尊貴に至らないことがあろうか?実にその命あり、なお行運の扶持を得て初めて興盛する。もし運が至らなければ、只の常人に過ぎない。また或いは八字の中で日主が健旺で、用神もまた旺じ、各々均衡を保っていれば、富貴の家の賢子となり、成長して豊隆となる。しかし悪曜の運が臨み、元命の財が奪われ、官が傷つけられ、印が壊され、食が損なわれるに逢えば、禍患は極まりなく、故に盛年にして傾覆し発しない。悪運が去り、好運が身を扶け、用神が一新されれば、枯れた苗が雨を得、鴻の毛が風に遇うが如く、勃然として興起し、阻むことができない。
また、八字の五行が身旺で、羊刃と比肩が争って旺じているが、財官煞神が虚浮して軽少で、事を成す力が無い者もいる。行運もまた福地ではなく、一生飢寒と労苦に明け暮れ、志有りて成さず。或いは中年・晩景に至り、突然煞運に逢い、仮に煞を権となし、羊刃を制伏して、権貴顕揚を得たり財福を発したりする。運勢の清濁に随って弁別すべきである。これは一生困窮し、中年晩景に忽ち興るのである。故に知る、元命が財官を用いるも、平生は気無く、運に到って方に富貴を成すことを。未だ興らざる者は、運を得て然るのである。学ぶ者は努めざるべけんや!
身主とは日干を指し、用神とは月中所蔵の神を以て用と為すものを指す。命は水の如く、運は源の如し:原とは命なり、流とは運なり。寅申巳亥は五行四生の局たり、柱中に有れば生気と為す。経に曰く:熬を以て権に比し、文魁豪門貴客は即ち此を謂う、と。例えば甲は庚を以て煞と為し、丙を用いて之を制す。この段は巨船が風に遇うが如く、命が好運に遇って忽ち発することを喩える。権貴当令の辰は、无非才官印食のみ。
興亡を論ず:人生において柱中に純煞有りて用と為す。煞神未だ制せられざれば、則ち白屋窮途の人と為るか、或いは豪門卓犖の士と為る。故に制煞運に逢い、仮に煞を以て起ち、朝廷に進用され、権威福を操り、功は量るべからざるを要す。制伏運一たび財郷に入れば、則ち能く煞に党し、禍患を興す。官旺煞旺の運、元は失計を恐れ、命が煞運に党する者は、儻来凶を生ず。偶然流年の財煞少旺に遇い、煞神相党し、各々殃を興す。身主孤寒克害、軽ければ則ち家を傾け徒配し、重ければ則ち刑に其の身を棄つ。故に煞神合併し、凶亡畏るべし。煞刃なる者は、禍福免れ難し。
また、柱中に月令正気の官星有り、一生の富貴と為るも、唯印運に逢えば則ち利あり。官星は財旺に逢いて之を生じ、印旺に逢いて之を護るを喜ぶ。故に其の人を行仁布徳し、緯国経邦し、権重爵高ならしむる所以の貴きなり。後に煞神旺郷に遇い、煞神禄位、歳煞並臨し、官化して鬼と為れば、喪身必至なり。煞運を行わず、或いは傷官運に逢い、又印綬無くして之を治めず、傷官地を得、禄傷損を遭えば、喪妻克子剥職生災、立ちどころに現る。更に流年党地に遇い、損官受克すれば、必ず惨悪に亡するに致る。故に官禄傷に逢い、剥戮を免るるは難し。もし高見有り、進退存亡の機を知り、其の身を保つ者は、官禄傷に逢い、六親禍を免るるも、亦た自ら悪疾を受けて終わるべし。
また、柱中专ら用神を用い、官煞気無く、唯偏財正財当旺、財神当道、隠隠として興隆し、財を積み玉を聚むるも、少しく貴きに欠く。知らんと欲すれば、行運を見よ:財官禄旺郷に逢い、又富貴朝局を成す。設い不幸にして財神局を脱し、羊刃相逢えば、財傾き福敗れ、多く其の凶を患う。或いは流年冲合羊刃し、財神尽く傷つけられ、命元衰絶し、羊刃凶を生じ、敗亡極まれり。
白屋とは尋常の白丁の家を言い、途とは出路無き人を言う。徒配とは徒罪を犯し他方に配流されるを謂い、館駅とは駅伝の謂い。歳煞とは流年の地支、例えば子午冲・空亡・喪門の類。財官は純善の星なり、冲害無き所以に財を生じ、印旺に遇えば貴を言うべく、悪煞相並べば則ち休す、良善が凶悪に遇い貴人の和解に遇わざるが如し。